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中野遼太郎に聞く(365日FC東京/東京ぴーぷる)

2013.12.17

ラトビア2部優勝&得点王&MVP

 首都リガから約220キロ離れたラトビア東端に位置し、ベラルーシとの国境に近い国内第2の都市ダウガフピルス。中野は人口約10万人のこの街をホームとする国内2部リーグのBFCダウガヴァに在籍し、今シーズンのリーグ優勝、来季の1部昇格に貢献した。(インタビューは10月下旬)

「この前、やっと優勝が決まって、あとは得点王はどうしても取りたいですね。こんなチャンスは、これからのサッカー人生の中でも、もう2度とないと思うんですよ(笑)。チームメートも僕に点を取らせようとしてくれていますから」


リーグ優勝と得点王を獲得した中野

 そして11月10日に最終戦を終え、今季通算26ゴールを奪った中野は2部リーグの得点王に輝き、今月23日にはラトビアサッカー連盟から2部最優秀選手にも選ばれた。

 この2年半でドイツ、ポーランド、ラトビアのクラブを転々とし、欧州サッカーの厳しさに直面してきた。図らずも半年程度でチームを移り変わってきたが、今季は初めて1シーズンをフルに戦った。率直に「ドイツの4部か5部くらい」という下部リーグとはいえ、ここでようやく確かな結果を残した。

「まだどうなるか分からないですけど、いろいろ話を進めてもらって、(来季も)ここに残れるんじゃないかなという感じです。もし1部でやれるならすごいチャンスなんですよ。(ラトビア1部の)1位はチャンピオンズリーグの予選に出られて、リーグ戦の2、3位とカップ戦の優勝チームがヨーロッパリーグ予選に出られる。ラトビアの1部は10チームしかなくて、(欧州のカップ戦に)一番出やすいリーグではあるんで、それはすごく魅力であると思うんです」

「これがもっと本当に、もう1つ2つ上のレベルにいけば、試合もヨーロッパ中にテレビ放送されるし、自分で売り込まなくても見てもらえる環境になると思うんですけど、今はまあ、言ってしまえば誰も見てないようなところでプレーしていますから。だから移籍するにも、本当にギリギリにならないとテストがどうなるかも分からないですし、おれをパッと見て、経歴とか名前だけで取るっていうのはまずないんで。もうちょっと積み重ねないと」

 結果を残すことだけが、その次、さらに先へとつながる。プロの世界では当然のことだが、競争の激しい欧州サッカーではそれがより明確だ。個人で言えば、得点を奪うことはステップアップに直結していく。

「(欧州に来て)点を取るって意識はすごく付いたと思います。高校とか大学のときはずっと(ボールを)さばいている感じだったんですけど、そこから最後にもう1つ点のところに絡むっていうのをすごく意識しています」

 高校、大学時代は展開力が武器で、もともと貪欲にゴールを狙うタイプでなかった。得点王への意欲、自身のプレースタイルが変化した要因についてあらためて聞くと、「このレベルで結果を出せないと終わりという焦りですね」と偽りない本音が返ってきた。

 2011年4月、早大を卒業した中野はドイツへと渡った。格安の宿に泊まりながら各地を転々とし、さまざまなクラブの入団テストを受ける日々。だが、なかなか納得いく合格通知を手にすることはできなかった。3カ月後、プロサッカー選手としての経歴は、ドイツ6部リーグのFCポンメルン・グライフスヴァルトで始まった。

「おれ、6部なんて考えてもいませんでした。最初はだいたいドイツの3部くらいからって自分で勝手に思っていて。まあ、なめてたっていうのもあるだろうし、決まると思っていたんですよ。でも(渡欧して)最初は本当にダメで、5部も落ちたし。クロアチアの1部にも1回行ったんですけど、それもダメで」

「技術、うまさが足りないなって思ったことはないですね。ほとんどの日本人選手が『えっ、こんなもん、やれるじゃん』って思うと思うんですけど、それでテストに合格できるかは別だし、試合で活躍できるかどうかもまた別の話だし」

 それまで体験してきた日本のサッカーとはまるで違う「欧州基準」がそこにあった。

「日本人選手が共有しているイメージ、局面、局面でのイメージがたぶんあると思うんです。例えば、こういうときは1回ダイレ(クト)で落としてくれた方がやりやすいとか。そういうのが全然違うから難しいんですよ。自分がいいと思ったプレーでも全然評価されなかったりとか、そういうのは日常茶飯事ですね」

