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【インタビュー】「兄弟で全国大会のスタメンになるなんて…」岡崎慎司、兄と2トップ形成の選手権を回顧

2022.12.26

[写真]=アフロ

 今月28日に第101回全国高校サッカー選手権大会が開幕する。選手権の歴史を彩ってきた選手たちに当時を振り返ってもらう連載『BIG STAGE-夢の舞台に挑め-』。第4回は滝川第二高校出身のFW岡崎慎司(シント・トロイデン)に夢の舞台への熱い想いを聞いた。

取材・文=土屋雅史

高校サッカーをやり尽くした

[写真]=アフロ

――選手権に対して持っていたイメージはどういったものでしたか?
岡崎 中学生の頃はそこまで知らなかったですけど、兄が行った滝川第二高校が全国大会に出場しているのを見て、そこで選手権が身近になりました。サッカーの種類が違うというか、盛り上がりも含めて中学の自分たちのサッカーよりもっとプロに近いのかなと思って、それぐらいから意識しました。

――1年生の選手権ではいきなり初戦の室蘭大谷高校戦からお兄さんの嵩弘さんと2トップでスタメンでした。この試合にはどういった思い出がありますか?
岡崎 もう何もできなかったなと。1回だけ決定的なチャンスがあって、それを決められなかったのは覚えていますね。それ以外はとにかくがむしゃらにやったイメージです。兄弟で全国大会のスタメンになるなんて感慨深かったんですけど、試合が終わった後に『岡崎兄弟、マジでちゃんと合わせろよ』みたいな話になったんです(笑)。僕は1年なので、兄だけが『兄貴なんだからお前がちゃんと連携取れよ!』みたいに言われているのを見て、『ゴメン、兄貴……』と思っていました(笑)。

――準々決勝の東福岡高校戦は2ゴールを決めています。
岡崎 その試合も兄と2トップを組んでいて、初戦よりお互いの連携が良かった印象はあります。1点目は相手に当たって入ったようなゴールでしたけど、自分の中では1回戦でシュートを外したのも弱気なところがあったからだと思っていたので、その試合は無理にでもシュートを打ちました。そういった流れがゴールにつながったと考えると、自分がちゃんと選手権の中で成長していったのかなと。喜び方は今もあまり変わっていないですね(笑)。

――準決勝の市立船橋高校戦は、前日に発熱されていたんですよね。スタメンで出場していますが、前半17分で交代しています。
岡崎 座薬を入れたりして何とか出たんですけど、あんなに早く交代させられるとは思わなかったです。その試合自体の記憶はあまり強くないですね。万全でできなかったのが悔しかったです。結果的に今まで国立ではあまり良い思い出がないんです。ナビスコカップも天皇杯も決勝で全部負けているので、いつかは良い思いをしたかったですけど、今は新しくなってしまいましたからね。

――2年生の選手権では初戦の長岡向陵高校戦から2ゴール1アシストを記録していますね。
岡崎 前の年の初戦は頭がパニックになるぐらい緊張した中で、その試合はある程度余裕を持ってプレーできたので、成長を感じた試合でもありますね。

――3回戦の立正大淞南高校戦はオーバーヘッドをしたことで、試合後に黒田(和生)監督からかなり怒られたと聞きました。
岡崎 あんなに怒られたことは後にも先にもなかったです。強いシュートを打ちたかったので、頭ではなくてたまたまオーバーヘッドみたいな形を選んだんですけど、少しだけ枠を逸れて『結構惜しかったな』と思っていたら、試合後にめちゃくちゃ怒られました。初戦で2点取っていたので、気持ちを引き締める意味もあったのかなと。『お前、ちやほやされて調子に乗っているんだろ』みたいに言われて、怒られたこともそうですけど『自分はそんなふうに驕っていたつもりはないねんけど』という悔しさはありました。今は正直反論したい気持ちもあるんですけど(笑)。当時は『ああ、そうだったのかな』って素直に思いましたし、黒田先生にしてみれば、あのプレーはダメだったんでしょうね。黒田先生の中には絶対に持っている感覚があって、自分たちに見えていない何かが見えているんですよ。高校サッカーの名将はみんなそういう目を持っている気がします。

