権田修一「五輪代表の守護神として、世界の檜舞台へ」

Jリーグサッカーキング 2012.7月号掲載]

冷静さと果敢さを兼ね備えるU-23日本代表GK権田修一。U-15からFC東京一筋で己を磨き、若年層から高評価を受けながら世界の檜舞台とは縁遠かったが、ロンドン五輪の出場権を手にし、本大会のメンバーにも選出されている。そんな若き守護神の軌跡を、彼の言葉とともに振り返る。


文=戸塚啓

[写真]=兼子愼一郎

 

ヒヤリとするほどの冷静さでピンチ摘み取る背番号1

 
 丁重にして剛健、温和にして慧眼だ。権田修一というプレーヤーを思い浮かべると、賛辞の言葉が自然と列を成す。
 
 成熟したプロフェッショナルである。コメントは理路整然にして論理的で、終わったばかりのゲームを鮮やかに映し出す。どんな質問を受けても、やり過ごしたりはしない。
 
 それでいて、瞳にはいつも真摯な熱が感じられる。如才のない応対は、23歳という若さをまるで感じさせない。他者を包み込むような優しさを、彼は持っている。
 
 エリートでありながら、挫折も味わってきた。FC東京の育成組織で育ち、05年には第2種トップ登録可選手となった。若年層から代表に選出されてきた。
 
 その一方で、世界の舞台は縁遠かった。
 
 2007年7月開催のU-20ワールドカップを前に、権田は21人の登録メンバー入りを果たした。87年生まれの槙野智章、安田理大、梅崎司、柏木陽介、88年生まれの内田篤人らが中核を担うチームにあって、89年生まれの権田は香川真司と並ぶ最年少だった。
 
 U-17W杯出場を逃していた彼には、初めての世界大会である。第3GKとしての参加となるが、「試合に出ても出なくても、自分の役割をしっかりと果たしたい」と話していた。
 
 ところが、メンバー発表後に左ひざを負傷してしまった。カナダでベスト8入りするチームの奮闘を、権田はテレビのモニター越しに見届けることとなった。
 
 それだけに、09年大会へ懸ける思いは強かったはずである。キャプテンとして同世代を引っ張ったが、準々決勝で韓国に屈した。権田はいくつかの好セーブを見せたが、それでもスコアは0対3だった。95年大会から続いていたU-20W杯の連続出場が、8大会ぶりに途切れてしまったのである。
 
 左腕に巻いた白い腕章に、権田は問いかけた。キャプテンとして、チームをまとめることができていたのか? 嫌われ役になってでも、チームを引っ張っていくべきではなかったのか? いくつかの疑問が胸の中で渦を巻き、同じ思いを二度と味わいたくはないという決意が固まっていった。
 
 フル代表デビューは2010年1月である。敵地イエメンで行われた、アジアカップ予選だった。
 
 オフシーズン真っ只中のゲームということもあり、岡田武史監督(当時)は若手主体のチームを編成する。GKは、西川周作と権田が選出されていた。すでに代表デビューを飾っていた西川が、ゲームキャプテンとして先発出場する予定だった。ところが、現地入り後のトレーニングで負傷してしまう。
 
 権田にチャンスが巡ってきた。
 
「チームとしてやるべきことをやって、しっかり勝つことが大事だと思います。このイエメン戦のために、元日から準備をしてきました。自分なりに取り組んできたこともあるので、とにかく全力で頑張りたい」
 
 アジア杯出場権を争う一戦は、6月の南アフリカW杯へのサバイバルでもあった。楢﨑正剛と川島永嗣がリードし、北京世代の西川が追走するGKの争いに、ここから加わっていけるのか。代表入りへ誰がアピールするのかが、イエメン戦の見どころとなっていた。
 
 権田は泰然自若としていた。落ち着いた口ぶりで話した。
 
「もちろん目標としてやっていますが、W杯の前と後で、自分のやるべきことが変わるわけではありません。少しでもレベルを上げるために、ずっとやり続けていかなければいけないと思うんです。そういう意味で、アピールするというより、とにかくまずは勝利に貢献したい気持ちが強いです」
 
 ゲームは予想外の展開となる。格下と目されたイエメンに、主導権を握られてしまうのだ。13分に左CKから失点を喫し、39分にも35メートル級のロングシュートをたたき込まれた。
 
 GKからすれば、どちらもノーチャンスである。ただ、失点を許した現実は変わらない。悔しさはくすぶる。メンタルコントロールは難しい。
 
 権田は冷静である。失点後も変わらぬ姿勢でプレーを続けた。彼を含めた守備陣が立て直しを図ったことで、平山相太のハットトリックが逆転勝利へつながった。

至上命題だったロンドン五輪出場権獲得

 
 権田の名前が頻繁にメディアで取り上げられるのは、2011年の春からだ。ロンドン・オリンピック予選がスタートし、チームの絶対的な守護神としてゴールマウスに立っていく。
 
 五輪は身近な大会だった。彼の在籍するFC東京は、アテネ大会に今野泰幸、石川直宏、茂庭照幸、JFA・Jリーグ特別指定選手だった徳永悠平の4人を送り込んでいる。北京大会にも、長友佑都と梶山陽平が出場した。メンバー入りする選手の日常や彼らを取り巻くざわめきを、権田は肌で感じてきた。
 
