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断たれた道、待ち受ける岐路~アジア選手権 ブラインドサッカー日本代表の真実

2012.01.14
文・写真=岡田仁志

「誰か責任を取らな、アカンでしょ」

 第4回ブラインドサッカーアジア選手権の閉幕から、2週間後。日本代表監督の風祭喜一は、進退に関する私の質問に、そう答えた。ボールの蹴り方も知らない選手たちの指導に携わって10年、代表監督に就任して6年。当初は「こんなんでサッカーになるんかいな」と頭を抱えた風祭だが、選手たちは少しずつ、それを「サッカー」に仕立て上げていった。アジア選手権2ヵ月前の仙台合宿では、「こいつら、俺が酒飲んどるあいだに、勝手に上手くなりよる」と監督の目を細めさせる成長ぶりも見せた。風祭がふと漏らした「4年前にこのチームだったら……」という呟きは、本音だろう。敗北の反省を生かしてチームを強化し、次の大会に挑むたびに、対戦相手もさらにレベルアップする。風祭の監督生活は、そのくり返しだった。取材を始めてから5年、私にはときどき、風祭のチームが、亀を追いかけるアキレスのようにも見えた。

中国戦

 11月下旬の壮行試合まで、日本チームは――エース黒田智成の故障を除けば――しっかりと歯車が噛み合った状態で、順調に歩を進めていた。思わぬ躓きが生じたのは、本番の3週間前。大会使用球が選手たちに届いたときだ。

 内部に金属の音源を仕込んだブラインドサッカー専用ボールには、ブラジル製、スペイン製、韓国製、ベトナム製、中国製など、いくつかの種類がある。国際大会ではブラジル製やスペイン製を使用することが多い。

 新作の国内メーカー製ボールは、本来、日本選手にホーム・アドバンテージをもたらすはずだった。初めて扱うボールは、音、重さ、表面の触感などに選手が慣れるまで時間がかかる。「もっと早く使い始めたかった」というのが多くの選手の本音だが、たとえ3週間でも、他国より早く馴染むことができるのはありがたい。

 しかし完成したボールは、いささか意外な仕上がりだった。夏の合宿練習で使用した試作品とは、表面のコーティングが違う。試作段階では選手たちが形状や弾み方などに関する修正意見を出したが、コーティングはそれに基づく変更ではなかった。おそらく、最終的にデザインを決める過程で選択されたのだろう。光沢があって美しいが、見えない選手には関係がない。

 その新ボールが届いた直後の自主練習会で、深刻な問題が発覚した。その日は雨天で、ピッチが濡れていた。なめらかなコーティングを施したボールは水に濡れるとツルツルと滑り、足元に収まらない。足の裏で手前に引こうとすると、向こうに逃げてしまう。ドリブルシュートの練習では、足の裏を使うテクニシャンほど、日頃はあり得ないコントロールミスに苦しんだ。苛立ちを隠せず、「自分がヘタクソだからいけないんだ!」と吐き捨てる選手もいた。GK佐藤大介は「キャッチは無理だから弾き出すしかないですね」と言った。

 落合啓士はその日から、あらためて雨天用のドリブル方法を考え、本番に間に合わせるべく予定外の練習を始めた。落合だけではない。多くの選手が、大会直前の重要な調整期間を、扱いにくいボールとの格闘に費やさざるを得なかった。開催地の仙台は、降雪や霜の影響が懸念される。ずっと練習で慣れ親しんできた中国製ボールを使ったほうがいい――そう思った選手は、1人や2人ではない。

 10月下旬に右膝の十字靱帯を損傷した黒田は、代表チームのマネージャーでもある妻の黒田有貴から、雨天の自主練参加を止められていた。右膝を痛めたのも、雨の日だったからだ。関東リーグの試合で、水を吸った重いボールを何度も思い切りシュートした黒田は、その疲労を残したまま、同じ会場で行われた大学生相手の体験イベントに参加。そこで、ドリブルや切り返しなど得意のテクニックを披露した際のアクシデントだった。

 それから1ヶ月間、黒田はボールに触ることを医師に禁じられた。ブラインドサッカーを始めて以来、そんなことは一度もなかった。「正直、焦っていました」と黒田は言う。だから、新しいボールに少しでも馴染むために、外出中の妻に黙って練習会に参加した。滑って逃げていくボールを追いかけたとき、伸ばした左足の太腿を痛めた。十字靱帯損傷と、肉離れ。日本のエースは、両足に不安を抱えたまま本番を迎えることになった。

 12月17日に仙台入りしたチームは、2日間、泉区松森のフットサル場で練習を行った。周囲には残雪があったが、天井のあるコートは乾いており、ボールに関する問題は感じられない。多くの選手が、以前の練習よりも威力のあるシュートを放っていた。続く19日と20日には、初めて大会会場の元気フィールド仙台で練習を実施。20日の練習途中には、選手の練習用に配布されたボールとはややデザインの異なる大会公式球が、チームに提供された。

 そこで再び、問題が発生した。ボールの音が、ほとんど鳴らなかったのだ。

 はっきりした理由はわからない。翌日からはふつうに鳴るようになったので、「おろし立てだと鉛の玉が動きにくいのだろう」と言う関係者もいる。いずれにしろ20日の時点では、翌日から鳴るようになるとは誰も思わない。この大会が、最初から最後まで「鳴らないボール」で行われると考えるのが当然だ。ブラインドサッカーの選手にとって、それは「消える魔球」に等しい。

 チームは練習メニューの変更を迫られた。その日はセットプレイの確認作業が予定されていたが、そんなことをしている場合ではない。ボールに慣れるため、各自がドリブルやボールタッチの練習をする時間を作らざるを得なかった。翌21日の公式練習は対戦国が視察しているので、CKやFKを見せるわけにはいかない。コーチ兼コーラーの魚住稿は「得点の可能性はセットプレイがいちばん高い」と考えていたが、その練習は最後まで現地で行うことができなかった。

 会場の元気フィールド仙台(仙台市民球場)は、野球場である。試合用のピッチは、そのライト側の外野部分に用意された。人工芝は、ふだん日本選手たちが使用しているフットサル場よりもかなり深い。そのためボールが止まりやすく、両足ではさんでドリブルをする際に、引っかかりを感じた選手が何人もいた。

 佐々木康裕と山口修一は、表面のなめらかなボール自体は「ドリブルしやすい」と感じていた。だが、深い人工芝がその邪魔をする。ボールを置き去りにして前に進んでしまう「忘れ物」が増えた。フットサル場の練習では好調な動きを見せていた加藤健人も、長い芝には最後まで苦しんだと言う。ボールもピッチも、ホーム・アドバンテージにはならなかった。自国開催とはいえ、仙台の厳しい寒さも、関東・関西・九州から集まった選手たちにとっては、むしろアウェイ感のほうが強かっただろう。

>>次ページ 「手応えと課題の残った中国戦」

◇ブラインドサッカー日本代表 ロンドンへの道
第1回 ホームでのアジア選手権開催を10周年の集大成に
第2回 5度目のパラリンピックを目指す48歳の挑戦
第3回 声の世界」のポジショニング
第4 「個の力」を生かすサッカーを
第5回 壮行試合で見えた収穫と課題
第6回 アジア選手権公式練習で見えた各国の戦力

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