2013.01.11

ガットゥーゾ、古巣への思いを語る「俺は今でもミランを愛している」

ワールドサッカーキング 0117号 掲載]
古巣ミランについて語る時、その表情はかすかに緩む。最愛の妻について語る時、その表情は照れくささを潜ませる。新天地シオンについて語る時、その表情には童心がよみがえる。リンギオ(犬のうなり声)と呼ばれる男の、感謝の“叫び”を傾聴せよ。
ガットゥーゾ
インタビュー・文=マッテオ・マラーニ 翻訳=高山 港

 ミラノからヴァレーゼへ、更に北に進むと、センピオーネ峠に突き当たる。峠を越えるとそこはもうスイス。山々は雪に覆われている。峠から更に百数十キロメートルばかり車を走らせると、中世のシャトーが点在する中にマルティニーの町がある。シオンの郊外、マルティニーの町にあるFCシオンのクラブハウス。その脇に、クラブの練習場がある。

 豪華な練習場を想像してはいけない。クラブの従業員はわずか6名。クラブハウスから狭い通りを過ぎると、そこに練習用のピッチがあり、そこにホテルがある。彼らの年間予算は3000万ユーロ(約30億円)、イタリアで言うなら、セリエBへの降格を強いられるようなクラブと同規模だ。だが、昨年の夏、この街は、イタリア人、とりわけミラニスタにとって一躍、有名な街になった。なぜなら、今ここに“リンギオ”の姿があるからだ。

本当のサッカーに再び出会った

リーノ(ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾの愛称)、まずは、君がなぜシオンを選んだかというところから話を始めようか。

ガットゥーゾ 移籍交渉がスタートしたのは6月13日だったが、すぐに移籍は決まった。代理人のダミーコと一緒にシオンのマルコ・ディ・ジェンナーロGMとマルペンサで会談をしたんだ。彼のことがすぐさま気に入ったし、向こうもそうだったみたいだ。交渉スタートから1カ月後の7月15日、俺はこのクラブで練習を始めていた。バカンス? 家族だけで行かせたよ。

スイスでの初日の印象は?

ガットゥーゾ 本当のサッカーに再び出会ったという感じだ。初日の練習を終えた時、15歳の頃の自分に戻ったような気分だった。ミランでの13年間のプレーをひとまずリセットしたのさ。ここは本当に小さなクラブだ。ミランとは組織としての規模が比べものにならない。例えば……。

例えば?

ガットゥーゾ ここではシャツを盗まれないよう注意しなくちゃならない。もし盗まれたら、次の日に着るものがなくなるからな(笑)。ミラネッロ(ミランの練習場)ではどうだったかを教えてやろうか? ファンにシャツをプレゼントするのが当たり前で、一度に2、3人にあげても用具係がすぐに新品を用意してくれる。ミランでは用具係が5人もいたけど、ここには1人もいないんだ。用具はすべて自分で持ってくるのさ。

用具の管理はすべて選手に任されているんだね?

ガットゥーゾ ああ、各自が管理している。それに、移動も面倒だ。時には、練習グラウンドがなくて困るなんてこともある。ミラネッロのように6つも7つもピッチがある環境なんて、ここでは考えられない。ただ、それでも俺は幸せだよ。理由は2つある。

まず、一つめの理由から聞かせてもらおうか。

ガットゥーゾ 目の回復さ。ボローニャのベッラリア病院のロッコ・リグオーリ医師に「君はもうサッカーはできない」と宣告された時、血の凍る思いがした。俺は彼を前にして一言も口を聞けなかった。リグオーリ氏は今、俺がプレーしていることを「信じられない」と言っているよ。

ドクターは君の精神力の強さを知らなかったのでは?

ガットゥーゾ そうだな。ただ、病気(左目の視神経の病)があることは確かさ。俺は病気と共存していくことを学んだ。毎日、薬を飲み、目を覚ますたびに「今日も病と闘うんだ」と自分に言い聞かせている。それでも、病状はかなり良くなっていると思う。今では、俺よりもっと悲惨な状態にあるベッラリア病院の子供たちのことをいつも考えているよ。

その話、もう少し詳しく聞かせてもらえるかな?

