2014.02.05

「この大会を知らなかったということは己の無知を恥じるしかない」――土屋雅史

 2011年に産声を上げ、サッカーファン、映画ファンから熱い支持を集めてきた「ヨコハマ・フットボール映画祭」。今年も2月8日(土)〜11日(火/祝)の4日間で世界のサッカー映画の珠玉の作品か9作品を一挙上映! そこでサッカーキングでは映画祭の開催を記念し、豪華執筆陣による各9作品の映画評を順次ご紹介。今回はその豊富なサッカーの知識量から“ツチペディア”の異名を持つ土屋雅史さんより日本初公開作品『ロスト・ワールドカップ-消えた1942年大会-』の映画評をご寄稿いただきました。
ロスト・ワールドカップ-消えた1942年大会-

「この大会を知らなかったということは己の無知を恥じるしかない」土屋雅史

 人類に未曾有の災禍をもたらした第二次世界大戦。その忌まわしき争いによって、世界中から色々なものが“消えて”しまったことはよく知られているが、それはスポーツの世界であっても例外ではない。

 1940年に開催予定だった夏季オリンピックは、正式な投票を経て東京で行われることが決定していたが、戦局の悪化に伴う開催権返上によって大会そのものが“消えて”しまった。あるいは、1942年に台湾を含む日本全国から16校を集めて熱戦が繰り広げられた“夏の甲子園”は、徳島商業が延長でのサヨナラ勝ちで劇的な優勝を勝ち取ったものの、主催者の関係で現在も正式な大会としては記録から“消えて”しまっている。そして、今回ヨコハマ・フットボール映画祭2014で上映される「IL MUNDIAL DEIMENTICATO」(邦題:ロスト・ワールドカップ-消えた1942年大会-)がテーマとして扱っているのは、前述の甲子園と同じ年に開催されながら、やはり“消えて”しまった1942年ワールドカップである。

 アルゼンチンはパタゴニア。世界的なアウトドアブランドもその名をモチーフにした南米最南端の地域にある化石発掘現場で、白骨化した遺体が発見される。その傍らにあった映画カメラの中には、歴史上から“消えて”いたはずの1942年ワールドカップの大会映像が収められていた、というのがこの映画の冒頭である。

 そもそも1942年ワールドカップに、ブラジルとドイツが開催地として立候補していたことはあまり知られていないのではないか。まさにナチス政権の真っ只中にあったドイツは、自国開催となるベルリンオリンピックの最中に行われた、1938年大会の開催地投票で惨敗。それでも世界的なイベントの成功こそが格好の国威発揚に繋がると確信していた政権は、4年後の開催にも立候補への意欲を見せるが、FIFAは大会そのものの中止を決定。結果的にドイツはワールドカップ初開催まで、それから30年以上を要することになる。

 1938年大会の開催地投票で敗れたのはドイツだけではない。第1回となった1930年大会、1934年大会と続けて出場していたアルゼンチンも、南米と欧州の隔回開催を掲げ、大会招致に名乗りを挙げていたものの、結果はフランスに4倍以上の得票差を付けられ、屈辱的な大敗を喫していた。故に1942年大会の開催には、リベンジを期す意味も込めて再度挑戦すると目されていたのだ。ところが、映像として記録されていたのは、アルゼンチンはアルゼンチンでも“パタゴニア”大会である。まさに「戦争から遠く離れた辺鄙な土地」パタゴニアで、ワールドカップが開催された陰には、「エキセントリックな金持ち」だというカウント・オッツの存在があった。

 ヨーロッパの宮殿を購入し、世界中から連れて来た動物たちのミュージアムを開設し、高額な収集品を買い漁るなど、エキセントリックな行動ばかりが目立つ一方で、その根底にはすべてサッカーへの愛情が流れていたオッツは、パタゴニア国王からスポーツ大臣就任の命を受けたことを契機に、ある決断を下す。それは、当時FIFA会長を務めていたジュール・リメへと書簡を出すこと。そこにはこう記されていた。「私はサッカー界や全人類に打撃を与えた惨事について知りました。FIFAの1942年のW杯を中止するという決断。私は誇りを持って、パタゴニア王国でのW杯開催をあなたに申し出たい」。結果、ワールドカップを是が非でも開催したいリメとオッツの思惑は一致し、オッツはワールドカップの組織運営を任されることとなった。周囲はパタゴニアでの開催に対し、一貫して懐疑的な目を向け続けたが、それでも男の情熱は衰えない。

