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中山雅史と日本サッカー。ドーハの悲劇を原点とする成長物語。【第1回】

2013.11.18

中山雅史スペシャルインタビュー

インタビュー/岩本義弘 構成/細江克弥 写真=足立雅史、アフロ

“ドーハ以後”、世界へ急接近した激動の時代を生きた中山雅史

 1993年10月28日、ドーハの悲劇――。

 今から20年前、1994年ワールドカップ・アメリカ大会のアジア最終予選における一連の“悲劇”は、ポジティブであれ、ネガティブであれ、間違いなくその後の日本サッカーに計り知れない影響を及ぼしたと言える。

 かつてW杯は、サッカーファンなら誰もが本大会への出場を願った夢の舞台だった。カタールの首都ドーハで繰り広げられたのは、その夢の実現に“あと一歩”まで近づき、“あと一歩”のところで逃した紛れもない「悲劇」である。あれから20年の歳月が流れた現在においてもなお、当時を知る人たちの脳裏に鮮明な記憶として刻まれているほど、その傷は根深く深い。

 しかし一方で、その後の日本サッカーがあの事件を機に右肩上がりの成長曲線を描いたこともまた事実である。

 1996年にはアトランタ五輪で王国ブラジルを撃破する“マイアミの奇跡”を成し遂げ、翌1997年にはイラン戦とのアジア第3代表決定戦で史上初のワールドカップ出場権を獲得する“ジョホールバルの歓喜”に日本中が沸いた。1999年にはU-20代表がワールドユース(現U-20ワールドカップ)で準優勝に輝き、2000年にはシドニー五輪でベスト8に進出。さらに、2002年にはホスト国として出場した日韓共催のワールドカップで決勝トーナメント進出を果たし、世界の舞台で日本サッカーの躍進を印象づけた。

 “ドーハ以後”の約10年間は、それまでサッカー界の世界地図において後進国だった日本が、先進国たる“世界”への急接近した激動の時代だった。

 中山雅史は、その時代のすべてを目の当たりにした演者の一人だった。

 ドーハではハンス・オフト率いる日本代表の“スーパーサブ”に過ぎなかったストライカーは、選手生命さえ危ぶまれた大ケガを乗り越え、1998年フランスW杯にエースとして出場。W杯本大会で日本サッカー史上初となるゴールを記録し、2002年の日韓W杯では背番号10を身にまとう精神的支柱としてチームを支えた。

 中山にとってドーハは、自身がサッカー選手として成り上がるためのターニングポイントだった。あれから20年後の今、悲劇をピッチで体感した演者の一人として、中山は何を思うのか。薄れつつある記憶の中から少しずつ引き上げられていく言葉の数々に、中山と日本サッカーの成長物語を重ねる。

自分たちがW杯への道を切り開くんだという気持ちは強かった

「映像は……ドーハから日本に帰って来て、何度か目にしました。でも、1試合を通じて見たことはないですよ。僕は過去の試合をすべてチェックするようなタイプじゃないし、基本的には、終わったことには興味を持てない人間なので(笑)。見るとしても、直前の試合で自分がどういうプレーをしたのか、それをチェックするくらいでしたね。だからドーハ……あの最終予選の試合もほとんど見ていません」

「あまり覚えていない」と振り返る中山だが、20年前の記憶が今も鮮明に残っていることはじっくり話を聞けばよく分かる。

 1992年に発足したオフト・ジャパンの船出は順調だった。

 夏のダイナスティカップ(現東アジアカップ)を制して勢いに乗ると、その年の秋、日本で開催されたアジアカップを制覇。Jリーグ開幕によって訪れた上昇期運も手伝って、日本は空前のサッカーブームに包まれた。

 1990年にブラジルから帰国したエースの三浦知良、同時期に日本への帰化が実現した司令塔のラモス瑠偉、絶対的リーダーとしてキャプテンマークを巻いたDF柱谷哲二、「アジアの壁」と称された新進気鋭のDF井原正巳。彼ら中心選手に加え、オフトは自らの目で抜擢したMF森保一やMF吉田光範ら伏兵を適材適所に配置し、まさに充実のメンバー構成でアメリカW杯アジア最終予選に臨んだ。

 中山は言う。

「自分たちがW杯への道を切り開くんだという気持ちは強かったですね。ただ、当時の最終予選は一箇所で行われる集中開催で、あれはタフだった。6チームのうち、出場権を勝ち取れるのは2つ。どの国も、あの舞台に懸ける思いというのはかなり強かったと思います」

 しかし当初、このチームにおける中山の存在感はそれほど大きなものではなかった。彼が所属していたヤマハ発動機は1993年のJリーグ開幕に名を連ねた「オリジナル10」から漏れ、翌94年から「ジュビロ磐田」としてJリーグに参戦することになる。この時Jリーガーではなかった中山が特別な脚光を浴びることはなく、日本代表においても不動の2トップである三浦知良と高木琢也の控えに過ぎなかった。

