2012.06.26

乾貴士、疾走の1年を総括。2年目の舞台はブンデス1部のフランクフルトへ

ワールドサッカーキング 2012.06.21(No.220)掲載]
 華麗なボールタッチから一瞬で加速して相手を抜き去るドリブラー、乾貴士。ドイツ2部のボーフムで海外挑戦をスタートさせた彼は、自慢の技巧と創造性でファンを沸かせたが、好不調の波が大きくチームの不調にのみ込まれた時期もあったことも事実だ。この度、フランクフルトへの移籍合意が報じられた乾の1年目を、現地記者が総括する。
 
Text by Gunther POHL, Organization and translation by EIS, Photo by Itaru CHIBA
 
 昨年夏にドイツ上陸を果たした日本人ファンタジスタ、乾貴士が初めてボーフムのユニフォームを身にまとって試合に出場したのは昨年の8月12日。そこに居合わせたファンの誰もが“非常に特別な選手”がやって来たことに気付いた。最初の何度かのボールタッチを見た時点で、ボーフムのサポーターたちはこれほど才能に恵まれた選手を50万ユーロ(約6000万円)という移籍金で2部のクラブに迎え入れたスポーツディレクターのイェンス・トートの手腕を口々に称賛したのだった。
 
 この小柄で俊敏な攻撃的MFが最も輝きを見せた試合と言えば、昨年12月20日に行なわれたポカール(ドイツカップ)でのバイエルン戦だろう。前半に1点をリードしたボーフムは、後半に追い付かれた後も粘り強い戦いでバイエルンを最後まで苦しめた。後半ロスタイムにアルイェン・ロッベンに決勝弾を許し、惜しくも1ー2で敗れたが、この試合で規律正しさと激しさ、そして奔放な創造力を発揮した乾のパフォーマンスは際立っていた。
 
 華麗なボールタッチで中盤のプレスをくぐり抜け、素早い状況判断からカウンターの起点となる有効なパスを出す。そして一対一では積極的に仕掛けてチャンスを作り出す。バイエルンを慌てさせた先制ゴールも、右サイドでボールキープした乾のスルーパスから生まれたものだった。
 
 日本ではウインガーとしてプレーしていた乾だが、ボーフムではそれ以上の存在と言える。守備時には自陣まで下がり、奪ったボールを引き出して展開するゲームメーカーの役割も担っていたのだ。攻撃の起点となるパスを出した後はサイドへと走り、今度はドリブルで切り込んで行く。つまり、組み立てと崩しという2つの局面でキーマンとなっていたのだ。
 
 バイエルン相手にこれだけのプレーを見せたのだから、その実力はブンデスリーガ1部でも十分に通用すると見ていいだろう。もっとも、それだけのクオリティーをシーズンを通して発揮することはできなかったが……。
 
■順風満帆のスタートと終盤戦の不安定な出来
 
 2011ー12シーズン、ボーフムはシーズン途中での監督交代など混乱が続き、終始2部の中位をさまよい、昇格を逃してしまった。ただ、移籍1年目にして30試合に出場し、7得点4アシストを記録した乾には十分に合格点が与えられる。
 
 もっとも、1年目のシーズンを振り返ると、乾は順風満帆のスタートを切ったものの、シーズンを通してすべてがうまくいったわけではない。特に終盤の数カ月はピッチ内外の問題に悩まされ、それまでのようなパフォーマンスが影を潜めた。
 
 マイナス要素の一つは、冬の移籍市場で兄貴分的な存在だったチョン・テセが退団(1部のケルンに移籍)してしまったことにある。加入からの数カ月間、ドイツ語の習得に苦労していた乾を助けたのがテセだった。練習や試合のハーフタイムで、テセはたびたび乾の通訳となり、コミュニケーションの面をサポートしていた。公私ともに頼りになる存在だったテセの退団が、乾のプレーに少なからず影響を与えたのは間違いない。
 
 また、試合を重ねることで明らかになったのは、乾はボールを保持した際のオフェンシブなプレーには長けているものの、守備でのポジショニングに課題があるということだった。サッカーは攻守が交互に入れ替わるスポーツであり、攻撃が失敗すれば、すぐに守備に転じる必要がある。だからこそ、攻撃的な選手であってもボールを失った際には、即座にボール奪取に向けて頭を切り替えなければならないのだが、彼にはその意識が欠けているように見えた。この1年で守備のポジショニングの意識はかなり進歩したが……。また、ドイツサッカーの2部リーグというフィジカルコンタクトの激しいサッカーの対応に苦労していたのも隠せなかった。
 
 加入当初の素晴らしいパフォーマンスにより急上昇した乾の評価は、シーズン終盤になるとブレーキが掛かった。それはチームの歩調とも一致する。シーズン途中に主力の何人かがケガで戦列を離れ、それがチーム全体のパフォーマンスに深刻な影響を及ぼし、乾もその影響と無縁ではいられなかった。トートSDはこの時期の不調をこう説明している。「終盤はケガ人が多くてスタメンを固定できず、チームの出来もひどいものだった。乾をサポートできる選手がおらず、それが彼自身のパフォーマンスを低下させた。攻撃的な選手を機能させるために必要な駒が足りなかったんだ」
 
