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バルサ退団を決意したV・バルデス、守護神の胸中に迫る

2013.04.19

[ワールドサッカーキング0502号掲載]
ビクトル・バルデス
インタビュー・文=アンディ・ミッテン Interview and text by Andy MITTEN
翻訳=高山 港 Translation by Minato TAKAYAMA
写真=ゲッティ イメージズ Photo by Getty Images

「早く俺を獲得してくれ!」なんて発言を聞いたことがあるだろうか? ウインドサーフィンをこよなく愛し、ブラジルのロナウドに恐怖を抱いた男。歯にきぬ着せない発言と、ディフェンスラインの背後のスペースをスイーパーのような動きで埋めることで有名なバルセロナの守護神、ビクトル・バルデスの“本音トーク”に耳を傾けてみよう。

新たな文化やサッカーを経験してみたい

「他の色のシャツを着ている自分を想像するのは難しい。11年間、バルサでプレーしてきたからね。だが、俺はバルサを出ていくつもりだ」。バルセロナ郊外にあるトレーニングセンターのインタビュールームのソファーに身を埋めたビクトル・バルデスはこう切り出した。更に、彼は、「バルサのGKとしてプレーすることは、他のチームで3年間プレーするようなものだ。ここでのプレッシャーは桁違いなんだ」と言う。

 V・バルデスは、今シーズンのバルセロナを“不可思議”なものにしたプレッシャーについて、そして、そんなシーズンになる前兆があったことを話してくれた。 リーガでは圧倒的な強さで独走態勢を築いたが、コパ・デル・レイでレアル・マドリーに敗れ、更にチャンピオンズリーグでは、ミランとのファーストレグで敗戦。そして、セカンドレグでの逆転劇。この“アップダウン”に多くの人が疑問や不安、そして安堵の気持ちを抱いたのは当然のことである。

 ジョゼ・モウリーニョ率いるR・マドリーが、コパ・デル・レイとリーガのクラシコでバルサに連勝した後、スペインのメディアは、「今のバルサは、かつての強いバルサとは明らかに何かが違っている」と伝えた。V・バルデスもその“変化”を認識しているようだ。それゆえに、彼がバルサを出たがっていると伝えたメディアもあった。だが、V・バルデスはそれを否定する。「そんなことは絶対ない。単に俺が新たな文化やサッカーを経験してみたいだけだ」と彼は言う。更に、「正直言って、俺はここで最高の時を体験させてもらった。俺はバルセロナの町が大好きだよ。俺はいつでもこの町に戻ってくるだろう。ただ、俺は素晴らしい仕事に就いている。サッカー選手という職業さ。サッカー選手であることで自由に旅ができるんだ。そして、俺は今、旅がしたいのさ」とも言う。

 V・バルデスと同じように“放浪癖”を持ったジョゼップ・グアルディオラは、4年間で14個のタイトルを手にした後、そして、バルサの歴史上最高の時期を経験した後、バルセロナを去って行った。そんなことがあったからこそ、V・バルデスが2014年以降の契約延長を拒否したと知った瞬間、ファンはV・バルデスへの支持をうたった横断幕を掲げて彼がバルサにとどまることを切望したのだ。だが、ファンの懇願も無意味なものに終わりそうだ。10歳の時に恥ずかしそうに「ラ・マシア」(バルサの下部組織)に加わって以降、20年間にわたり、バルサの一員としてプレーしたV・バルデス。バルサを去るという彼の決心を変えるのは限りなく難しそうなのである。

フィールド選手でもやれる自信がある

 ビクトル・バルデス・アリーバスは、バルセロナから車で1時間もあれば行けるガバという町で生まれ育っている。ガバは地中海に面した町で、そのビーチと風光明媚さは多くのサッカー選手を魅了している。実際に、今のバルサの選手の多くがこの地域に住んでいる。かつてはロナウジーニョが夜中に愛犬を連れてジョギングしたり、彼の親戚一同が集まって、どんちゃん騒ぎでバーベキューパーティーをしていたことでも有名になった町だ。V・バルデスは10歳の時にガバを離れることになる。バルサのスカウトに見いだされ、「ラ・マシア」で生活するようになったのだ。しかし、その直後、V・バルデス一家は大きな変化を余儀なくされる。「母の健康状態が悪くて、俺たち家族はテネリフェに引っ越したんだ。母には温暖な気候が必要だったからね。ガバやバルセロナを離れることはつらかったさ。ただ、今から思うと、テネリフェでの生活は俺の人生において最高の日々になったと思う。海が俺の人生に影響を与えてくれた。俺はテネリフェの島民と一緒にウインドサーフィンを楽しんだものさ。今でも、クリスマスには、家族に会いにテネリフェに行っているよ」

 V・バルデスが外国でプレーするという話になると、必ず出てくるのがイングランドのチームの名前である。彼はこれまでイングランドとどういう関わりを持っていたのだろうか?