ガットゥーゾ 俺は週に4日、ベッラリア病院に点滴を受けに通っていた。朝、息子を学校に送り届けた後、妻と一緒に8時の列車でボローニャに向かっていたんだ。神経科での治療さ。俺は病院のベッドで5時間くらい横たわっていた。すると、5、6人の子供たちが自分たちで描いた絵を俺にプレゼントしてくれたのさ。俺はサッカー選手だぜ。本当なら、俺が彼らに何かをしてやらなくちゃならない立場だろう? それなのに、俺のほうが子供たちからエネルギーをもらったのさ。俺は点滴を打たれながら、ただそこに横たわっていることしかできなかった。


親父は貫くことの大切さを教えてくれた

なるほど。では、もう一つの理由というのは?

ガットゥーゾ このクラブのおかげさ。さっきも言ったけど、まるで15歳の自分に戻ったような気分だ。親父のサッカーバッグの匂いを嗅いでいた頃の自分を思い出したのさ。

どういうこと?

ガットゥーゾ サッカーをしていた親父は、練習を終えて家に帰ると、いつもバッグを床に置きっ放しにしていた。俺はそのバッグをそっと開けて、バッグの中に鼻を突っ込んで匂いを嗅いでいたんだ。まさに、サッカーの匂いがした。俺にとっては“魔法の香水”だった。

シオンではその匂いが感じられるということだね?

ガットゥーゾ その通り。それに、ここではサッカー選手が特別な存在ではなく、クラブに雇われた普通の労働者と見なされているんだ。この普通って感覚が素晴らしい。俺はここではスターではないのさ。子供たちを連れてダウンタウンに行った時、一度だけサインを求められたことはあるけど、基本的には俺と子供たちのプライバシーが侵害されることはない。確かに、有名であるということは気持ちがいいものだ。ワールドカップ(以下W杯)で優勝したことで、俺は世界中に知られるようになった。ただ、俺はちやほやされるために知名度を求めているわけじゃないし、有名人としての役割を有効的に果たしたいと思っている。シオンでは、クラブのイメージキャラクター役を務めているんだ。プレー以外でも幅広くクラブに貢献してほしいというという気持ちがメンバーからも伝わってきたし、スタッフやディ・ジェンナーロGMと協力して積極的にことに当たろうと決めたのさ。

今回の挑戦で、レンジャーズに移籍した頃を思い出すのでは?

ガットゥーゾ あの頃と似ているとも言えるし、似ていないとも言える。新しい現実に順応しなくちゃならないという点では、あの時と同じだろう。ただ、俺自身があの頃と大きく変わっている。あの時の俺は17歳。今の俺は35歳で2児の父親だ。子供ができると人生の見方も変わるものさ。

リーノ、君は良い父親なのかな?

ガットゥーゾ 俺の父親に比べれば、すごくオープンな人間だと思うよ。妻は「もっと子供に時間を割いてやってちょうだい」と小言を言ってくるが、自分の職業を全うするためにはピッチに何時間もいなくてはならない。もちろん、子供たちにはできる限りのことをしてやりたいと思っている。娘はショッピングが好きだから、時間があれば買い物に連れていくようにしているし、まだ小さい息子とはソファベッドでタイガーマスクごっこをして遊ぶんだ。

君と君の父親の関係について話してもらえるかな?

ガットゥーゾ 親父は俺に、貫くことの大切さを教えてくれた。俺も自分の息子には、そのことを伝えたいと思っている。“愛の価値”をとうとうと語ったあげく、あっさり離婚しちまうような時代だからな。親父の思い出と言えば、カラーブリアの故郷で獲れた魚をグラスゴーまで持ってきてくれたことを思い出す。スコットランドで一人で過ごす俺を励ますために来てくれたんだ。それから、レンジャーズに行くと決断した夜のことも思い出すね。

どんな感じだったの?

