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日本アンプティサッカー選手権、初代チャンピオンはFCガサルス

2011.12.05

日本アンプティサッカー選手権

文・写真=岡田仁志

「左脚は2007年、24歳のときに交通事故で失いました。高校まで本格的にサッカーをやっていましたが、そこでいったんプレイは諦めましたね」

 高校時代、加藤誠のポジションは左ハーフだった。もともとは右利きだが、「左でも蹴れたほうがレギュラーを取りやすいと思って」そちらを練習したと言う。その左脚を切断した後、「走れる義足」があることを知った加藤は、いつかそれでフットサルをやることを目標にリハビリに励んだ。実際、いまも高校時代の仲間と「趣味程度に」フットサルをプレイしている。

「去年、アンプティサッカーに誘われたときは、義足を外してサッカーをするなんて想像がつきませんでした。『そんなのサッカーじゃない』と思って、最初は断ったんです。でもYouTubeでブラジルから来たヒッキのプレイを見て、練習に参加することにしました。やってみると、義足よりもこちらのほうが動けるんですよ。義足だと、どうしても出足などが健常者よりも遅くなるので、同じ条件でやったほうが楽しいです。クラッチをついて走ると、腕よりも背中がキツいので、筋トレが大変ですけどね。上半身を鍛えるために、毎朝プールに通っています」

加藤誠
加藤誠(FC九州バイラオール)の豪快なシュートフォーム

 アンプティ(切断者)サッカーは、片脚を切断した者がクラッチ(ロフストランドクラッチ=医療用の杖)をついてフィールドを駆け回り、片腕を切断した者がGKを務める7人制サッカーだ。1980年代の後半に誕生し、世界大会も数多く行われている。基本ルールはフットサルと同じ。ただしクラッチでボールに触れると「ハンド」、GKはペナルティエリアから出てはいけない(そうしないと両足のドリブルで攻撃できてしまう)、スローインはできないのでキックインでリスタートする等、特別なルールもある。切断した足や腕も(膝や肘まで残っていても)プレイに使用してはいけない。

 日本国内には長くチームが存在しなかったが、2010年4月、国内初のクラブチーム「FCガサルス」が誕生した。日系ブラジル人3世の「ヒッキ」ことエンヒーキ・松茂良・ジーアスが来日したのが、そのきっかけだ。ヒッキは13歳だった2003年にブラジル杯で最優秀新人賞を獲得し、2007年には日系人として初めてブラジル代表にも選ばれた、ワールドクラスのプレイヤーである。

 ヒッキを中心としたFCガサルスは、結成から半年後の2010年10月、そのまま「日本代表」として、アルゼンチンで開催された第8回ワールドカップに出場。最後のフランス戦でヒッキが1ゴールを挙げたものの、5戦全敗(得点1、失点28)という成績に終わった(優勝はウズベキスタン。2位アルゼンチン、3位トルコ)。国内には対戦相手がおらず、まともに試合をするのも初めてだったのだから無理もないだろう。

 切断者は同じ障害を持つ人々のコミュニティがほとんど存在しないので、選手の発掘は容易ではない。ある選手は「闇にまぎれて生きている未来の選手を探すのは大変です」と苦笑する。義足で歩いている若い人を見かけると、つい声をかけたくなってしまうそうだ。しかし関係者の熱心な普及活動によって、昨年、神奈川県にTSA FCが誕生。今年7月には、加藤が主将を務めるFC九州バイラオールも結成された。選手が足りないため、ガサルスの一員だった鹿児島出身の上中進太郎もバイラオールに移籍し、福岡での練習に東京から何度も駆けつけた。

 その3チームによって実現したのが、12月3日にフロンタウンさぎぬまで開催された第1回日本アンプティサッカー選手権大会である。前夜からの雨でクラッチが滑ることが懸念されたが、午後からは晴れ、白熱した試合がくり広げられた。

