2015.01.26

セリエA通算200ゴールを達成した37歳の大ベテラン…ディ・ナターレがその先に見据えるものとは?

[ワールドサッカーキング2月号掲載]

アントニオ・ディ・ナターレ(ウディネーゼ/元イタリア代表)

昨シーズン途中に一度は「現役引退」を表明したストライカーが
自らの決断を覆して現役を続行、今シーズンも変わらずゴールを量産し続けている。
37歳の大ベテランを突き動かしているものとは果たして何なのか。その心境に迫った。
ディ・ナターレ
インタビュー=アダルベルト・シェンマ
翻訳=高山 港
写真=ゲッティ イメージズ

ロビーはずっと目標にしてきた選手

まずは、セリエA通算200ゴール達成おめでとう。ロベルト・バッジョの記録にあと5ゴールと迫ったことで、現役続行へのモチベーションも高まっているのでは?

ディ・ナターレ バッジョの記録は今シーズンの目標の一つだ。ロビーはずっと目標にしてきた選手だからね。ある時、ロビーにこう言われたことがある。僕の目をじっと見て「君を見ていると若い頃の自分を思い出す」と言ってくれたんだ。とても幸せな気分になれたことを覚えているし、自分がそれまで歩んできたキャリアが認められたような気がしてうれしかった。つい先日もコヴェルチャーノでロビーに会ったんだ。「僕の記録を破ったら、ウディネで盛大なパーティーをやろう」と言ってくれたんだ。感激だったよ。

バッジョを抜くと、次の目標はジョゼ・アルタフィーニの216だ。更に11ゴールの上積みが必要になるけど。

ディ・ナターレ この年齢で長期的な目標を語るつもりはないよ。引退時期については家族や僕のパーソナルトレーナーを務めるパオロ・アルティコと相談することになるだろうね。今後も現役生活を続けるためには、フィジカル面だけでなくメンタルのコンディションも重要になる。ゴールへの欲求だけじゃない。その他にもいろいろとモチベーションが必要だからね。

これまでクラブと代表で積み上げてきた全301ゴールの中で、最も美しいゴールを一つ挙げろと言われたら?

ディ・ナターレ 僕の利き足は右だけど、一昨シーズンのキエーヴォ戦で決めた左足でのゴールは美しかったね。FIFAプスカシュ賞の候補にも挙げられたあのゴールだよ。あの瞬間、僕はファーサイドに開いてクロスを要求し、絶妙なボールを左足のボレーで叩き込んだ。強烈かつ正確なキックだったよ。相手GKはスペースを消していてポストとの間にはほんのわずかな隙間しかなかったけど、ボールはまさにその隙間を通過していった。(ズラタン)イブラヒモヴィッチやネイマールとともにプスカシュ賞にノミネートされたことは僕にとって大きな誇りだった。

では最も印象的なゴールは?

ディ・ナターレ アッズーリの一員として決めたゴールはどれも印象的だけど、ユーロ2012のスペイン戦で(イケル)カシージャスから奪ったゴールが最も印象的かな。何せ、あのゴールはカシージャスがあの大会で喫した唯一の失点だったからね。シュートの瞬間を今でもはっきりと覚えている。(アンドレア)ピルロからのロングフィードに反応し、ドリブルで相手DFを交わしてGKと一対一になった。最後はボールを浮かせてカシージャスを破ったんだ。

では、技術的に最も難易度が高かったゴールは?

ディ・ナターレ 数年前のレッジーナ戦でのゴールかな。40メートルくらいのロングパスを頭で受けて、ボールが地面に落ちる前にヘッドで押し込んだんだ。頭でコントロールしたボールを、そのまま頭で決める。自分でも信じられないようなゴールだったね。

では最も重要なゴールは?

ディ・ナターレ チームにとって重要だったのは2011-12シーズンの終盤、ラツィオ戦でのゴールだ。ウディネーゼはあの勝利でチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。個人的なもので言えば、やはりセリエAでの初ゴールだろうな。エンポリ時代にコモ戦で決めたゴールだ。GKはアレックス・ブルンナーで、左足でニアサイドに決めた。思えば、あれからもう12年も経ったんだね。

ディ・ナターレ

モンテッラは僕の救世主

君は10年前にエンポリからウディネーゼに移って以来、ずっとここでプレーしている。現役のフオリクラッセでビッグクラブでのプレー経験がないのは君ぐらいだけど、特別な理由でもあるの?