 第23節以降は11試合勝ち星なしと深刻な状況に陥った。そんな中、乾はチームのスランプ脱出のため、独力で局面打開を図ろうとしたが、それが裏目に出てしまう。個の力を押し出すことで、チームのメカニズムの中からはじき出される格好になってしまったのだ。乾は卓越した個人技を備えており、それはボーフムの中では突出したレベルだったが、サッカーは一人の力で勝てるほど甘いスポーツではない。結局、個人プレーに走ったことで、チームの攻撃をリードするという役割を果たせなくなってしまった。何の手立てもないまま黒星を重ねていくという最悪のチーム状況の中、乾を責める者は誰一人いなかったが、チームが機能していない以上、彼の評価が上がることもなかった。
 
■クリエイティブよりダイナミックな印象
 
 ボーフムのアンドレアス・ベルクマン監督は、乾の長所について多くを話したがらない。ただしその理由は、ゲームメーカーにしてチャンスメーカーである乾の能力に物足りなさを感じているからではない。多くのライバルチームが目を光らせている中で、素晴ら
しい潜在能力を秘めた24歳の日本人MFの長所を隠しておきたいという意思が働いているからだ。ボーフムは2部に属してはいるが、昇格候補の一つである。乾を相手チームから隠したいと思うのは当然のことだ。ただでさえ鋭いフェイントからゴールに切り込む乾のプレーは派手で、人々の目を引くのだから……。
 
 それでも、何も話そうとしないわけではない。ライバルチームの関係者がいない場所となれば、指揮官はサポーターの一人であるかのように乾を「タカ」と呼び、称賛を惜しまない。「タカはクリエイティブな選手だ。テクニックに長けていて、瞬発的なスピードもある。運動量も豊富だし、試合の流れを読む力も持ち合わせている」
 
 筆者のイメージは、クリエイティブというよりはダイナミックだ。乾はチャレンジを好む。自らのプレーで相手の守備陣内に切り込んでいく勇気を持ったプレーヤーだ。その大胆なプレーは、しばしばボールを失うリスクをチームにもたらすことになるが、ベルクマン監督はそれにも理解を示している。「ドリブルやパスで大胆に仕掛ける以上、中盤でボールを失うこともある。だが、タカのひらめきがビッグチャンスを作り出すこともある。タカがチャレンジすることによって生まれる穴は、チーム全体で埋め合わせればいい。そうすることでリスクをコントロールできればと考えているよ」
 
 乾はそのテクニックと創造性でファンを楽しませる選手だが、しばしばピッチ外の出来事で新聞の見出しを飾っている。彼が日本からボーフムへ戻って来る時、チーム広報のオフィスで彼を待ち構えているのはファンレターだけとは限らない。最近ではボーフム警察から呼び出しの告知が届いていた。その理由は、ボーフムのファンタジスタがサッカーと家族の次に愛する“携帯電話”にあった。彼は車の運転中に携帯電話を使用したことで、ドイツの道路交通規則に違反したのだ。
 
 また、たった一度ではあるが、極めて危険な状況に出くわしたこともある。敵地の1860ミュンヘン戦で3ー1の勝利を収め、最終的に「シーズンで最も内容のある試合だった」とファンに記憶される昨年11月5日の試合後のことだ。前半8分に先制点を挙げ、チームの勝利に大きく貢献した彼は有頂天になっていた。夫人と息子が試合観戦に訪れていたこともあって、乾はチームと離れて家族とともにミュンヘン観光をする許可を与えられた。そこで彼は、ボーフムのジャージ姿のままでアリアンツ・アレーナからタクシーに乗り込んでミュンヘン市内へと向かったのだ。
 
 中心部でタクシーを降りた彼は、周囲を取り囲む大勢の警官の人数に圧倒された。何があったのか? そこはミュンヘンとボーフムのサポーターグループ同士が対峙する現場であり、警官隊はその衝突を止めるべく出動していたのだ。この緊張した空気の中で、ベビーカーを押した乾が、にらみ合う2つのグループの間を通り抜けようとしている。それを見たボーフムのサポーターグループのリーダーは、心臓が口から飛び出しそうになったそうだ。結局、このリーダーがミュンヘン警察の助けを得て乾ファミリーを危険地帯から無事に連れ出した。乾に非があったわけではないが、ここは街の真ん中で居眠りをしても安全な日本ではない。最近のドイツサッカーにはかつてのような流血騒ぎとは無縁だが、サポーター同士の衝突が全くないわけではない。ボーフムのジャージ姿で敵地を歩くようなリスクは避けるべきだ。
 
■ドイツ2年目、乾は1部の舞台へ
 
 ベルクマン監督とトートSDが乾を高く評価していたのは確かだ。ベルクマン監督は乾
が即座に1部でも通用する選手だと太鼓判を押している。「タカはまだまだ成長していける選手だ。もっとレベルの高い場所でプレーすれば、更なる成長が見込める」と語るほどである。これにはトートSDも同意見で、「周囲のレベルが上がれば、タカの個人技はより効果的に発揮されるだろう」と述べている。
 
 1部に返り咲いたフランクフルトへの移籍合意が報じられた乾。ドイツ1年目の乾を見守ったベルクマン監督とトートSDの言葉が正しいか否かは、これから乾自身が証明していくことになる。

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【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING @SoccerKingJP』の編集長に就任。

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