「メンバー発表の時に報道陣の皆さんが集まって、クラブはどんな雰囲気に包まれるのかとか、間近で見ることができましたからね。ウチのチームに関わっている選手が出場しているので、もちろん大会も注目していました。アテネ大会はU-16日本代表の合宿中で、移動のバスの中でチームメートと試合の話をしたことをよく覚えています。ああいう舞台で戦いたいなって」
 
 五輪への憧憬は、使命感へ変わっていた。アジア予選突破は至上命題だった。
 
「U-20W杯に出場できなかった悔しさは、僕らの世代のみんなが持っていると思う。サウジアラビアでの予選に出場した選手も、予選に参加できなかった選手も。U-20W杯の出場権を逃した時、僕らはある新聞に『谷底世代』って書かれました。それはずっと忘れていない。予選を突破して、『谷底じゃなかったですよ』と笑顔で言いたいんです」
 
 手応えは感じていた。11年3月からチームに加わると、「明るくてみんな仲が良くて、本当にいいチームだ」という印象を抱いた。「ただ仲が良いだけじゃなく、グラウンドの中では意見や主張をぶつけて、グラウンドを離れたら仲良くやれている」と話していたものである。
 
 だからこそ、「このチームで五輪に出たい」と思った。「絶対に出なければいけない」という決意を強くした。
 
 予選はいつでもタフである。ロンドンへの道のりも、例外ではなかった。クウェートとホーム&アウェイで行われた2次予選では、敵地で苦杯を舐めた。4カ国が争った最終予選でも、ライバルのシリアにアウェイで敗れている。
 
 GKは「信頼感」を大切にする。チームメートに不安を与えることは、絶対に避けなければならないと誓う。チームメートに安心感と信頼感を、対戦相手には威圧感を植え付けることが、ゴールマウスに立つ男たちの譲れない思いである。
 
 1対2でシリアに敗れた試合後には、自らを激しく責めた。シリアの1点目は、彼が弾いたボールを押し込まれた。2点目はドライブのかかったロングシュートが、権田の頭上を破った。
 
 イージーミスによる失点ではない。だが、信頼感が揺らぐことにつながってしまったと、彼は考えた。「自分の守備範囲だと思っています」と、唇を引き結んだ。
 
 最終予選の途中からは、ゲームキャプテンの肩書も背負っていた。それもまた、自らへの不満を増殖させた。チームを勝利へ導けていない、という苛立ちが募った。 それだけに、予選突破を決めた直後は笑顔が弾けた。シリア戦の敗退を糧に、チームが成長したことを喜んだ。
 
「このチームがどれだけ世界でできるのか、本当に楽しみ。笑われるかもしれないですけど、本気で優勝を目指したいと思っています」

スペインやブラジルといった強豪国と対戦したい

 
 ロンドン五輪では、強豪との対戦を熱望する。
 
 組み合わせが決まる直前に取材を受けると、「どこも強いですから、どこでもいいです。でも、俗に言う強豪国とはやってみたいですね」と声を弾ませた。メダルへの意欲を、ここでも隠さなかった。「決勝戦まで行けば当たれるでしょうけど、僕たちは決勝まで行くんですけど、スペインとかブラジルが途中で負けてしまうかもしれない。そういう強豪国と、大会を通じて対戦したい、という気持ちはあります」
 
 今回の五輪には、なでしこジャパンが有力なメダル候補として挑む。周囲の期待は彼女たちに集まりがちだ。関塚隆監督率いるチームの動向は、なでしこたちと常に比較される。
 
 グループステージの対戦相手は、スペイン、ホンジュラス、モロッコに決まった。世界王者の遺伝子を継承するスペインはともかく、ホンジュラスとモロッコは国際大会での実績が乏しい。グループステージ突破の可能性はある、と言われるゆえんだ。
 
 そうした前評判もまた、彼らをシビアな現実へ追い詰めていく。良いサッカーをしても、メダルに届かなければ批判が待っているに違いない。価値ではなく数値こそが求められる。
 
 初めて立つ世界の舞台で、権田はどんなプレーを見せてくれるのだろう。チームの勝利に貢献するという一念が、燃えたぎる闘志となって彼を突き動かしていくはずだ。
 
 見る者が思わず目をつぶりそうな危機を、ひやりとするほどの冷静さで摘み取っていく。勝つことの喜びだけでなく、負けた悔しさをも通じて逞しくなったチームの中心に、背番号1を着けた権田がいる。

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戸塚 啓(とつか・けい)
1968年生まれ、神奈川県出身。法政大卒業後、サッカー専門誌編集者を経て、98年フリーに。著書に『ミスターレッズ 福田正博』(ネコパブリッシング)、『青の進化 サッカー日本代表ドイツへの道』(角川文庫)、共著に『敗因と』(光文社)がある。スポーツライターとして様々な媒体に原稿を執筆するかたわら、解説者としても活躍している。昨年12月には『不動の絆~ベガルタ仙台と手倉森監督の思い』(角川書店)を上梓。昨年4月からはライブドアにてメールマガジン『戸塚啓のトツカ系サッカー』もスタート。月額500円で配信中。


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