日本アンプティサッカー選手権
1バイラオールの萱島比呂(左)とガサルスの根本大悟の競り合い 2TSA戦でゴールを決めて喜ぶ加藤誠と星川誠 3エンヒーキ・松茂良・ジーアス(FCガサルス)のFK 4驚きのプレイの連続に、観客からは感嘆の声が上がった 5ピッチサイズは約60m×40m。ゴールもフットサルよりやや大きい 6優勝したFCガサルスの新井誠治主将(右)と春田和陽選手

 第1試合は、バイラオールが7-0でTSAに勝利。高校生の萱島比呂、大学生の星川誠、加藤の3人が前線でスピーディにパスを回しながらゴールに迫り、最後方では上中を中心とした守備陣が献身的に走り回るバイラオールの組織的なサッカーは、とても「全員での練習は3回しかしていない」(加藤)とは思えなかった。

「正直、あそこまでやれるとは思わなかったです」と加藤が言う。「でも若い2人はもともとサッカーの経験があるので、初めて一緒にやったときから、『ここに走り込めばパスが来るな』というのはわかりました。比呂君は去年、病気で切断したばかりなんですけどね」

 そのバイラオールと、第2試合でTSAを8-0で下したFCガサルスとの第3試合が、初代チャンピオン決定戦となった。前半に大越大のゴールで1点を先制したガサルスが、後半もヒッキの連続ゴールで3-0とリード。やはりガサルスに一日の長があるかと思えたが、そこからバイラオールの猛追が始まる。3人のアタッカーが豪快な走りで攻め込み、加藤と萱島のゴールで3-2。日本一決定戦にふさわしい緊迫した試合展開となった。

「何やってんだよ!」

 ここで、クラッチを振り回しながら大声で味方を叱咤した男がいる。それまで和やかな雰囲気が流れていた試合会場が、チャンピオンシップを懸けた真剣勝負の場であることを観衆に再認識させたのは、ヒッキだった。本人が言う。

「先制点を取ってからチームのムードも良くなっていたんですけど、失点してからはテンションが下がってしまった。でも、勝つためにはそれじゃダメ。最後まで頑張らなきゃいけない。そのことを、みんなに伝えたかったんです」

 そこからは、さながらヒッキの「FKショウ」だった。まず、ゴール左の角度のない位置から、狭いコースを弾丸のようなシュートで撃ち抜いて4-2。本人は「思い切って蹴ったらたまたま入った」と言うが、勝負への執念を感じさせる「怒りの一撃」だった。さらに距離のある右45度からフワリと決めて5-2。そのままガサルスが勝って初代王者となり、チーム13点のうち11点を決めたヒッキは得点王とMVPに輝いた。

「自分では8点ぐらいだと思ってたので、終わってから11点と聞いてビックリしました(笑)。でも今日は僕のことより、初めて日本で本物の試合ができたことが嬉しい。日本でアンプティサッカーを始めてから1年半ですが、みんなうまくなりました。とくにバイラオールは、ガサルスよりも上手にボールを回していたので驚きましたよ。あの3人の攻撃は、自分もディフェンスに戻らないと止められなかった。でも、たしかに日本は成長しましたが、世界レベルにはまだまだ届きません。これからもチームを増やして、もっと日本を強くしたいです」

 来年、イランで開催される予定のワールドカップに、日本代表は再び出場する。去年は国内でプレイしている選手ほぼ全員が「代表選手」という状態だったが、競技人口が増えるにつれて、代表入りをめぐる競争も激しくなるに違いない。2度目のチャレンジで日本チームがどんなプレイを見せてくれるのか、実に楽しみである。

【岡田仁志(おかだ・ひとし)】1964年北海道生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。深川峻太郎の筆名でもエッセイやコラムを執筆し、著書に 『キャプテン翼勝利学』(集英社インターナショナル)がある。2006年からブラインドサッカーを取材し、2009年6月、『闇の中の翼たち ブラインド サッカー日 本代表の苦闘』(幻冬舎)を上梓。

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