 1942年11月8日。オッツはワールドカップの開会式で演説の舞台に立っていた。大会には前回優勝のイタリア、政権から戴冠を義務付けられて海を渡ってきたドイツ、本来の開催地候補だったブラジル、ワールドカップはこれが初出場となるサッカーの母国・イングランドなどの強豪に加え、地元アルゼンチン、“本当の”地元 パタゴニア、チリ代表として長年活躍したマルセロ・サラスもその血を引くという現地の先住民族マプチェといったチームも参加。ディフェンディングチャンピオンのイタリア対“本当の”地元チーム・パタゴニアのオープニングマッチで幕を開けた祭典は、オッツが正式な大会公式カメラマンとして任命したギジェルモ・サンドリーニの斬新な撮影手法もあって、様々な角度から記録された映像で次々と披露されていく。

 ロベルト・バッジョやガリー・リネカー、ホルヘ・バルダーノなどの世界的な名選手も、このパタゴニアワールドカップの開催について、少なからず認識があった様子が映画の中で本人の口から語られる。また、特筆すべきはこの大会のレベルの高さだ。例えばトリックPK、例えばまたぎリフティング、例えばスコーピオンなど、現代サッカーでも驚きをもって迎えられるであろう数々の大技も、フィルムの中には収められていた。さらに、今でもその是非が議論の的となっているゴールテクノロジーですら、既にこの大会ではアナログ的な手法とはいえ、活用されていたのだ。そして数々の難関を乗り越え、栄えあるジュール・リメ杯を最後に掲げるチームは果たして……。

 記録やデータに対する知識には比較的自信を持っていた私も、この大会を知らなかったということは己の無知を恥じるしかない。オランダ領東インドやザイールが過去のワールドカップに出場していたことは把握していたものの、パタゴニアやマプチェも参加していたという事実は今回初めて知るところとなった。この映画は今回が日本初公開。目下の悩みは、いつ“Wikipedia”の日本語版に「1942年パタゴニアワールドカップ」という項目を追加してしまおうかということである。

【プロフィール】
土屋雅史(つちや・まさし)
1979年8月18日生まれ、群馬県出身。株式会社ジェイ・スポーツ 制作部 中継制作チーム プロデューサー。2003年の入社以来、WORLD SOCCER NEWS「Foot!」スタッフを8年間務め、2011年よりJリーグ中継担当プロデューサーに。最多年間観戦試合数は現場、TV中継含め1000試合を超える。共著として「ジャイアントキリングを起こす19の方法」(東邦出版)、「メッシはマラドーナを超えられるか」(中公新書ラクレ)。

『ロスト・ワールドカップ-消えた1942年大会- 』
(イタリア/95分/2011年制作)
上映:2月8日(土)17:30~/2月9日(日)15:10~/2月10日(月)13:15~
監督・脚本:ロレンツォ・ガルツェッラ/フィリッポ・マセローニ
出演:セルジオ・レビンスキー/ロベルト・バッジォ/ジョアン・アベランジェ/ゲリー・リネカー/ホルヘ・バルダーノ
舞台:1942年ワールドカップ パタゴニア大会
©2011 – Verdeoro Srl – DockSur Producciones S.A.

【ヨコハマ・フットボール映画祭2014について】

世界の優れたサッカー映画を集めて、2014年も横浜のブリリア ショートショート シアター(みなとみらい線新高島駅/みなとみらい駅)にて2月8日(土)・9日(日)・10日(月)・11日(火/祝)に開催! 詳細は公式サイト(http://yfff.jp)にて。

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