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日本代表、記憶で読み解くフランス戦…苦い記憶と確かな光明

2012.10.12

文= 小谷絋友
写真=Getty Images

 

 ぬかるんだピッチに足を取られ、白いアウェーユニフォームが泥に塗れている真横を、ジネディーヌ・ジダンが悠然とボールを運んでいく。

 日本代表は過去にフランス代表と5試合対戦してきたが、最も鮮烈な印象が残るのは、2001年3月にアウェーで行われた一戦になるだろう。当時のフランスは1998年に地元開催のワールドカップで初優勝を果たし、前年にはユーロ2000を制覇。世界最高の選手と謳われたジダンを筆頭にティエリ・アンリやロベール・ピレスら豪華なタレントを擁して、世界最強チームとして君臨していた。

 一方、翌年に韓国との共催となるワールドカップを控えていた日本も、歴代最強とも言える布陣が並ぶ。中田英寿をはじめ、中村俊輔や黄金世代の稲本潤一ら若手とともに、名波浩らベテラン達も健在で屈指のタレントが揃う。前年には中田らを欠きながらも、圧倒的な強さでアジアカップを制覇していたこともあり、戦前の期待値は決して低くはなかった。

 ところが、試合が始まり開始10分でジダンにPKを沈められると、日本はなすすべなく、0-5と大敗を喫した。雨水をたっぷり含んだピッチという悪条件を物ともせず、普段と変わらぬ華麗なパスサッカーを目の当たりにして、世界王者とワールドカップで未勝利だった国の実力差をまざまざと見せつけられる衝撃的な敗戦となっている。

 ただ、日本はフランスとの対戦成績で1分け4敗と未勝利のままだが、苦々しい記憶とともに毎試合光明を見出してきた点も振り返っておきたい。

 初対戦となった94年のキリンカップでは、現在の代表監督であるディディエ・デシャンやエリック・カントナらが居並ぶフランスにホームで1-4と敗戦。しかし、当時期待の若手だった小倉隆史が代表初、そして彼にとっては唯一となったゴールを記録。小倉こそが、日本の未来を切り開いてくれると希望を抱いた人は少なくなかっただろう。

 2度目の対戦となった2000年のモロッコで行われたハッサン2世杯では、森島寛晃と西澤明訓のC大阪コンビが躍動。結果的にはPK戦で敗れたものの、2人の得点で2度のリードを奪ったことは、初対戦から着実に日本が進化を遂げていることを実感させてくれた。

 3度目は前述の大敗となるが、当時ローマに所属していた中田が幾度となくミドルシュートでフランスゴールを脅かしていた姿には世界王者にも臆しない頼もしさを感じられた。

 続く2度の対戦はともにコンフェデレーションズカップでの戦い。衝撃的な大敗から3カ月後の2001年6月に日本で行われた決勝戦で0-1と再び敗れたが、初めてFIFA主催の大会で決勝進出を果たしたこともあり、手応えを得ることができた。直近は、2003年のフランスで行われた同大会の1次リーグ。1点のビハインドから中村俊輔が素晴らしい直接FKを叩き込み同点に追いついたが、最終的に決勝点を奪われたことでフランスの底力も見せつけられている。

 最後の対戦から9年の月日が流れ、両国の状況も大きな変化を経てきた。フランスはジダンの引退とともに栄華を誇った黄金期に終止符が打たれ、2010年のワールドカップでは、監督に不満を持つ選手が練習をボイコットする前代未聞の混乱とともに、未勝利で1次リーグ敗退。ワールドカップ優勝時のキャプテンであったデシャン監督の下、再建の途上にある。

 対する日本は、2006年ワールドカップの惨敗や2010年ワールドカップの躍進を経て、現在はアルベルト・ザッケローニ監督に率いられ、充実の時を迎えている。2001年の対戦時では中田のみだった欧州組もマンチェスター・Uに所属する香川真司をはじめ、欧州で名を馳せる選手も、着実に増えている。

 前田遼一や伊野波雅彦が負傷離脱して、本田圭佑も負傷で欠場が見込まれているが、再建途上のフランスと右肩上がりの成長を続けてきた日本は、かつてないほど実力が接近している。アルベルト・ザッケローニ監督就任から2年。初となる強豪国とのアウェー戦は奇しくも衝撃的な大敗を喫した地であるサンドニで行われる。苦い記憶とか確かな光を見出してきたフランス戦は、日本の現在地とともに歩みの確かさを実感させてくれるはずだ。

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