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日本代表の酒井宏樹が柏レイソル育成組織時代を振り返る「高校3年までレギュラーではなかった」

インタビュー=坂本聡 写真=吉田武

 ハノーファーでの3シーズン目を戦い終えた日本代表DF酒井宏樹が、プロを目指して奮闘していた育成年代当時を振り返った。

「王様で好きにやらせてもらっていた」というFWが、名門柏レイソルのアカデミーの門を叩き、少なくない挫折やコンバートを経てトップ昇格を果たす。ドイツで活躍する大型サイドバックに進化を遂げていく過程が明かされる。

これまでのサッカー人生は挫折ばっかり

――柏レイソルにはジュニアユースから加入されましたが、当時はカルチャーショックのような感覚も受けましたか?
酒井 ありましたね。みんな、めちゃくちゃうまいなと。僕自身は身体能力でカバーできる部分がなくなってきていたので、自分には何が必要か気付かされました。当然落ちこみましたし、色々と感覚も変わりました。それまではずっと王様で好きにやらせてもらっていたのが、一気に状況が変わりました。

――当時の指導で印象に残っていることはありますか?
酒井 なんだろう。あまり覚えていないんですよね(笑)。ただ、徐々にFWではなくなり、少しずつサイドに移り、それからサイドバックになりました。

――やはり悔しい出来事でしたか?
酒井 すごく悔しかったと思います。何も言われずに、ただポジションを下げられる。だから「ああ、FWではダメなんだ」と捉えていましたが、今思えば、色んな方がサイドの方が適していると判断してくれていたのだと思います。当時は子供の考えで、サイドの方が適していると言われても「嫌だ」となっていました。


――その挫折は、現在に活きていたりしますか?

酒井 活きているかどうかはわかりませんが、僕のこれまでのサッカー人生はそれこそ挫折ばっかりです(笑)。そんなに華々しい経歴ではないですし、Jリーグも50試合出ているか出ていないかくらいで(編集部注 Jリーグ通算51試合出場)、まだ実績もありません。最近ようやく通算100試合出場なので、まだまだですね。

苦しい練習をするからこそ、試合で良いプレーができる


――柏の育成組織時代は、工藤壮人選手らが在籍して、黄金世代とも言われていました。選手間はガチガチのライバル関係でしたか? それとも仲が良かったのでしょうか?
酒井 みんな仲が良く、今でも良い関係です。現在トップチームの監督を率いている吉田(達磨)さんがコーチで、チームの和を大事にする方でしたから。そして練習ではとても厳しく、みんなで食らいついていくことで、上に上がっていったという感じでした。そういうことでも、運が良い世代に生まれたなと思います。僕なんかは、高校3年生までレギュラーではなかったですからね。

――そうなんですか? 当時は2種登録でしたよね?
酒井 トップ登録はされていましたが、同じポジションに輪湖(直樹)がいて、どちらが出るか、出ないかという形でした。3年生になると、輪湖がいなくなり(ヴァンフォーレ甲府に加入)、レギュラーポジションが確保できました。だからすごく変でしたよ。2年生の時にレギュラーではなかったのに、3年生になったら2種登録されてプロになるみたいな。

――吉田監督はどのような指導でしたか?
酒井 厳しかったですが、ちゃんと選手を思って接してくれる方でした。当時はふてくされることもありましたが、今振り返ればしっかりと正してくれていたんだと思います。実際に自分たちの年代、同い年の選手たちがいろんなところで活躍しているのは、非常にうれしく刺激になっています。

――ありがとうございました。最後に子供たちが「練習をもっとがんばろう」と思えるような秘訣やコツはありますか?
酒井 「今日は練習やりたくない」と思う時もあるかもしれないですが、楽しいことばかりではありません。苦しい練習をするからこそ、試合で良いプレーができてそれが楽しさにつながる。1日1日の積み重ねだと思います。それと、小中高校時代はすごく伸びる時期。僕も、今でももっと練習をやっておけば良かったと思います。大人になってからやるのと、小中高校時代にやるのでは効果が全然違いますから、今を大事にして練習をがんばってください。

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