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OB選手たちの現在――鶴田道弘(元名古屋グランパス)「大切なのは『人として成長すること』。たくさんの人に見られる立場を自覚できる環境だからこそ、自分次第でどんどん成長できる」

2014.10.04

[Jリーグサッカーキング 2014年5月号掲載]

Jリーガーたちのその後の奮闘や活躍を紹介する本企画。今回紹介するのは、名古屋グランパスの前身であるトヨタ自動車サッカー部時代からMFとして活躍した鶴田道弘さん。現在は地元・愛知県の東海学園高サッカー部監督として活躍する彼に、プロ選手として過ごした自身のキャリアに対する思いと、指導者として歩むセカンドキャリアについて聞いた。

文=細江克弥 取材協力=Jリーグ 企画部 人材教育・キャリアデザインチーム 写真=兼子愼一郎、Jリーグフォト

日本リーグからJリーグへ時代の変化を体感した現役時代

 愛知県に生まれた鶴田道弘が大阪体育大に入学したのは1986年のこと。小学生の頃に1978年ワールドカップ・アルゼンチン大会をテレビ観戦して以来、うっすらと「サッカーで生計を立てたい」という夢を抱き続けてきた。進路に頭を悩ませた大学時代、時を同じくしてJリーグ開幕に向けた気運が高まりつつあったことは、鶴田にとって幸運だった。

「プロ化を意識して、多くの選手が日本サッカーリーグでプレーすることを希望しました。当時、トヨタ自動車サッカー部の拠点は静岡県の裾野にあったんですが、本社は地元の愛知。会社も大きいので、社員契約でサッカーを続ける環境としては非常に良かったと思います」

 1990年に入部すると、3年後には名古屋グランパスエイト(当時)として生まれ変わったチームでJリーグ開幕を経験。初年度はリーグ戦全36試合中24試合に出場し、2得点を記録している。クラブの年間順位は10チーム中9位と振るわなかったものの、自身はプロの世界で勝負する手応えを感じていた。

「自分自身、サッカー選手として成長していることを感じた時期でした。試合に出続けて、もっと高いレベルでプレーしたい。それができると思っていました」

 しかし、現実は厳しかった。翌94シーズンは出場機会が激減。結果を残すことができず、シーズン終了後にクラブから人生初の戦力外通告を受ける。ただ、そうした状況を自分なりに客観視してもいた。

「覚悟していたので、驚きはありませんでした。逆に、自分の中では『環境を変えてもう一度頑張ろう』と前向きな気持ちでいましたね」

 鶴田に声を掛けたのは、Jリーグ入りを目指していたJFLのヴィッセル神戸。Jリーグ準加盟クラブから受けたオファーを迷わず受諾し、戦いの場を神戸へと移した。環境の変化をポジティブに捉えていた鶴田にとって、カテゴリーを下げることは大きな問題ではない。何より彼は、選手としてピッチに立ち続けることを切望していた。

 戦力外通告を突きつけられた名古屋からは、同時にアカデミーコーチの就任要請を受けていた。

「まだ選手としてプレーしたいという思いが強かったので、その時は断りました。実は1年後にも同じオファーをいただいたのですが、『もう1年待ってください』とお答えしました。神戸での1年目は試合に出場していたので、『もう1年プレーできる』と思っていたんです」

 しかし、神戸での2年目は思うような出場機会を与えられず、ケガの影響もあってわずか5試合の出場にとどまった。こうして96年のシーズン終了後、鶴田は“1回目の引退”を決意して名古屋へと戻った。

 名古屋U18のコーチとしてスタートしたセカンドキャリア。もちろん指導は初めての経験だったが、コーチとしての素養を感じてなかったわけではない。

「現役の頃から、うまくいかないプレーについて『もっとこうしたらいいのでは』ということを常に考えていました。きっと、指導者目線を持ってプレーしていたんだと思います。例えば、パスの“出し手”が悪いと言われるプレーでも、よく分析すると“受け手”のポジショニングや準備が悪いこともありますよね。そういうことを強く感じていたので、指導者になって自分の感覚を伝えてみたいという気持ちは強かったです」

 もっとも、実際に指導者になって感じたギャップも小さくなかった。

「よく、コーチが選手に『基本が大事』と言いますよね。でも、今思えば、本当の意味での“基本”を、当時の僕は分かっていなかった。指導者としての経験を積んだ今ならその意味が分かるのですが、当時は未熟だったと思います」