ガットゥーゾ 不安だった。それまでペルージャの寮で寝起きしていた少年にとって、グラスゴー・レンジャーズへの移籍はとてつもない出世だ。親父が台所で数字を書きながら言ったよ。「4年間で20億リラ(約1億4000万円)……」とね。親父にしてみれば、人生を3度繰り返し、死に物狂いで働き続けたとしても、それだけの金を稼ぐことは絶対できないと思ったんだろう。

移籍と言えば、君はスイスに、アレッサンドロ・デル・ピエロはオーストラリアに、アレッサンドロ・ネスタはカナダへ渡った。君たちの世代のプレーヤーからは現役への強いこだわりを感じる。

ガットゥーゾ 俺たちには共通点がある。それは、子供の頃にストリートサッカーをしていたということだ。プレステなんておもちゃはなかったし、アレッサンドロは自宅の脇の空き地に父親が作ってくれた小さなグラウンドでプレーしていた。俺はいつもビーチでボールを蹴っていたよ。最近、なぜ有能なタレントがあまり輩出されないかを考えることがある。でも、答えは簡単だ。自分で何かをやってやろうという気持ちがなければうまくはならない。俺たちの子供の頃は、常に工夫したものさ。壁を使ってキックの練習をするとか、自分たちでうまくなる方法を見つけようと努力していた。道路や空き地で、それこそ何時間もボールを蹴っていたものさ。今の子供たちは、1時間の練習を週に2回やるだけ。それじゃあ、うまくなんてなるわけがない。

それも両親の送り迎え付きだしね。

ガットゥーゾ 全くだ。昔は、体の使い方だって一人で学んだものさ。そういったことに子供が早く目覚めていたと思う。ところが、今は違う。俺の息子は5歳だけど、何時間もiPadでタイガーマスクのゲームをしている。俺なんて、携帯メールを覚えるだけでも苦労したってのにさ(笑)。


俺は今でもミランを愛している

ここで一つ、たくさんの読者が知りたがっている質問をしたい。君はなぜ、ミランを離れたんだい?

ガットゥーゾ 最初に言っておくが、俺は今でもミランを愛している。ミランで過ごした13年は夢のような時間だった。ビッグイヤーを掲げた。キャプテンマークも巻いた。そして、ミランの歴史上で歴代6位の出場試合数を記録した。これ以上、何を望めと言うんだ?

リーノ、君はまだ僕の質問に答えていない。なぜミランから離れたの?

ガットゥーゾ 俺は今でもミランと最高の関係にあると思っている。ミランへの感謝の気持ちも変わらない。ただ、俺はプレーを続けたかった。それだけのことさ。ミランは俺の重要性を認めてくれていた。だが、俺が望んでいたものとは違った役割を提示してきたのさ。

アドリアーノ・ガッリアーニ副会長との問題というより、マッシミリアーノ・アッレグリ監督との問題だったのかな?

ガットゥーゾ マックス(アッレグリの愛称)とはベストの関係にある。俺たちはチームメートとしてスクデットを獲得したこともあるんだ。だが、彼に言われたことは受け入れ難い内容だった。

現役を引退してチームマネージャーになるという提案を受け入れらなかった。そういうことかな?

ガットゥーゾ ああ、そうだ。

それで君は気分を害した。

ガットゥーゾ 俺はこういう性格だからな。今までも何度かミスを犯した。ただ同時に、この頑固さと誇りがあったからこそ、大きな成功を手にできたとも思っている。俺の存在が邪魔になっていると感じた時、俺にはその場を去ることしかできない。俺は心の震えを感じたかった。選手としてピッチに立つことにドキドキしていたんだ。そして、ミランではそれがもう不可能だと察した。だから、ミランを去るという決断を下したのさ。

ミランは今、君を手放したことを悔やんでいるようだけど、それは君にとって小さなリベンジになるのかな?