ディ・ナターレ ウディネの居心地がいいということさ。家族がこの町で快適に過ごしていることも重要だ。ここでは自分の持ち味であるファンタジーアを十分に発揮できるのも大きいね。恐らく、ビッグクラブでは不可能だろう。バッジョにしても、彼が能力を最大限に発揮していたのはフィオレンティーナやボローニャ、ブレッシャにいた時だった。ユヴェントスやミラン、インテルでは、常に何かしらの問題を抱えていただろう? 僕の個性はビッグクラブでは生きないんだよ。

ビッグクラブでプレーしなかったことに後悔はない?

ディ・ナターレ 自分の考えを貫いた結果さ。全く後悔はしていない。5年前にユーヴェの誘いを断った時はみんな驚いていたみたいだけどね。昨年はミランからも誘いがあったけど結局は交渉すらしなかった。ミラン首脳陣は僕がウディネを離れる気がないと、すぐに気づいたんだろうね。

昨年4月にはマルチェロ・リッピから君の代理人に電話があったそうだね。1000万ユーロ(約14億円)のサラリーにボーナスという条件で広州恒大に来ないかという誘いだったそうだけど、君はそのオファーも断っている。

ディ・ナターレ その前には(ファビオ)カンナヴァーロが電話してきて「ドバイでプレーしないか」と言われたこともある。2年間で700万ユーロ(約10億円)という好条件だった。その他、フィオレンティーナ、ローマ、ナポリ、ヴォルフスブルクなどからも誘われたけど、僕はすべて断った。大事なのは僕ら家族が既にウディネに根づいているということさ。ここでの穏やかな生活は金で買えるものじゃない。それにウディネーゼはこの10年で大きく成長した。ヨーロッパの大会も経験した僕らは、もはやプロヴィンチャーレではなくなったんだ。

君のような考え方をする選手は、サッカー界には少ないように思うけど。

ディ・ナターレ すべてはどういう環境で育ったかで決まるのだろうね。僕は素晴らしい両親と固い絆で結ばれていた。これまで記録したゴールは、すべて両親に捧げてきたと言ってもいいくらいだ。母のジョヴァンニは7年前に亡くなった。父のサルヴァトーレも昨年の10月に旅立った。亡くなる前にパルマ戦のドッピエッタを見てもらえて良かったよ。父は僕にとって特別な人だった。ナポリの救急病院の用務員として40年間働き続け、それだけでは家族を養えないとアルバイトで左官もやっていた。まじめに人生を生きた人だよ。

家族との絆が強すぎて、10代の頃にサッカー選手を諦めかけたという話を聞いたことがあるけど本当?

ディ・ナターレ 僕は13歳の時に家族と離れてエンポリに移った。でもなかなか馴染めなくて一人ぼっちの気分になっていた。重度のホームシックになっていたのさ。ある日、僕は電車に飛び乗って両親の下へ戻った。その時は何もかもどうでもよくなっていて、とにかく両親や4人の兄弟と幸福な人生を歩みたいと思っていたんだ。でもそんな時、“救世主”が現れた。

それはヴィンチェンツォ・モンテッラのことだね?

ディ・ナターレ そう。僕が家に戻った後、エンポリの下部組織の責任者だったマウリツィオ・ニッコリーニが当時トップチームでプレーしていたヴィンチェンツォと食事する機会を作ってくれたんだ。そしてヴィンチェンツォにエンポリへ戻るよう説得された。食事の席には以前、僕を指導してくれたロレンツォ・ダマートもいた。エンポリの下部組織入りを勧めてくれた人だよ。ヴィンチェンツォとニコラ・カッチャをエンポリに紹介したのもダマートだ。

迷った末の決断だった?

ディ・ナターレ 確かに迷いはあったよ。何せまだ13歳、子供だったからね。ただあの時の決断があったからこそ今の自分がある。僕はラッキーだったんだろうね。再びエンポリに戻り、プリマヴェーラでプレーする頃には、僕の心の中にもプロ意識が芽生えていた。プリマヴェーラでは1シーズン、ルカ・トーニと2トップを組んでプレーしたよ。あれから約20年の月日が経過した今、僕らは2人とも現役でプレーしている。先日のウディネーゼ対ヴェローナ戦ではお互いに美しいゴールを決めた。トーニはキャリア通算300ゴール、僕はキャリア通算301ゴールを決めたんだ。できれば彼と一緒にゴールを祝いたかったけど、残念ながらウディネーゼは試合に負けてしまった。

ディ・ナターレ

マリーノとの出会いが僕の転機になった

現役引退後もウディネで暮らすつもりだろうけど、ここで何をしていくつもり?

