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足りないワンピースは誰か!? ザックジャパンの救世主を夢想する

2013.06.21

[サムライサッカーキング 7月号掲載]
苦しい状態に置かれているグループを救う働きをした人を、我々は《救世主》と呼ぶ。中田英寿、鈴木隆行、戸田和幸、本田圭佑……。日本代表の歴史の中にも救世主は確かに存在した。今後、ザックジャパンに《最後のワンピース》は現れるのだろうか。
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文=飯尾篤史
写真=Getty Images

 どうやら、彼らはある日突然、現れるものらしい。日本代表における《救世主》と言うべき男たちのことである。
 
 ブラジルW杯まであと1年。チームをもう一段、高みに導ける存在。チームに足りなかった最後のピースとなり得る存在。そうした選手たちが過去の日本代表には、確かに存在した。
 
 フランスW杯の1年前、1997年5月に行われた韓国との親善試合で、さっそうと代表デビューを飾ったのが、20歳の中田英寿だった。
 
 攻撃的MFとしていきなりスタメンに名を連ね、屈強な韓国人DFを吹っ飛ばしてスルーパスを連発した姿は、新時代の到来を予感させた。彼が『ジョホールバルの歓喜』の立役者となり、名実ともにエースになったのは、この試合からわずか6カ月後のことだった。
 
 2002年の日韓W杯でそうした存在と言えるのは、鈴木隆行と戸田和幸の2人だろう。01年3月、フランスに0─5の大敗を喫し、一時は5バックを導入したトルシエジャパンが1年後の本大会で3バックを貫けたのは、中盤で潰し役を一手に引き受けた戸田の存在が大きかった。彼がレギュラーになったのは、01年6月に日本で開催されたコンフェデレーションズカップからである。
 
 その2戦目のカメルーン戦で、代表2キャップ目にしてスタメンに抜擢され、2ゴールの活躍を見せたのが鈴木だ。もともと追加招集だった彼が起用された理由は何だったのか。フィリップ・トルシエ監督は「彼の眼を見て、決めた」と答えている。ロジックでは説明のつかない《何か》を鈴木から感じ取ったというわけだ。鈴木は1年後、日韓W杯初戦のベルギー戦で、値千金の同点ゴールを奪っている。
 
 10年の南アフリカW杯でチームを救ったのは、本田圭佑である。代表に定着するのは、VVVフェンロでオランダ2部のMVPと得点王に輝いた直後の09年5月から。初めてトップ下で先発したのは10年3月のバーレーン戦で、この試合でゴールを奪って岡田武史監督の期待に応えると、W杯ではセンターフォワードを務め、チームをベスト16に導いた。崖っぷちに追い込まれていたチームを蘇らせる、救世主に相応しい活躍だった。
 
 反対に、そうした存在が見当たらないのが06年にドイツで散ったジーコジャパンだ。中田や中村俊輔、宮本恒靖、中澤佑二といったレギュラー陣の顔ぶれは、03〜04年頃から変わらなかった。05年以降にインパクトを残した新戦力は、大黒将志ぐらいしかいない。その彼も、最後までスーパーサブの域を脱しなかった。本大会のメンバーにサプライズ選出された巻誠一郎も「FWの5番手」に過ぎず、チーム力を高めることはできなかった。
 
 つまり、既に完成しつつあるチームの現状を打ち破る救世主というのは、レギュラーとしてピッチに立つ必要がある。そうでなければ、チームを高みに導くことも、チームに新たな風を吹き入れることもできないからだ。
 
 こういった存在は、複数いる必要はない。1人でいい。だが、たった1人なのに発掘するのが難しいのは、彼らが《突然、現れる》からだろう。決して時間を掛けて育てられたわけではない。何らかの事情で、突然出番が巡ってくる。そのワンチャンスを逃さず、つかみ取ったものだけが、シンデレラボーイとして日本代表を救うことになる──。

若手好きのザック監督だが、最終予選中はメンバー固定

 アルベルト・ザッケローニ監督が《緩やかな世代交代》を目標に掲げたのは10年10月、アルゼンチンとの初陣に臨むメンバー発表会見でのことだった。

 就任当初の指揮官からは、確かにそうした気概が感じられた。11年1月のアジアカップでは、常連だった中澤、田中マルクス闘莉王、阿部勇樹、中村憲剛らを外し、細貝萌、本田拓也、伊野波雅彦、李忠成ら北京オリンピック世代を数多く選出したばかりか、19歳の酒井高徳まで招集している。
 
 11年5月には19歳の宇佐美貴史を初めて選出。8月の韓国戦ではU─22日本代表の清武弘嗣を招集し、途中出場させた。さらに12年2月のアイスランド戦では磯村亮太(当時20歳)、柴崎岳(同19歳)、久保裕也(同18歳)の3人を呼び、同2月のウズベキスタン戦では、ボルトンに期限付き移籍したばかりの宮市亮(同19歳)も手元に呼び寄せた。
 