ガットゥーゾ リベンジ? とんでもない。ミランは俺の中に生き続けている。この数カ月、ミランの人たちに会いに行かなかったのは、そんなことをすればメディアが喜々として大騒ぎすることが目に見えていたからさ。ミランに、今でも俺に対する敬意と愛情が残っているということは、俺が正しい選択をしたという証でもあると思う。情熱に基づいて生きる。それが、ミランのガットゥーゾだからな。


これほどパワーと勇気を持つクラブは他にない

将来はミランの監督になるなんてうわさも流れたね。

ガットゥーゾ そんなことは誰とも話したことがない。それに、ミランは俺にはでかすぎるよ。ミランの監督になるためには、これから多くの“埃”にまみれなくちゃならない。ただ、将来、監督の仕事をやってみたいというのは事実だし、コヴェルチャーノでの監督講習を受けた時に、監督という仕事にとても興味を持った。

昨シーズン、君はミランのロッカールーム内部の秩序のなさを嘆いていた。今でも同じことを言う気持ちがある?

ガットゥーゾ あの時、俺は自分が思っていたことを口にした。だが、それは間違いだった。自分の基準に合わないからといって、ただ批判を浴びせるのは間違ったことだと今は感じている。この件に関しては、カルロ(アンチェロッティ)の言っていたことが正しかった。「リーノ、サッカー選手はそれぞれ違うんだ。他の馬と同じように走る馬なんていやしない」。彼はそう言っていた。今は、カルロの言葉の意味がよく分かるよ。

君は既に監督として物事を見るようになっているようだね。

ガットゥーゾ 若い世代も自分の世代と同じように考えている、そう思うことに間違いがあるってことは学んだよ(笑)。俺は(ステファン)エル・シャーラウィのヘアスタイルが好きになれないし、眉毛の手入れなんて理解もできない。ヤツも将来、俺の忠告を懐かしく思う時が来るはずだ。ただ、繰り返しになるが、俺が間違っていた。今のアイツは“フェノーメノ”であることをピッチ上で証明しているんだからな。

確かに、今のミランで最も輝いているのはエル・シャーラウィだ。

ガットゥーゾ 彼が今、大成功している陰には父親の存在があると思う。息子が天狗にならないように、父親がしっかり管理しているんだ。俺もそうだったが、息子にとって父親の存在はすごく大きいということさ。

ガッリアーニについての話が聞けていなかった。

ガットゥーゾ あの人は最高だ。とてつもなくすごい人、ナンバーワンだよ。昔、俺がミスを犯した時、彼にこっぴどく叱られたことがあってね。この俺がへこむほど叱られたんだ。俺がチャンピオンズリーグ(以下CL)の試合でジョーダンともめた事件(編集部注:2011年2月11日、CLのトッテナム戦で当時ミランに所属していたガットゥーゾはトッテナムのコーチ、ジョー・ジョーダンに頭突きを見舞った)の後も、電話が掛かってきた。あの時は散々ガミガミ言われて、177センチの俺が1メートルぐらいに縮んでしまったよ(笑)。でも、ガッリアーニに叱られる時は、いつも父親に叱られているような気分だった。

君の世代の選手がいなくなって、“強いミラン”の時代は幕を閉じたような気がする。

ガットゥーゾ それは、おかしな話だ。俺たちがチームにいた頃は「ベテランがいるからチームは低迷する」と、ずいぶんたたかれた。それが今度は、俺たちベテランがいなくなったからミランは弱くなったと言われている。ただ、普通に考えれば分かるはずさ。8人のベテランが去り、更に、イブラ(ズラタン・イブラヒモヴィッチ)、チアーゴ・シウヴァという2人の“フェノーメノ”がいなくなったんだ。その影響が小さいわけがない。でも、忘れちゃいけないのは、それでもミランはCLのグループリーグを突破したということさ。最も難しい時期に、(シルヴィオ)ベルルスコーニとガッリアーニはアッレグリをしっかり擁護した。こういうパワーと勇気を持つクラブは、世界中どこを探したって他には存在しないと思う。

イブラヒモヴィッチの名前が出たけど、彼と一緒にプレーしたことを懐かしく思うかい?