 もう一つ、少し想定外の驚きもあった。

「驚きましたね。いい選手はいるんだけど、後片付けはできないし、ビブスの整理はめちゃくちゃで洗濯もできない。最初はグラウンドのラインも引けないくらいでした(笑)。だから、まずはそういうところを変えていかなきゃいけない。そこからスタートしました」

 従来のクラブチームの指導者には、「選手たちにサッカーを教えなければならないという気持ちがあったのかもしれない」。そういう意味では、鶴田は他の指導者とは一線を画す存在だった。彼が最初に着手したのはサッカーの指導というより、むしろ一人の人間として生きていく上で大切な要素を教えることだった。

 育成年代では、この部分が育たないままサッカーの技術におぼれ、将来を嘱望されながらサッカーをあきらめてしまう選手が少なくない。そういった選手との向き合い方についても指導者としての手腕が問われるところだ。

「何より大切なのは、選手との信頼関係でしょうね。『この人を裏切りたくない』と思ってもらえるだけの信頼関係を作れるかどうか。これができれば、恵まれた才能は素直に育つと思うんですよ。指導者との信頼関係を築けなければ、うわべだけ、サッカーだけの人間になってしまって、厳しい競争に勝ち抜くことは難しい」

 さらにそうした信頼関係を築くことができる人物の条件として“温かく見守ることができる”ことを挙げる。

「すごい才能を持っているヤンチャな子をコントロールする大人が、その子のことを辛抱強く、温かく見守れるかどうかだと思います。ヨーロッパに行くと、下のカテゴリーになればなるほど本当の意味での育成のプロフェッショナル、つまり経験豊富な名物コーチみたいな人がいますよね。簡単に言えば、ヨーロッパや南米では育成年代のコーチほど年齢を重ねている。日本はまだ、逆ですよね。カテゴリーが下がるほど若いコーチが多いと思うのですが、子供を育てるには子供のことを完全に理解している人。子供たちがどのように成長するかを知っている人。自分自身で子供を育て、立派に送り出しているくらいの人がベストじゃないかなと思います」

サッカーを通じて『社会で役に立てる力』を身につけてほしい

 名古屋のアカデミーで3年間指導した後、鶴田は当時J2だったヴァンフォーレ甲府のフィジカルコーチに就任する。名古屋でスタッフだった牧内辰也(現ファジアーノ岡山コーチ)を通じて甲府がフィジカルコーチを探していることを知り、指揮官の塚田雄二(現山梨学院大監督)と面会して新たな活躍の場を得ることとなった。

 ところが、このシーズンに待っていたのは、あまりにも厳しい結果だった。チームは25戦勝ちなし。勝ち点から見放される危機的な状況に追い込まれていた。何らかの起爆剤を必要としていたチームに、一つのアイデアが浮かび上がる。それが、フィジカルコーチとしてトレーニングをともにしていた鶴田の現役復帰だった。

「現役を退いて4年目のことだったかな。まだ若かったし、いつも選手と一緒にトレーニングをやっていたので、体も動いていました。最初は塚田監督から冗談めかして『復帰したら?』と言われたんですよ。僕自身も冗談としか思っていなかったんですが、チームが勝てなくなってしまった時期に、これは一つ、何らかの発奮材料を作らないといけないなと。自分の中ではそう考えていました」

 とにかくチームに刺激を与えて状況を打開したい。その一心で、彼は再びユニフォームを身にまとった。いずれも途中出場の4試合出場という記録だったが、久しぶりに体感した真剣勝負は心地良く、選手にしか味わえない楽しさと苦しさを感じた。このシーズンをもって、鶴田は“2度目の現役引退”を迎えた。再び指導者の道に戻ると、愛知県サッカー協会に在籍していたかつての恩師に一報を入れた。そこで男女共学になって間もない東海学園高がサッカー部の創部を検討していると聞かされる。

「共学2年目というタイミングだったのですが、男子生徒が少なかったこともあって、学校としては男子生徒が集まりやすいスポーツの部活動を新設したいという狙いがあったんですね。当初は週に3回くらいの外部コーチとして来てくれないかという話だったのですが、やるなら徹底的にやりたいというお話をして、正式な職員として採用していただくことになりました」

 2001年、東海学園高サッカー部の創部とともに、鶴田はゼロからの再スタートを切った。

「その年の新入生はサッカー部があることも知らずに入ってきたんですよ。だから、サッカー部があることを告知して、最初は16人が集まってくれました。サッカー経験者が6人。あとは他の運動部に所属したことがある子と、中学時代には部活にも入っていなかった子たちでしたね」

