2012.05.02

モロジーニが歩んだ25年の生涯。誰よりも家族を思い、誰よりもサッカーを愛した男

ワールドサッカーキング 2012.05.17(No.214)掲載]
 2012年4月14日のペスカーラ対リヴォルノ、一人の若き選手がピッチに倒れ、搬送先で尊い命を落とした。死因は今のところ明らかになっていないが、ただ一つ言えるのは、彼が誰よりも家族思いで誰よりも強い男だったということ。ピエルマリオ・モロジーニ。あまりに過酷な生涯をつづる。

文=ミケーレ・チビオーネ、翻訳=弓削高志

■倒れたモロジーニを相手選手も必死の救助

 ピエルマリオ・モロジーニは、なぜ亡くなってしまったのか。現時点で誰もその正確な理由を知らない。

 2012年4月14日のセリエB第35節。敵地ペスカーラに乗り込んだリヴォルノは、12分までに2点をリードしていた。しかし31分、アドリアティコのピッチにMFモロジーニがよろめきながら倒れ込んだ。彼は2度立ち上がろうとしたが、彼のひざは言うことを聞いてくれなかった。

 主審が試合を止める前にチームドクターとマッサーが飛び出していた。ピッチ上で急きょ心臓マッサージと人工呼吸が始められ、敵味方関係なく選手たちは「審判、止めろ!」と口々に叫んだ。グラウンドへ救急車両が着いたのは、モロジーニが倒れてから約5分後。グラウンドに通じる救急車両搬入口をふさいでいたのはこともあろうに、違法駐車していた1台の市警察車両だった。ダミアーノ・ザノンら相手選手がスチュワードと協力して人力で車を移動させると、19歳のマルコ・ヴェッラッティは救急車からいち早く担架を運び出し、モロジーニを全速力で運んだ。ペスカーラの選手たちはわずか2週間前に、GKコーチのフランチェスコ・マンチーニを心臓発作で亡くしたばかりだった。

 緊急搬送先のサント・スピリト病院に着いた時、モロジーニの心臓は完全に停止していた。緊急手術により、ペースメーカーが埋め込まれたが鼓動は戻らず。グラウンドで倒れてから1時間25分後の16時56分、モロジーニはわずか25年の生涯を閉じた。

 訃報は瞬く間にイタリア全土を駆け巡った。どこよりも大きな動揺が走ったのは、今年1月まで在籍し、今もモロジーニの保有権を持つウディネーゼだった。

 同日夜にインテル戦を控えていた選手たちは全員ショック状態に陥り、主将アントニオ・ディ・ナターレはフランチェスコ・グイドリン監督の下へ出向くと「今夜はプレーできない。できるわけがない」とプレーする意思がないことを伝え、指揮官もこれを承諾。ウディネーゼもリーグ協会からの処分覚悟でインテルへ試合辞退を申し入れた。その頃には事態の重大さに気づき、いち早く反応したイタリアサッカー協会がこの週末の全リーグ戦中止と延期を決定した。即時中止となればチケットの払い戻しやテレビ放映のリカバリー、日程の再編成や各クラブ間の利害調整など膨大な問題が後にのしかかるのは確実だ。それでも協会は「我々は血も涙もない火星人ではない」と、関係者の心情をくんだ。

 同協会がリーグ戦の即時中止を決断したのは、過去に3度しかない。1995年にジェノヴァで起きたサポーター刺殺事件が最初で、2005年の前法王ヨハネ・パウロ2世の死去が2度目。今回、協会が下した決断は2007年のカターニア暴動で起きたフィリッポ・ラチーティ警部死亡事件に続く4度目のことだった。協会の英断は、選手や監督はもちろん、各クラブの上層部からも快く賛同を得るものだった。

■悲しみに暮れる元チームメートたち

 モロジーニの名がトップニュースで報じられ、彼の過酷なプロフィールが次第に明らかになるにつれ、人々は言葉を失っていった。

 モロジーニは周囲の同世代と比べ、明らかに老成していた。その生い立ちからすれば無理もない。10代で母カミッラを亡くし、2年後には父アルドも逝去。叔母の元に身を寄せたモロジーニは、重度障害者の兄フランチェスコと姉マリア・カルラの介護をしながら、アタランタの下部組織で才能を磨いた。

 2005年にはウディネーゼに保有権を買い取られ、イタリアのユース代表にも名を連ねるようになったモロジーニには、好条件のオファーがいくつか舞い込んだが、「介護があるから」との理由で兄と姉が住む地元のベルガモから離れることを拒否。遠隔地からのオファーには一度として首を縦に振ることはなかった。

 数年前には兄まで亡くしてしまったが、2009年に出場したUー21欧州選手権では気丈に振る舞った。当時のチームメートたちは一様にその早すぎる死を悼んだ。

「あいつはイイやつだった。本当にイイやつだったんだ。命の大切さってやつを改めて考えさせられた」(マリオ・バロテッリ/マンチェスター・シティ)

「喪失感しかない。ピエルマリオのことを思うと胸が痛くてたまらない。何で彼のような強い男がこんな目に遭わなくてはならないんだ?」(アンドレア・ラノッキア/インテル)

「ショックで混乱している。人生つらい時でもどうすれば笑っていられるか、いつだって僕たちに教えてくれたのが彼だったのに……」(マルコ・アンドレオッリ/キエーヴォ)

 モロジーニの死の翌日、リヴォルノのホームスタジアムであるアルマンド・ピッキには数百の献花が寄せられ、数千人のサポーターが集った。悲しみに憔悴したリヴォルノの選手たちも、ベテランのシモーネ・バローネを中心に寄り添う姿を見せ、「彼にはいつも笑顔があった。それを忘れずにいたい」と声明を発表した。

