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「世界一のサイドバックになる」…壮大な宣言から3年、長友の“大勝負”が始まる

2013.06.13

[ワールドサッカーキング0620号掲載]

「世界一のサイドバック」という壮大な目標に向け、長友佑都は今、どの位置にいるのか? スピードとスタミナ、戦術理解力と万能性という武器は見せつけてきた。新体制でスタートを切る来シーズン、長友にとって“勝負の4年目”が始まる。
長友佑都
文=弓削高志 Text by Takashi YUGE
写真=ゲッティ イメージズ Photo by Getty Images

力強い宣言とともに挑戦がスタート

 日本代表の一員として、南アフリカ・ワールドカップでベスト16入りの快挙を成し遂げた2010年の夏、長友佑都は「世界一のサイドバックになる」という宣言とともに日本を後にした。イタリアに限らず、欧州サッカー界では自らのキャリアの展望を語る時、自身のポジションで「世界のベスト3に入りたい」、あるいは「いやせめてトップ5に」といったように、多少は言葉を濁すのがセオリーだ。そこにはもちろん、リスクヘッジの意図が含まれる。しかし、長友は違った。あえて「一番になる」と宣言したこの日本人サイドバックが、セリエAへ乗り込んで3年が過ぎた。

 長友は自らの宣言が“ただの希望”ではないことを実証するように、瞬く間にインテルの主力選手へと上り詰めたが、今シーズンは凋落する名門の一員として苦渋を味わった。世界一の選手とは、チームを世界一に導く選手。厳しいようだが現状では、世界一どころか、欧州の頂へと至る道もいまだ険しい。

 2011年1月にアジア王者となったばかりの長友が加わった当時のインテルは、単なる強豪クラブの一つではなかった。半年前のチャンピオンズリーグ(CL)準決勝でバルセロナを下し、決勝ではバイエルンを破って、通算3度目の欧州制覇を達成。スクデットとコッパイタリアも制し、イタリア史上初の“トリプレッタ”(3冠)を成し遂げていた。更に、当時のインテルはクラブ・ワールドカップを制覇したばかり。チームは燃え尽き症候群にも似た状況に陥りつつあったが、サミュエル・エトオ(現アンジ)やウェスレイ・スネイデル(現ガラタサライ)ら錚々たるメンバーは健在で、欧州最強チームの“余韻”を色濃く残していた。

万能性とスタミナでつかみ取った定位置

 長友はセリエAデビューを果たしたチェゼーナでイタリア流の守備戦術に戸惑いながらも、プロヴィンチャーレのレベルをはるかに凌駕するスピードとスタミナを見せつけ、渡欧後わずか半年でインテル移籍という異例のスピード出世を勝ち取った。入団会見で「インテルに来た以上、スクデット獲得は義務」と断言。いよいよこんな日本人選手が出てきたか、と胸のすく思いがしたものだ。

 日本サッカーに造詣の深い当時の指揮官レオナルド(現パリ・サンジェルマンSD)の存在にも助けられ、少しずつビッグクラブの水になじむと、日本人選手として中田英寿(当時パルマ)以来となるコッパイタリア優勝の美酒も味わった。

 だが一方で、CLの舞台では壁にぶち当たった。長友自身が「独特の緊張感と雰囲気がある」と語る欧州最高峰の大会にディフェンディング・チャンピオンの一員として臨んだ10-11シーズンの決勝トーナメントで、下馬評の低かったシャルケを相手に2敗(ホームでの第1戦が2-5、アウェーでの第2戦が1-2で敗北)。同じ日本人サイドバックの内田篤人を擁するチームから勝利を得られず、長友とインテルは準々決勝敗退を余儀なくされた。雪辱を期して臨んだ翌シーズンの大会も、決勝トーナメント1回戦でマルセイユにアウェーゴール差で敗れた。

 長友を指導した指揮官の話をすれば、監督経験が浅いレオナルドには、稚拙な采配への批判も続出。翌11-12シーズンには2度も監督が変わり、開幕早々のジャン・ピエロ・ガスペリーニ解任を経て、途中登板したクラウディオ・ラニエリも過密日程の消化に追われ、芯となる戦い方をチームへ浸透させることはできなかった。

 それでも、長友はネラッズーリの一員として1試合ごとにしっかりと足元を固めた。名門クラブを率いる将ともなれば一筋縄ではいかない策士ばかり。戦術も性格も異なる彼らの信頼を得るのは容易なことではないが、複数のポジションをこなせる万能性と無尽蔵とも言えるスタミナで、長友はポジションをつかみ取ってきた。特に、経験不足に起因する浅はかな采配やチームマネジメントの不手際を露呈した37歳のアンドレア・ストラマッチョーニには、「背番号55」がさぞ頼もしく映っていたに違いない。

新監督就任で迎える大きな岐路

 ただし、3年目の今シーズン、長友は負傷者が続出したチーム事情の犠牲となった。負傷で欠けたチームメートのポジションをカバーするために、左右のサイドバックとサイドMFに加え、中央でも起用されるなど、文字どおり“酷使”された。長友にとっては、日本代表戦との往復で強いられる多大な肉体的負担も追い討ちとなった。気丈な彼は、代表戦直後の試合にフル出場しても決して不満を口にすることはなかったが、昨年12月のふくらはぎ打撲を皮切りに、左ひざの負傷で後半戦をほぼ棒に振った。

 長友の出世街道は順風満帆のように見えるが、その実情は、重なる負傷や手痛い敗戦を乗り越えながら、異なる指揮官の信頼を勝ち取り、ポジションを見いだしてきた3年間でもある。

 長友が25試合の出場に留まった今シーズン、インテルは04年の20チーム制施行以来のワースト記録となるリーグ戦16敗を喫し、屈辱とも言える9位でシーズンを終えた。欧州カップ戦出場を逃したのは実に14年ぶりのことだ。

 シーズン終了から1週間と経たないうちに、インテルは新監督招へいに動いた。解任されたストラマッチョーニの後任に選ばれたのは、ナポリを2位に導いた知将ワルテル・マッツァーリである。

 マッツァーリは徹底した3バック信奉者であり、来シーズンのインテルが「3-5-2」もしくは「3-4-1-2」をベースに戦うことは確実だ。サイド攻撃を重視する新指揮官は、左右のサイドMFとして信頼できるフアン・カミーロ・スニーガ(ナポリ)とマウリシオ・イスラ(ユヴェントス)の獲得を既にフロントに進言している。

 「孤高の戦術家」として知られるマッツァーリが最終ラインに置くのは、一対一の対人守備でのうまさと、相手に競り勝つ高さを併せ持つ3人のセンターバック。つまり、長友のようなサイドバックが活躍する機会はほぼなくなるだろう。

 『ガッゼッタ・デッロ・スポルト』の見立てによれば、長友がインテルに残留する可能性は100パーセントとされているが、その場合、長友は一つの岐路に立たされる。仮にスニーガが加入すれば、長友は右サイドから積極的に攻撃へ絡むウイングハーフとしての起用法に活路を見いだすしかない。つまり、インテル残留を選んだ場合、長友は自身のプレースタイルを変更せざるを得ない状況に追い込まれる可能性があるのだ。

世界一を目指す長友にとって、“最も暑い夏”が始まる。続きは、ワールドサッカーキング0620号でチェック!

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