 どちらかと言えば、《若手好き》の印象が強かった指揮官のイメージが変わるのは、12年6月にブラジルW杯アジア最終予選が始まってからだ。それ以降、メンバーがほとんど固定されている。
 
 なぜ、ザッケローニ監督はメンバーを固定したのか。
 
 それについて、5月のアゼルバイジャン戦で代表デビューを飾り、12年以降の数少ない新戦力の一人である高橋秀人は、こんな見方をしている。

「僕がずっと呼ばれているのは、最終予選の最中はメンバーをそんなに変えたくないからなんじゃないかと。監督は攻守において細かい約束事をチームに植え付けてきた。新しい選手を呼ぶと、それを一から教えなければならなくなるけど、予選中はそんな余裕がないのかな、って思います」
 
 それに加えて、ザッケローニ監督は過去、代表チームを率いた経験がなく、アジアを相手にホーム&アウェーを戦うのも初めてだから、メンバーを固定して慎重を期して戦いたかった、という理由も考えられる。
 
 いずれにせよ、もともと《若手好き》のザッケローニ監督である。すべては予選が終わってから、予選が終わりさえすれば――。そう考えていてもおかしくない。
 
 その点で痛恨だったのは、3月のヨルダン戦での敗戦だ。この試合でW杯の出場権を獲得していれば、5月30日のブルガリア戦から本大会に向けた様々なテストが行えた。6月15日にブラジルで開幕するコンフェデ杯には、現状のメンバーをベースに臨んだため、ニューカマーの発掘は、早くても7月に韓国で開催される東アジアカップから、ということになる。
 
 単なるバックアッパーという観点で探るなら、新戦力の候補は少なくない。最も近い位置にいるのが、これまでザックジャパンに招集された経験のある選手たちだ。宇佐美や宮市、大津祐樹、柴崎がそれに当たる。
 
 続いて、昨夏のロンドン五輪に出場した選手たち。ブルガリア戦に招集された東慶悟はもちろん、鈴木大輔、永井謙佑、齋藤学、山口螢、杉本健勇らが食い込んできてもおかしくない。
 
 あるいは、戸田がそうだったように、五輪世代でありながら、五輪出場を逃した選手たち。東と同じくブルガリア戦のメンバーに選ばれた工藤壮人、柿谷曜一朗、大迫勇也、大前元紀、米本拓司らのリバウンドメンタリティーは見逃せない。

《救世主》になるためには実力以外の《何か》が大事

 ただし、東アジア杯で活躍し、ザッケローニ監督の眼鏡にかなっても、それですなわちザックジャパンの救世主になれるというわけではない。レギュラーの大半が欧州組で固められている現チームのスタメンに食い込むためには、実力以外の《何か》が必要になるからだ。
 
 加茂周監督が中田を抜擢した背景には、主軸として期待していた前園真聖がスランプに陥ったという事情があった。前園が好調を維持していたら、中田の代表デビューは、もっと遅かったに違いない。
 
 戸田が起用されたのは、フランスに大敗して守備の強化が必要だったことに加え、ボランチのレギュラーだった名波浩が負傷で長期離脱したことが関係している。鈴木が追加招集されたのも、柳沢敦に続き、高原直泰も負傷で離脱したからだった。
 
 本田圭がスタメンに指名された際も、中村憲が顎を骨折し、トップ下のポジションが空いたという事情があった。また、本番直前には中村俊がコンディション不良に陥り、エースの座まで託されることになった。
 
 チャンスは一度あるかどうか。その千載一遇のチャンスをつかんだ者だけが救世主になるわけだ。だから、彼らは《突然、現れた》ように感じられる。
 
 そんな男たちに共通するのは、人並み外れたメンタリティーと強烈なパーソナリティーを備えている点だ。

 W杯出場を義務付けられ、プレッシャーに苛まれるチームにあって中田は、「普通に戦えれば、W杯には出られる」と言い続けていた。鈴木はその眼に指揮官が期待を寄せるだけの《何か》を宿していた。中村俊とFKのキッカーを奪い合った本田圭は「ベスト4じゃなく、優勝を狙う」と公言していた。
 
 だから、期待してしまう。昨年のJリーグアウォーズで、ステファン・エル・シャーラウィやネイマールらの名を挙げ、「ヤングプレーヤー賞に値する選手はいない。彼らに一歩でも近付き、日本を代表する選手になっていかなければ、世界とは戦えない」と言い放った鹿島アントラーズの若きボランチに──。「『8』を付けるチャンスを絶対に逃がしたくなかった。このチームのために死に物狂いでやって、優勝する」と公言し、現在、得点ランキングのトップに立つミスターセレッソの後継者に──。(了)

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