ガットゥーゾ アイツは練習の時から闘争心むき出しで、ちょくちょくけんか腰になることがあるんだ。俺も人のことは言えないが(笑)、とにかく負けず嫌いな男だ。試合に負けると激しく落ち込むし、常に自分が「世界で一番うまい」と感じていたがる。それが時に、アイツ自身にとって大きなストレスになり、周囲にいる者もストレスを感じてしまうのさ。もっとも、イブラがスーパーな選手であることに間違いはない。アイツが足を上げると、4メートル以上の高さまで届くんだ。4得点したイングランド戦のオーバーヘッドを見ただろう? あんな高いボールを足で蹴る人間は見たことがない。イブラは桁違いのストライカーだ。漫画の世界に出てくるヒーローみたいな選手さ。


優勝した喜びは今も色あせない

では、ミランでの13年間で最もうれしかったのは?

ガットゥーゾ CLで優勝したことだ。これまでの人生で3大イベントを挙げるなら、まず、カラーブリアでの幼少期。当時の記憶は今でも鮮明に残っている。次に子供が生まれたこと、そして、カルチョの世界での勝利だ。中でも最も重要なのは、ワールドカップ(以下W杯)の優勝(2006年)だ。

代表での勝利は、ミランでのタイトル獲得と比較できるものなの?

ガットゥーゾ 全くの別物だよ。ミランでのタイトルは、ミラニスタとして勝ち取ったもの。06年のドイツは、少しずつ天国に上り詰めたという感じだった。試合を重ねるごとにチームがまとまっていった。実は、あのW杯の時は、いつでもイタリアに帰れるよう、常に部屋を片付けていたんだ。荷物もまとめておいた。ゲン担ぎってわけじゃないけど、そうすることでゲームに勝てると思っていたのさ。

ベルリンでの決勝は、どんな思い出が残ってるんだい?

ガットゥーゾ スタンドにいた母、妹、父、妻、義父、みんなの顔が喜びで太陽みたいに輝いていた。もっとも、あの勝利はその2年前に生まれたものと言ってもいいだろう。そう、(マルチェッロ)リッピが「クラブチームのような代表チームを作り上げる」と公言した日に、ベルリンの勝利が約束されたんだ。リッピは細かなルールをメンバーに徹底させた。あの“ごちゃごちゃうるさい監督”が、徹底したチーム管理を行ったのさ(笑)。当時、コヴェルチャーノでインタビュー取材を受けた時にミランの話をしたら、リッピがカンカンに怒ったことがあってね。「代表帯同中は代表の話だけをしろ」と怒鳴られた。俺はプロとして300試合は経験している大ベテランだぜ。あきれて何も言い返せなかったよ(笑)。

話をW杯に戻そうか(笑)。ドイツ大会の最大の思い出は?

ガットゥーゾ 優勝した喜びは今も色あせない。子供の頃からW杯でプレーすることを夢見ていた俺が、W杯制覇を経験したんだから当然さ。もっとも、勝利の美酒に酔うことができたのは、ほんの短い期間だった。すぐに、その後のことに集中したからな。ガットゥーゾは世界王者になって変わってしまった、そんなことを言われないように、死に物狂いで練習に打ち込んだよ。

君らしいね。さて、では最後の質問だ。これまで君が受けたインタビューで一度も言ったことがない話を聞かせてくれ。今言っておいたほうがいいと思うことはある?

ガットゥーゾ 妻のモニカのことかな。モニカとは97年に付き合い始めて、それ以来ずっと一緒なんだ。俺の成功の原動力となったのは彼女だ。モニカは人生を俺に捧げてくれた。“古風な良き妻”の役割を果たしてくれている。夫の背後から連いてくる古風な女、まるで俺の母親のようだ。彼女は俺の世話をして、毎日の食事を用意してくれる。そして、若くして俺たちの子供を生んでくれた。彼女と一緒に生きることで、俺はまぶしいくらいの幸運に恵まれた。ただ、そのことを今までモニカに面と向かって伝えたことがないんだ。むしろ、素っ気ないほうだと思う。感謝の気持ちを直接伝えるべきだと思いながら、それができずにいた。インタビューの締めとして、モニカに俺の気持ちを伝えるのも悪くないかな。

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