殺人事件は、1カ月で300件。犯罪発生率は、ブラジルの大都市であるサンパウロやリオデジャネイロを上回る。日本代表のワールドカップの初戦が行われた地、ブラジル北東部に位置するレシフェは美しい海岸線を持つ一方、世界屈指の犯罪都市として知れ渡っている。
そして、ワールドカップ開幕が直前に迫った5月。治安はついに最悪レベルに陥った。犯罪が罰せられない状態。所謂、無法地帯と化した。
引き金は、警察のストライキだった。
サッカーの祭典に巨費を投入する国家に対して、待遇改善を求めた警察はストを決行。犯罪の抑止力を失った街は、当然ながら荒れた。車が燃やされ、略奪行為が横行する。
「車が信号待ちで止まったりしますよね。そうすると、強盗が車に近寄って物を奪って、火をつけるんですよ。そんな状態だから、人は出歩きませんでした。ゴーストタウン? まさにそうですよ。ただ、お店も平日でも閉めていたんですけど、無理やりこじ開けられて、略奪されてしまうんですよ」
日本大使館の在レシフェ出張駐在官事務所の副領事である石田健治さんは、地獄絵図でも表現するように当時の様子を振り返る。
幸いスト自体は短期間で終わり、街は再び元の姿を取り戻す。しかし、マイナスがゼロに戻っただけで、治安が良くなったわけではない。そんな、わずか1カ月前に無法地帯だった街に、ワールドカップがやってきた。
石田さんは日本戦のレシフェ開催が決まった時の思いについて、「やっぱり、せっかくですから勢いをつけてもらいたいなと」と語ったが、「ただ、治安がね」と続けた。レシフェでは昨年行われたコンフェデレーションズカップで日本代表対イタリア代表の試合も開催されたが、なにしろ規模はケタ違いである。当地で邦人に問題が起これば対応にあたる石田さんの気苦労も相当だったはずだ。
キックオフ時間は、今大会唯一の夜10時。スタジアムのアレナ・ペルナンブコは、奥地にあるため、中心街からは電車とシャトルバスを乗り継ぐと、約2時間かかる立地だ。試合時間もアクセスも、犯罪を誘発する条件が揃った状態にあった。
しかし、14日に行われたコートジボワール代表戦では、邦人被害は報告されなかった。4万人を超える観衆の多くは日本を応援し、大半の帰宿が深夜に及んだにも関わらずだ。
石田さんは「奇跡的」と表現した。ただ、実のところ影には入念な事前準備があった。
大会前に開設された在ブラジル大使館・総領事館統合ブログ(レシフェ以外の情報も掲載)に、警察や組織委員会など、各方面から得た最新情報を掲載するのを皮切りに、様々な方法で被害を最小に抑えるべく、砕身した。試合開催を直前に控えた11日からは、空港などで日本人渡航者に対して、ボランティアなどを加えて、スタジアムへの詳細な路線図や緊急連絡先、注意喚起が記されたリーフレットを早朝から深夜まで配布。当日もキックオフ7時間前からスタジアム入りするとともに、深夜まで試合後の対応に追われた。
試合自体は1-2と逆転負けを喫してしまったが、石田さんらの尽力などもあり、犯罪都市での日本戦は無事に過ぎ去った。
ところが、残念なことに試合翌日から邦人の盗難被害は発生する。何しろ通常時でも治安は悪い。出張駐在官事務所を訪れた16日も、「さっきも、盗難被害のことで対応していたんですよ」ということだった。試合は終わっても、彼らの業務は続くのだ。
ちなみに日本がグループ2位で勝ち上がった場合、6月29日の決勝トーナメント1回戦で再度レシフェを舞台に、戦いを繰り広げることになる。再び気の抜けない忙殺される日々が訪れる可能性を問うと、石田さんは事も無げに口を開いた。
「僕らは、邦人になにかあった場合に対応することが仕事ですよ。そのために、ここにいるわけですからね」
最後まで温和な笑顔とこちらを楽しませる語り口調を崩さなかった石田さんから、「また、来てくださいね」という言葉を受けるとともに力強い握手を交わし、再会を約束した。
日本人サポーターが再び、大挙してレシフェの地を踏むかどうかは神のみぞ知るところになる。いずれにせよ、日本代表、サポーター、そして石田さんらの戦いは続いていく。願うべくは、それぞれが最良の形で大会を無事に終えることだ。
文・写真=小谷紘友