「テネリフェで俺はイギリス人が多くいる地域に住んでいたんだ。真っ昼間に、彼らがひいきのチームのシャツを着てサッカーパブに行くのをいつも見ていたよ。それぞれのチームにそれぞれのパブがあるという感じでね。そう、チェルシーファンだけが行くパブとか、(マンチェスター)ユナイテッドのファンが集まるパブとか……。道路で大声を上げて勝利を喜ぶイギリス人のファン、ビールを飲んで太陽の下で踊っているファンもいた。当時の俺にとって、その光景はすごく楽しそうに見えた。ガバではそんな人々を目にすることがなかったからね」

 やがて13歳になった時、V・バルデスは両親から離れて単身、バルセロナに戻ってきた。そして、バルサのカンテラでの修行が始まったのだ。当時の彼はまだポジションが決まっていなかった。「俺だけじゃない。ここでは全員がまず、フィールドプレーヤーとしてプレーするんだ。カンテラで数週間が経過した時、誰かが言い出した。『誰がGKをやるんだ?』とね。誰もやりたがらなかったから、俺が志願したんだ」

 ポジションに関してV・バルデスは更に言う。「俺はフィールドでもやれる自信があるんだ。以前フレンドリーマッチを数日後に控えたある日、ペップ(ジョゼップ・グアルディオラの愛称)に言われた。『今度の試合で君を中盤で起用するつもりだ』とね。レオ(リオネル・メッシの愛称)の横でプレーできるというので俺はかなり興奮していたんだけど、ゲーム直前に、『あれはジョークだよ』と言われたのさ。俺はレオと一緒にプレーする準備ができていたんだけどね……」

 彼の「ラ・マシア」での役割は単にゴールを守ることだけではなかった。15歳の時、彼には当時12歳のアンドレス・イニエスタの世話役も課されていた。イニエスタは当時ひどいホームシックにかかっていた。チームメートのいじめにも遭っていたそうだ。そんなイニエスタを守るのがV・バルデスの仕事でもあった。チーム一の身長を誇る彼が、一言注意しただけで、イニエスタをいじめる者は誰もいなくなったそうだ。

ペップのおかげでサッカーを理解できた

 V・バルデスは02年に20歳の若さでリーガデビューを果たした。だが、デビュー当時の彼が順風満帆なサッカー人生を歩んでいたとは言い難い。デビューした頃の彼は、バルサの“アキレス腱”と見なされていた。重要な局面で凡ミスをするGKとして批判の的になっていたのだ。ファンは、V・バルデスがカタルーニャ出身だからミスをしても“大目に見ていた”が、彼がバルサのGKとして不適格だと多くの人が思っていた。ある意味、今のファンも同じである。彼の前にはメッシ、チャビ、ジェラール・ピケなど世界屈指の選手がいるのだから、バルサのGKはさぞかし楽な仕事だろうと考えているのだ。そんな周囲の声に対して、彼はこう言っている。「GKはミスをすると目立つものさ。問題に1人で立ち向かわなくてはならない。俺はミスをしてもくよくよ悩むことはない。悔やんでいいことなんてないからね。だから、俺はそういった批判に一切耳を傾けなかった。同じようなミスを繰り返さないよう自分自身で確認するだけだった」

 V・バルデスはリーガの最優秀GKに与えられる『サモラ賞』を5回も手にしている。これはバルサの歴史上、最多の回数である。更に、バルサの無失点記録も保持している。彼は彼自身の素晴らしい実績で周囲の批判をシャットアウトしたのである。

 彼は言う。「今の俺は5年前の俺より間違いなくうまくなっている。以前の俺のプレースタイルは『クレイジー』と言われても仕方がないくらい荒かったからね。だが、今は落ち着いているよ。GKは経験を積めば積むほど、ポジショニングが良くなるんだ。ポジショニングが良くなれば、すべてが楽になる。自信もわいてくるしね。俺はまだもっとうまくなれる。今後も成長し続けたいんだ」

 V・バルデスは、自身が成長できたのはグアルディオラのおかげだと言う。彼の前任者であるフランク・ライカールトに比べて、グアルディオラはバルサの下部組織で育った人材を重用してくれたおかげだと言うのだ。「ペップが監督になって初めて、自分がバルサの正GKだと感じることができた」と彼は言う。トルコ代表のリュストゥ・レチベルや、ドイツ代表のロベルト・エンケなど、外国から高い金でバルサにやって来るトップクラスのGKとの競争を強いられながら、彼はポジションを確保してきた。彼のプレースタイルはグアルディオラのアドバイスから生まれたものだと言う。「ペップにはプレーに参加するよういつも言われていた。彼のおかげでサッカーを理解できるようになった。ペップの下で、俺はリベロの役割も任されていた。ペナルティーエリアを飛び出してスペースをカバーするリスクを背負ってプレーしてきた。その結果、今の俺があるんだ」

俺とイケルの間には何の問題も存在しない

 V・バルデスは2010年に初めてスペイン代表に招集された。グアルディオラがバルサの監督に就任して以降のことである。それまで長い間、心ない評論家は、V・バルデスが代表でプレーしないのは、代表の絶対的な守護神であるイケル・カシージャスと折が合わないからだと言っていたが、V・バルデスはそれに異議を唱える。「人が何と言おうと、俺とイケルの間には何の問題も存在しない。俺はプロである以上、代表でも常にゴールマウスに立つために努力している。だが、それがかなわない時はサポートに回ることをいとわない。その姿勢はイケルも同じだと思う。試合に出たい気持ちはあるけど、グループの一員としてプレー以外の仕事をすることに何の問題もない」

 スペイン代表におけるV・バルデスの立場は微妙なものだ。カシージャスとの競争だけではなく、今では、マンチェスター・Uのダビド・デ・ヘアのような若手の脅威を感じているはずである。彼はデ・ヘアについても語ってくれた。「デ・ヘアはとても成熟したGKだよ。彼はまだ22歳だが、俺やイケルと同様な経験を持っているかのようなプレーをする。ゴールライン上での反応の速さは驚異的だよ。彼がマンチェスターで活躍してファンに好かれていることを俺自身すごく喜んでいるんだ」

俺が対戦した中で最高のFWは……

数々のビッグマッチでプレーし、百戦錬磨のストライカーたちと対峙してきたV・バルデスが語る“最高のFW”とは?

続きは『ワールドサッカーキング0502号』にて!

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