ディ・ナターレ できれば下部組織で若い選手を教えたい。(ジャンパオロ)ポッツォ会長とは既にその方向で話を進めているんだ。指導者としての道を歩みたい。理想の指導者はズデネク・ゼマンだね。僕が監督になったらゼマン式の4-3-3で攻撃サッカーを推し進めるよ。4-3-3はプレーヤーとしての僕が最も好むシステムだからね。

数年前までは現役時代にMFだった選手が監督になるというのがトレンドだった。カルロ・アンチェロッティ、チェーザレ・プランデッリ、マッシミリアーノ・アッレグリ……みんなMFだった。でもここにきてその傾向が変わりつつある。モンテッラやフィリッポ・インザーギの采配が注目を集めているね。

ディ・ナターレ ストライカーだった彼が監督として成功するのはうれいしいよ。ピッポは監督としても資質を持っていることを立証している。ただ、僕がピッポと同じような道を歩めるかどうかは分からない。というか、まだそこまで考えていないよ。

そう言いつつも、君はウディネの町にサッカースクールを作った。既に子供たちを指導しているということだよね?

ディ・ナターレ 子供たちがプレーしているのを見るのがすごく楽しいんだ。リラックスできるしね。そう言えば面白い話がある。実は息子のフィリッポは“ウディネーゼ2003”というチームでプレーしているんだけど、先日、僕のチームと対戦することになったんだ。試合前に「もしウチのチームに勝てたら、ご褒美にスパイクを買ってやる」と約束し、息子のチームが勝利した。そこで僕は自分と同じモデルのシューズをプレゼントしようとしたら、息子にこう言われてしまった。「クリスティアーノ・ロナウドのシューズがいい」とね(笑)。

君はこれまで多くの監督の下でプレーしてきた。君にとって最も重要だった監督は?

ディ・ナターレ それぞれの監督に多くのことを学ばせてもらったけど、最も印象的なのはやっぱり最初の監督かな。そう、ナポリ郊外の小さなクラブ、カステル・チステルナでのダマート監督さ。グラウンドらしいものはなく、道路の延長みたいな場所でプレーしていた。でも悪い条件下でプレーしたことでテクニックが身についたんだと思う。どんなに悪い条件下でもドリブルで相手をかわすテクニック、ボールをコントロールする術を学んだ。あの時に学んだことが今の自分にも役立っている。

ウディネーゼでプレーしていたモルガン・デ・サンクティスは、君のテクニックは世界でも5本の指に入ると言っていた。自分ではどう思う?

ディ・ナターレ 僕のように体力に恵まれていない選手は、高度なテクニックが必要なんだ。テクニックがあったからこそ、見た目には不可能と思えるようなプレーもできるんだ。予期できないタイミングでのシュート、誰も予測のつかないようなファンタジーア溢れるプレー。それが僕の持ち味だと思っている。

監督の話を続けよう。君はエンポリからウディネーゼに移って、ルチアーノ・スパッレッティと出会った。

ディ・ナターレ スパッレッティのウディネーゼは当初、苦戦を強いられていた。彼は実験が好きな監督で、新たな実験を繰り返すがゆえに結果が伴わなかったんだ。ただ、彼は独自のサッカー理論を持っていた。強い意志を持ってそれをピッチ上で表現しようとしていたんだ。スパッレッティの後、監督になったのはパスクアーレ・マリーノだった。そして彼の就任がストライカーとしての僕の転機になった。彼は僕をウイングからセンターフォワードにコンバートした。トリデンテの真ん中でプレーするようになって一気にゴール数が増えたんだ。

フランチェスコ・グイドリンからは何を学んだ?

ディ・ナターレ 本当に多くのことを学んだ。彼はあらゆる点で偉大な監督だった。スパッレッティの師でもあるしね。彼はサッカー界に新たな練習方法を導入した。どういう風に試合の準備をするか、スタッフのアデリオ・ディアマンテ教授と共同で編み出したのさ。フィジカルコンディションの大切さを教えてくれたのも彼らさ。37歳になった今、僕がこうして良いコンディションをキープできているのも、あの2人の指導のおかげだと思っている。

現監督のアンドレア・ストラマッチョーニはどう?

ディ・ナターレ スパッレッティに似たところがあるね。アイデアが豊富、より高みを目指したいという野心もある。彼の傍らにデヤン・スタンコヴィッチがいるのもチームにとっては大きなプラスだ。デヤンのカリスマと経験値はウディネーゼの力になっている。

現在注目している選手たちや、アッズーリでの秘話などについて語ったディ・ナターレのインタビューの続きは、ワールドサッカーキング2月号でチェック!

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