「自分の中では、訳の分からないチームにも落とされたりするんですよ。完全に受かったと思うチームにも落とされたりするし。自分のうまさだったらかなり通用する部分はあると思うんですけどね。『これだけやってやってるぞ』って思っているけど、試合には使われなかったりする。自分が思っている基準じゃないんだなって、こっちに来てすごく痛感しますね」

高校、大学のときは勘違いしていた

 中学、高校時代はFC東京の下部組織に在籍し、高校3年時は背番号「10」で主将も務めた。年代別の日本代表にも選ばれ続けていた。だが、東京のトップチームには昇格できず、早大へ進学。大学1年時こそ試合に出たが、2、3年では公式戦のピッチから遠ざかった。4年になって再び試合に出るようになったものの、目立った結果は残せなかった。


2006年、FC東京U-18時代の中野

 Jリーグのクラブから声は掛からなかった。だが、卒業後もサッカーを辞める選択肢は頭になく、必然的に海外へと目が向いた。欧州でのプロ生活を経た今、高校、大学当時を振り返って率直な言葉を口にする。

「調子がいいときはいいんですけど、調子が悪いときには本当に何もできなかった。そこで頑張ったりとかできないし、ずっとうまさで何とかしようとしてたんで。まあ、全部足りなかったと思いますけど、一番足りなかったのは気持ちとか、姿勢の部分じゃないかなって思います。大学で試合に出られなかったときも『おれはこれだけやってるじゃん。何で?』ってずっと思っていたんで。自分でいろいろやった気になっていたけど、でもそれを判断するのは周りですからね。おれが決めることじゃなかったなって思います」

「高校とか大学のときは勘違いしていたんで、たぶん。『おれ、できるし』みたいな感じでずっと思っていたし、ちょっと監督と合わないとか、そういう人のせいにしてたことが多かったですから。自信を失うってことは全然なかったですけど、それは逆に問題だったかもしれないですね。その点は、一番変わったんじゃないかと思います」

「今は、監督と合わなかったり、苦しい時期があったとしても、次の移籍期間までを絶対に無駄にしないように、自分で積み上げていかないといけないとか、そういうふうに切り替えられますけどね」

 昨年1月にはポーランド2部のアルカ・グディニャに加入し、その夏には5部リーグに昇格したFCポンメルン・グライフスヴァルトに戻った。これまでの2年半で計17クラブのテストを受けてきた。言葉もうまく通じない国の、誰一人知らないチームに飛び込み、わずかな時間で自分が「外国人選手」として使いものになるかどうかを試される。同じ境遇の選手たちが生き残りを懸けて戦うタフな環境だ。

「どこのチームに行っても、だいたい通用するとは思うんですけど、通用するだけじゃダメですから。テストの中で一番いい選手じゃないと取ってもらえないからやっぱり難しいですね。技術のところは大丈夫だと思うんですけど、やっぱり戦う、戦っているかどうかが一番大事なんじゃないかなって思います。激しさとか厳しさとか、1対1は日本とは全然比べ物にはならないんで」

「ドイツだと1部とか2部にいけばボールをつなげますけど、3部くらいから足元(の技術)がない奴がいっぱいいる。だから逆に、つぶすとか、ヘディングではじいて負けないとか、抜かれるくらいなら削っちゃう。日本でやってきたような同じイメージを共有できないから、より自分で打開しなければいけなかったりするし、そういう難しさはあると思います。Jリーグの方がリーグとしてのレベルは比べ物にならないくらい高いけど、日本人が1人でやるっていう難しさは結構あるんじゃないかなと思いますけどね」

 そうやって厳しい世界を体感することで、欧州で戦う術、思考法も少しずつ身につけていった。

「根本的なところは全然変わらないですけど、海外仕様の考え方は持てるようになったとは思います。ただただ堂々とするっていうだけですけど。自分の意見をバンバン言っても、何も言われないっていうか。やり返したり、言い返さないと、何を考えているか分からない奴みたいになっちゃうんで。そこら辺はすごくさっぱりしているし、言った後も仲直りみたいなのが早い。それはどの国もだいたい一緒ですね」