「ただ、僕自身のコンディションはバリバリにキレていましたね(笑)。初戦のサウジアラビア戦の前日練習だったかな。その時も『俺、調子いいな』『体が軽いな』と思いながら練習していたことを覚えています。その時の自分が技術的にどうだったかは分からない。でも、動き出しや反応については自分の中では最高のレベルにあったというか、とにかく体が軽かったんです、本当に」

 迎えたサウジアラビアとの初戦。スコアレスドローという結果は、独特の緊張感に包まれた初戦、しかも相手が強豪サウジアラビアであることを考えれば「及第点」だった。90分間をベンチで過ごした中山にも焦りはなかった。

「負けなくて良かったですよね。相手がサウジですから。チームの中にも結果を良しとする雰囲気がありましたし、気持ちが落ちるようなことはありませんでした」

最悪の流れを断ち切り日本を蘇らせた“伝説のゴール”

 しかし日本は、勝利を計算したイランとの第2戦でまさかの黒星を喫する。

 中山がピッチに送り込まれたのは後半28分のことである。2点のビハインドを追う苦しい展開の中で、指揮官は中山の起爆剤としての効果に期待した。そしてそのポジティブな効果は、オフトの期待を大きく上回る形でチーム全体に波及する。

「ベンチで見ていて『これはヤバい』と思いました。『こんな状況でどうすればいいんだ』って、そう思っていたんです。ただ、そこでプレーをやめるわけにはいかない。自分のやれることをピッチの上で表現するしかない。FWとしてとにかくパスを引き出す。相手ボールなったらプレスをかける。自分のできることを精いっぱいやり続けようという思いでした」

 完敗ムードが漂う後半43分、最悪の流れを断ち切ったのは中山だった。

「ラモスさんからのパスだったと思うんですよね。僕は相手の裏に出たボールを夢中になって追いかけて、『あ、これは間に合うな』という感覚のままスライディングした」

中山雅史

 そのスライディングは、まさにゴールラインを割ろうとするボールの勢いを寸前で殺した。中山は滑り込んだ勢いのまま立ち上がり、ゴールに向かって右足を振り抜く。無理な体勢から半ば強引に蹴ったボールに勢いはなかったが、ふわりと力なく飛んだボールは相手の虚を突く形でゴールへと吸い込まれた。

「みんなキョトンとしてるんですよ。ラインも割ってないのに。走り出した瞬間、ゴール前に誰かがいることは間接的な視界で分かったんです。でもどこにいるか、正確な位置が分からなかったから、とにかく素早くクロスを上げた。で、それがたまたま、ゴールの方向に向かっていったということですよね」

 必死の形相でボールを追いかける中山の独壇場を目にして、敵も味方も一瞬足が止まった。クロスを上げると予測した相手GKはポジショニングを誤った。

「ラッキーだったと思う」

 中山は笑顔でそう振り返るが、このゴールで試合の雰囲気が一変したことは間違いない。

「この試合は絶対に勝てる。もう1点取れる」

 自ら蹴り込んだボールを抱えた中山が相手ゴールから勢い良く飛び出すと、彼の思いはピッチ全体に広がった。

「この試合は勝てる。勝たなきゃいけないと思ったんですよ。だから自然とああいう行動に出た。悔やまれるのは、その直後のプレーですね。相手を背負った状態でラモスさんからパスを受けて、でも僕は振り向いてシュートを打つことができなかった。あそこでターンできていたら……。その後悔は、いまだにずっと残っていますよ。もう1点取ってイランと引き分けていたら、チャンスはもっと広がっていたはずだから。あの局面でターンしてシュートを打つことができなかった自分は全然ダメ。そう思いながら終わった試合でもありましたね」

 試合後のロッカールーム。オフトはホワイトボードにこう記した。

「3 wins」

 5試合のうち3試合に勝てば、必ず出場権を獲得できる。指揮官は最終予選に臨む前からこの数字を選手たちに強調していたが、それは「まだ可能性が消えたわけではない」という力強いメッセージになると同時に、「もう後がない」という緊迫感に包まれたメッセージにもなった。

 2試合を終えて1分け1敗。日本はまさに、崖っぷちに立たされた。

(第2回「北朝鮮戦〜イラク戦」」に続く)

プロフィール

中山雅史(なかやま・まさし)
1967年9月23日生まれ。静岡県出身。サッカーの強豪・藤枝東高、筑波大を経て、1990年にヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)に入団した。98年にリーグ戦4試合連続ハットトリックを記録し、J1歴代最多の157ゴールをマークするなど、多くの輝かしい成績を収めた。日本代表としても通算53試合で21得点。ワールドカップは2大会に出場し、98年フランス大会ではジャマイカ戦で日本選手として史上初めて得点を挙げた。そして2012年、惜しまれながら一線から退いた。

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