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東洋大DF浦上仁騎、折れない“雑草魂”で古巣大宮への帰還を目指す

2016.10.16

最後列から存在感を放つ浦上 [写真]=スポーツ東洋

文=吉本一生(スポーツ東洋)

 今季から背番号「4」を背負い、センターバックとして試合に出場し続けている浦上仁騎。大宮アルディージャのアカデミーで中高を過ごし、一見エリート街道を進んできたようだが、常々口にするのは「雑草魂」という言葉。浦上のここまでの歩みには知られざる葛藤があり、そして今、描く未来像(ビジョン)には誰よりも強い想いがあった――。

 JR東日本カップ2016第90回関東大学サッカーリーグ戦第14節、最下位の明治学院大学にまさかの黒星を喫し、表情が暗かった浦上はそれでも淡々と試合の課題点を語った。「もっと自分に厳しく」。勝利した試合の後は、満面の笑顔で雄弁に取材に応え、少しおちゃらけたイメージもあるが、実際は勝利も敗北も一試合一試合の結果、内容をしっかりと受け止めている。「試合に出させてもらっている以上、負けて終わりじゃダメ」。浦上はピッチに立つという喜びを誰よりも知っている。

 小学生時代、「自分が一番うまいと思っていて、いわゆる天狗だった」という浦上。その鼻は大宮のアカデミー入団と共に、こてんぱんにへし折られる。小野雅史(明治大学)ら有望株が多く、「無理だと思った」というMFでの入団を諦めセンターバックに転向。「下から数えたほうがいいくらいのスタートだった」と、中学1、2年時はピッチに立つこともままならない日々が続き、確実に出場機会が得られたのは3年になってからだった。

「保留」。大宮のアカデミーから大宮ユースに昇格できるかの面談で告げられたのは残酷な2文字だった。アカデミーの同期でセンターバックでコンビを組んでいた高山和真(大宮アルディージャ)らがユース昇格を決める中、「自分は主力級ではなかった」とその通告を静かに受け止めた。ユースの練習参加という2週間のいわゆる“試験期間”でギリギリ追加合格となった浦上は、このときの悔しさを決して忘れない。

 ユースに上がってから、意識は大きく変わった。高校1年時から試合にベンチ入りするようになり、3年時には不動のレギュラー、このまま将来を描くようにもなった。しかし、夏に骨折の大けが。トップチームには上がることができず、志望していた大学のセレクションに参加することもできなかった。そんなとき、東洋大から声が掛かり、「大宮と似ている部分もあるし、すごい可能性のあるチームだなと思った」と、大宮で先輩だった小澤佑太にも相談をして入団を決めた。

 東洋大の同期入団には、クラブチームのユースや強豪校から多くの注目選手が集まる。「レベルは高いだろうなとは思っていた」というが、もう折られるような長い鼻は無かった。「自分が高校時代で積み上げてきたものは大きい。明らかに自分は努力をしてきたので。(高橋)宏季(FC東京U-18出身)とか有名選手の存在も知っていたけれど、やっぱり東洋大に行って一年目から試合に出るっていうのが自分の中での“絶対”だった」。そして、その“絶対”はカタチになる――。

「エリート街道を通ってきたわけではない。常にもまれて、評価もなかなかされなかった。自分のいいところは、絶対に諦めないところ。どんな立場でもそのときの現状をしっかり受け入れて、何をすべきかを常に考えている。今も試合には出ているけど、試合ごとになぜ負けたのか、なぜ勝てたのか、そういう分析をこれからも大切にしたいと思う」。

 浦上は常に自分を見つめ、そして未来を見つめる――。

「(将来は)大宮アルディージャに戻る。ユースでトップに上がれなかったときから、ここに戻ってきてやろうと強い気持ちがあった。そこは絶対にぶれない」。幾度もの悔しさを味わった浦上の「雑草魂」は、必ず彼を救うはずだ。「まずは東洋大でもっと圧倒的な、絶対欠かせない存在になりたい」。大きな野望を持った東洋大サッカー部背番号「4」の“絶対”は、いつか“絶対”叶う――。

試合情報や選手のプロフィールはスポーツ東洋のホームページ(http://sports-toyo.com/news/detail/id/5153)をご覧ください!

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