 その後、リヴォルノは彼の背番号25を永久欠番にすると発表。2007年から2年間プレーした古巣ヴィチェンツァもそれに続いた。好んで身につけていた25番は、かつてラツィオやパルマ、インテルで活躍した元アルゼンチン代表のマティアス・アルメイダにあやかったものだ。ただし、「25」は今後、モロジーニの背番号として多くの人々に記憶されるだろう。そして、出身地のベルガモのみならず、イタリア全土のあらゆるグラウンドにもモロジーニの名が刻まれるはずだ。

 各年代のイタリア代表でプレーしたこと、延べ7チームを渡り歩いたことから、モロジーニの元チームメートたちはイタリア中にいる。彼を知る誰もが「不幸な生い立ちにめげることなく、健気で明るいやつだった」と口をそろえた。

 育成の名門アタランタで成長したモロジーニは、将来を期待されていた若手の一人だった。中盤でのボールさばきやアシストセンスに光るものを持っていた彼が18歳になる頃には、当時パルマに在籍していた同じ86年組のルーカ・チガリーニ(現アタランタ)とともに、“ピルロ2世”と呼ばれるようになった。

 その後、チガリーニはサイドハーフとしてもプレーする幅を身につけたのに対し、モロジーニは一流プレーヤーへ飛躍する転機を喪失。繊細で優しすぎたモロジーニは、狡猾さや野心、エゴとは無縁の存在だった。それこそが真のトッププレーヤーになるために欠けていた彼の決定的な弱点だったのだ。聡明な彼なら恐らくそれを悟っていたに違いない。だが、“その他大勢”に埋没しても介護が必要な姉を抱え、地元から遠く離れることを拒み続けたモロジーニを責める人間は誰もいない。

■徹底的に整備されたイタリアの検査体制

 今年3月のFAカップ準々決勝で心臓発作によって倒れたボルトンのファブリス・ムアンバは奇跡の生還を果たしたが、2007年にはスペインでアントニオ・プエルタ(当時セビージャ)が、スコットランドではフィル・オドネル(当時マザーウェル)が続けて亡くなるなど、試合中の突然死は欧州各国リーグで後を絶たない。

 イタリアでは、法制化された厳密なメディカルチェックがクラブ側に義務づけられており、重大疾患の予防検査体制としては他国より厳重な部類に入る。昨年の夏にアヤックスからジェノアへの移籍が決まり掛けていたエヴァンデル・スノとの交渉が突如破談になったのは、この制度によるものだ。埋め込み式の小型除細動器を体内に移植しているスノは、オランダではプレーの認可が下りても、コンディション管理に慎重を期すイタリアでのプレーは認められなかったのだ。

 スポーツ医療の現場からはイタリアの先進性が称賛されており、イタリア・スポーツ医師協会はこの成果を次のように強調している。

「我が国のスポーツ選手の突然死は過去20年間でどんどん減少しています。一つの死の裏には、法制化された検査体制によって救われた数百の命があるのです」

 今シーズンよりMLSのモントリオール・インパクトでプレーする国際派のベテランFWベルナルド・コラーディはこう訴えている。「MLSに来て契約書にサインしたら、何のメディカルチェックも受けることなく試合に出された。イングランドでも同じ経験をしたよ。今までにいろいろな国のリーグでプレーしてきたが、イタリアほど検査体制が厳重なリーグは知らない」

 昨年まで在籍したウディネーゼでモロジーニと親交が深かったコラーディは訃報の翌日、MLSでの初ゴールを天国の友人に捧げている。

■モロジーニの人徳が残された姉を救う

 モロジーニの死因は司法解剖を経た今も特定されていない。当初疑われていた動脈瘤破裂、もしくは心筋梗塞の可能性は否定された。研究機関での精密検査を待っている状態だが、父親も突発的な心臓発作で亡くなっていることから、遺伝的要因の可能性が指摘されている。

 今回の事故は、スタジアム敷地内に違法駐車された市警察車両が救急車両のグラウンド搬入口をふさいだことで、救助の初動が遅れるという当局の失態があった。地元検察は過失致死の疑いで捜査を開始し、既に違反駐車していた警官は自主停職している。

 ベルガモの養護施設に1人残された姉マリアカルラには、手厚い保護の手が差し伸べられる。モロジーニが両親と兄のところへ旅立った翌日、ウディネーゼのオーナーであるジャンパオロ・ポッツォの妻ジュリアーナ・リンダ夫人が、生涯にわたってマリア・カルラをサポートする非営利団体を設立。イタリア・サッカー協会が音頭を取る支援の輪は選手協会を始め、ヴィチェンツァやアタランタといったモロジーニの古巣クラブを中心に広がっている。彼が生前に示してきた人徳が、死後も姉を救ったのだ。

 イタリアのサッカー専門誌『グエリン・スポルティーヴォ』に掲載されたインタビューを読み返すと、ウディネーゼと初めてプロ契約を結んだ時の彼は既に成熟した大人だったことが分かる。

「時々こう自問するんです。『なぜ自分ばかりに不幸が起こるんだ』と。もちろん答えが見つかることはないですよ。様々な不幸は確かに人生を左右します。けれど、同時に怒りのパワーが体内からこみ上げ、夢を実現するために全力を尽くすことを教えてくれる。両親のためにもいいサッカー選手になりたい。そうすればきっと彼らも喜んでくれるだろうし、僕は末っ子ですが、これからも兄と姉を支えていきます」

 ピエルマリオ・モロジーニは、なぜこの世を去ったのだろうか。恐らく答えは永遠に出ないし、出たとしても彼は還って来ない。ペスカーラ対リヴォルノは5月15日に再戦するが、そのピッチにモロジーニの姿はない。

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【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING @SoccerKingJP』の編集長に就任。
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