「最初はすごく戸惑いましたけど。削り合いみたいになったとき、日本だったらちょっと厳しくいったら、手を差し伸べたりとかしますけど、ヨーロッパでももっと上のレベルに行ったらあるのかもしれないですけど、このレベルだと、そんなのしたらなめられて終わりみたいなのはあると思います」

もっとサッカーがうまくなれる


うまく引き出しが増えてきた」と話す中野

 ピッチ外でも契約社会のシビアな現実を味わった。今年1月30日、欧州の移籍市場が閉まる1日前に、中野は在籍していたグライフスヴァルトから突然に契約打ち切りを宣告されたのだ。

 契約は、書類上では昨年夏から今年1月末までの半年間だった。だが、それは半年後に「出来によって給料を見直すため」で、口頭では実質的な1年契約を約束されていた。冬期のオフが明け、1月からの通常のトレーニングにも参加していた。契約延長の話も具体的に進んでいたが、まだ正式なサインは済ませていなかった。

「(オフ明けも)何も言われずに合流してやっていて、1月30日に『お前の契約は半年だから、もう終わりだ』と言われて。よくよく聞いてみると、他の選手をずっと取るか取らないかで、天秤に掛けられていたんですよ。そのチームの中では自分はお金をもらっている方だったんで、新しく来る選手に払うから、お前にはもう払えないからって。それで出されちゃって」

「スポンサーのスポーツショップのおじさんとかがすごく味方になってくれたり、チームメートも味方になってくれたりしたんですけどね。でも、もうどうすることもできないと。結構しんどかったですね、あのときは、もう止めようかなと思いましたね、サッカーを。こんなんだったら、もう止めろって言われてるのかなって思いました」

 新たな行き先を探す時間的な猶予も全くない中で、突然の解雇。ミーティングではチームメートが一斉に監督に言い寄って猛抗議したというが、決定はもちろん覆らない。当時はドイツ人の代理人と契約していたが、それも結果的には裏目に出てしまった。

「自分がドイツ語をしゃべれなかったら、もう終わりだから、代理人をドイツ人にするっていうのはひとつのモチベーションでもあったんですけど、やっぱりサッカーの面だと細かな意思疎通はできなかったんですね。それも(契約打ち切りの)ひとつの原因だったかもしれないです。もしちゃんとそこでコミュニケーションを取れていたら、半年契約の時点でおかしいだろうって言えていたかもしれないですし。まあ、分からないですけど」

 今年2月、失意の一時帰国。欧州の夏の移籍市場が開くまで待つことを決意していたが、新たに契約した日本の代理人からすぐに連絡が届く。それが現在のBFCダウガヴァへの入団の打診だった。ラトビアリーグは4月に開幕して11月に終了。移籍市場が開いている時期も欧州の他国とはズレていたためだ。

「ラトビアだけちょっと遅いんですよ、移籍市場が閉まるのが。『ラトビア2部だったら今ギリギリ間に合うけど、明日か明後日に来られるか』って言われて、すぐ行きますって言って。結局そのまま1シーズンいることになりました」

 契約はまだ決まっていないというが、チーム関係者からは今季のプレーを評価され、来季はラトビア1部リーグでプレーする見通しだ。そこで3位以内に入れば欧州カップ戦出場も見えてくる。紆余曲折を経ながらも自ら進む道は開けてきた。

「今は、現実的に欧州リーグに出られるかもしれない状況がある。といっても難しいですけどね。予選は3回戦まであるんですけど。その3つに勝てば欧州リーグのグループリーグに入れるわけじゃないですか。そしたら、本当に世界の名門とできるわけだから。そういうところに行けるかもしれないっていうだけでも、すごいモチベーションだし、そういう中でやれるのは楽しいです」

「もっとサッカーがうまくなれると思う。まだ全然。うまくなっているっていうか、うまく引き出しが増えているっていうか。そういう気がします。足りないと思うことはいっぱいありますけど、行き詰っている感覚は全然ないですね。微妙な年齢ですけど、まあ気持ち次第です」

 プロ3年目の25歳。サッカー選手としてはもう決して若くはない。だが、まだまだ成長している実感があるという。さまざまな経験を積み重ねた今、中野は自らの可能性を強く信じている。


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