2015.01.07

アジアカップの理想は“右肩上がり”…控え組の活躍も必要不可欠/戸塚啓の日本代表分析

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[写真]=兼子愼一郎

 新しい年が幕を開けた余韻も日本代表には関係ない。目標や志は、昨年末の時点で固まっている。4年に1度の大舞台が、目前に迫っているからだ。

 アジアカップである。

 16カ国が参加する大会は、優勝までに6試合を要する。パレスチナとの初戦から31日の決勝戦までの20日間をトップコンディションで駆け抜けるのは難しい。チームとしても個人としても、コンディションの波は避けられないだろう。

 理想は『右肩上がり』だ。余力を残しながらグループステージを勝ち抜き、一発勝負の決勝トーナメントは目前の試合にフルパワーで臨む。

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[写真]=兼子愼一郎

 余力を残すと言っても相手を軽く見るわけではない。グループステージの3試合をトータルで考え、結果的に力が残る状況へ持っていくのだ。それだけに、初戦は大切である。1月12日のパレスチナ戦で勝点3をつかむことが、その後の2試合の戦いに余裕をもたらす。

 最新のFIFAランキングが113位のパレスチナは、日本にとって格下の存在と言っていい。アジアカップも初出場である。前回優勝国との大会初戦で、彼らは特別な緊張感を味わうに違いない。おそらくはグループステージでもっとも力の落ちる相手だが、僅差の勝利でも問題はない。勝点3さえ取れば、ヨルダンとイラクにプレッシャーをかけることはできる。リードを奪って後半を迎え、3つの交代枠を使って控え選手の試合勘も高める。そこまで果たせば、初戦の目標は達成だ。

 日本が優勝を飾った過去4度のアジアカップは、控え選手が結果に直結する仕事をした。1992年の広島大会ではスーパーサブの中山雅史が貴重なゴールを挙げた。北朝鮮とのグループステージ第2戦で、1対1の引き分けに持ち込む得点を決め、中国との準決勝では勝利を引き寄せるシュートを叩き込んだ。

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2002年のアジアカップ [写真]=Getty Images

 中田英寿を招集しなかった2000年のレバノン大会では、3-5-2のトップ下で森島寛晃が神出鬼没に動き回った。決勝戦で唯一の得点をあげたのは稲本潤一の出場停止で先発した望月重良だった。レギュラーのGKに指名された川口能活も、実は楢﨑正剛のけがでスタメンに昇格したひとりである。

 4年後の中国大会は、海外組を大量に欠いていた。欧州のクラブに所属する選手は、川口(当時ノアシェラン/デンマーク)と中村俊輔(当時レッジーナ/イタリア)の二人だけだった。国内組の久保竜彦や坪井慶介もけがで出場できない中で、スタメンに昇格した田中誠が3バックの一角を担い、遠藤保仁がボランチで存在感を放った。

 本田圭佑がMVPに選ばれた4年前のカタールでも控え選手が価値ある働きを示した。カタールとの準々決勝では、出場停止の内田篤人に代わって伊野波雅彦が右サイドバックで起用された。国際Aマッチ出場が2試合目の彼は、後半終了直前に決勝ゴールをマークしている。

 韓国との準決勝では、吉田麻也の出場停止を岩政大樹が埋めた。延長前半に2点目をゲットしたのは途中出場の細貝萌だった。決勝戦のヒーローとなったのは前田僚一の陰に隠れていた李忠成である。オーストラリアのゴールへ突き刺した左足のボレーは、4年を経たいまも鮮烈な記憶を呼び覚ます。

 20日間で6試合を戦い抜く短期決戦をレギュラーの11人で乗り切るのは現実的でない。控え選手の活躍は不可欠で、それゆえにチームとしての総合力が問われるのだ。

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[写真]=兼子愼一郎

 アジアカップはアジアの頂点を争う大会だが、ワールドカップの翌年開催となった前回からもうひとつ大きな意味を持つようになった。結成間もないチームの指針作りである。国内合宿も含めれば1カ月以上に及ぶ活動期間は、代表チームの強化スケジュールでワールドカップの次に長い。ピッチの内外でコンセプトを徹底できる、またとない機会である。

 日を重ねるごとに戦い方が浸透し、選手間のコンビネーションも深まる。試合を重ねるごとに成長を示すことができるはずで、それも含めて『右肩上がり』で大会を過ごしてほしいのである。

戸塚啓(とつか・けい)。1968年生まれ。サッカー専門誌を経て、フランス・ワールドカップ後の98年秋からフリーに。ワールドカップは4大会連続で取材。日本代表の国際Aマッチは91年から取材を続けている。2002年より大宮アルディージャ公式ライターとしても活動。