 そう笑って回顧する当時は苦労することも多かったが、チームをゼロから作り上げるという指導者としてのやりがいも感じていた。

「学校には3年で結果を出すと約束してスタートしました。でも、当然ながら1年目は大変でしたね。インターハイ(全国高校総体)の予選は大敗でした。次の年に入部してきた子たちは僕が声を掛けて集まってきてくれた子たちなので、実質的にはそれがスタートラインでした」

 2年目の新入部員は20名。彼らが高校3年になった年、チームは愛知県予選を制してインターハイに出場し、冬の全国高校サッカー選手権にも出場した。

「この時も、サッカーを教えるというより、高校生にとって大事なことを教えることに重点を置いていました。僕にとって、それができれば仕事の半分は終わりなんですよ(笑)。もちろんトレーニングはきっちりやりますが、子供たちには何より人として成長してもらいたい。やりがいはあります。クラブチームの指導者と違って、学校なら常に子供たちの姿に目が届く。そういった密な関係を作りながら指導する時間は、とても充実しています」

 プロを志す選手はほとんどいない。それでも、サッカーでつながる子供たちとの日常を通じて、伝えられることはたくさんある。“上”を目指すことだけがすべてではない。

「引退した3年生を除けば現在の部員は1、2年生で78人。トレーニングを彼らに任せてしまうこともあります。自分たちだけで考え、工夫してトレーニングをこなせるか。そういう部分を常に問いかけることが、この年代の子供たちにとってとても大切なことだと思いますから。彼らには、サッカーを通じて『社会で役に立てる力』を身につけてほしい。気づく力、自ら考える力を養ってもらいたい。3年間の部活動でそういう力を身につけて卒業していく子たちを見ると、指導者としてはとてもうれしくなりますよ」
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グランパスにはたくさんの人から愛される存在になってほしい

 選手としては大学、日本リーグ、Jリーグ、JFLを経験し、指導者としてはJクラブのアカデミー、トップチーム、さらに高校生の指導現場に携わってきた。自身の歩みを振り返って、改めて考えるセカンドキャリアとは。

「高校生もプロの選手も変わりません。やはり『人として成長する』ということだと思いますね。現役選手なら、いかに質の高いプレーを追求して、より高いレベルの選手になろうと努力すること。“一流”と接する機会は必然的に多いわけですから、いろいろなものを吸収して、人として成長することが求められる。たくさんの人に見られる立場にあることを自覚できる環境だからこそ、自分次第でどんどん成長できる舞台だと思います」

 プロとしてあるべき姿勢は、高校生と変わらない。それを自覚することが「人として成長する」ことにつながり、やがてセカンドキャリアにつながると考えている。

「身だしなみもしっかりしなければならないし、一つの発言にも責任を持てるようにならなければならない。なかなか試合に出られない選手にとっては難しいことなのかもしれませんが、常に『人として成長しなければならない』という思いがあれば、それだけで成長できると思うんですよ。そういう選手が人に好かれるし、可愛がられる。ファン・サポーターが応援したくなる。そういうつながりによって、自分が一人でプロになったわけじゃないと思えるようになるし、人との信頼関係を築けるようになる」

 高校生を指導する現場では、極端に言えば、「サッカーのレベルはどうでもいい」。その姿勢で子供たちと接している。

「ウチのチームは、各カテゴリーで1軍から3軍までに分けていますが、レベルの高い選手はたまたま親から授かったポテンシャルだとか、たまたま小学校の時に出会った指導者とか、いろいろなことの巡り合わせでそうなっているだけなんです。だから2軍や3軍の選手がコンプレックスを抱える必要はないし、『自分のレベルでどれだけサッカーを追求できるか』を考えればいい。一生懸命、120パーセントで追求できるかどうか。そこなんですよね」

 それから、自らの人生を切り開くきっかけとなったキーワードへの言及も忘れなかった。

「あとは出会い。その子の運もあるけど、運命を変えてくれる人に出会えるかどうかも人としての謙虚さが大切だと思うんです」

 人生で4度、「解雇」を宣告された。それでも鶴田が充実した日々を過ごしてこられたのは、自分の状況を客観視して考え、謙虚さを貫き、素晴らしい出会いに恵まれてきたからに他ならない。

「グランパスには、クラブとしてもっとたくさんの人から愛される存在になってほしいですね」

 それが何よりの強化につながることを、彼自身がよく知っている。

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