――練習中からも黒田先生の“目”を感じたことはありましたか?
岡崎 『サッカーと人間性はイコールだ』ということはよく話していましたし、常に『ただサッカーをやっているだけでは上手くならない』と。サッカープレーヤーとしてというよりも、それぞれの“人”の部分を見ていたようにも思うので、僕らが驕らないようにしたり、やる気にさせてくれたり、愛情を感じさせてくれたり、人間味のある人だなとは今でも思います。

――準々決勝の初芝橋本高校戦は素晴らしいダイビングヘッドを決められていますが、PK戦ではキッカーを務めていないですよね。
岡崎 僕は今でもPKはほとんど蹴っていないですし、常にチームの9番目か10番目を争っていますよ(笑)。それを決定付けたことがあって、ちょっと後の話になるんですけど、3年生の時のインターハイでベスト4を懸けて国見と対戦したんですね。その試合のPK戦でも僕は6番目で、それもかなり悩んで『もうキャプテンなんだから自分が行こう!』と蹴って外したんですけど、あとで聞いたらその助走が一歩しかなかったらしいんですよ(笑)。それぐらい緊張していましたし、もうそこからはトラウマで、あの場所に立つのも『嫌だな』と思ってしまうんです。日本代表でもアギーレが監督をやっていた時にコーナーキックを任されたんですけど、それも緊張しましたから(笑)。あのみんなが見ている間が嫌なんですよ。自分でも『よくサッカー選手やっているなあ』と思いますけどね(笑)。

――準決勝は2度目の国立でしたが、平山相太さんの2ゴールで国見高校に敗れています。
岡崎 あの時はとにかく国見のメンバーに圧倒されました。中村北斗、兵藤慎剛、平山相太、同い年の藤田優人も渡邉千真もいて、『本当に強いってこういうことなんだ』って。自分も何もできなかったですし、それこそ『プロに行く選手ってこういう人たちなんだな』とも感じました。やっぱり平山相太くんが凄かったです。規格外でしたね。

――3年生の時は大会直前で疲労骨折をしてしまうんですよね。
岡崎 全国出場が決まったあとにケガしてしまったんです。ただ、全国に連続で出なくてはという予選の重圧が凄かったので、その時は一つの山を乗り越えた感じもあって、ある意味で受け止めるのは難しくなかったですし、キャプテンとしてみんなを鼓舞する方を一生懸命やろうという切り替えはできていました。

――抽選会では星稜高校のキャプテンだった本田圭佑選手と学生服同士で握手していましたね。
岡崎 当時は髪型もボサボサで、制服もダラッと着ていましたし、松葉杖も突いていたので、今から見るとツッコミどころの多い写真になってしまいました(笑)。そんな自分に比べて、圭祐は『堂々としたもんだな』と思いました。あの時に初めて会ったんですよね。

――初戦の星稜戦は激しく打ち合って、3対4で敗れています。この試合はいかがでしたか?
岡崎 1点リードされてハーフタイムを折り返して、後半に入ってすぐに2対2になったところまでは接戦で、そこから2点を取られたんですよね。どっちにも勝ちが転がるチャンスはあったと思いますし、僕が入ってすぐに点を取ったんですけど……。

――おっしゃるように残り20分ぐらいで登場して、岡崎選手らしいゴールを決めました。
岡崎 デカモリシ(森島康仁)は自分のゴールだと主張しますけど、『俺のゴールだ!』って言っていました(笑)。ラスト20分も相手より自分たちの方に勢いがあったので、勝ちに持って行けるチャンスはあったと思います。最後にまた僕に決定的なチャンスがあったんですけど、『あれが入っていたらなあ』とは今でも思い出しますね。

――試合が終わった瞬間はどういうことを思いましたか?
岡崎 もうたぶんケガをした時点から、本当の意味で自分の考えていた選手権ではなくなっていたと思うんですよね。選手としてというよりは、キャプテンとして陰でチームを支えることを考えていましたし、試合が終わった時に悔しさはありましたけど、僕はプロに行くことが決まっていたので、その時のチームメイトの想いを背負って、ここから長く続くであろうサッカー人生の中で、この借りを返すというか、この悔しさを持った自分がプロとして周りの選手たちを超えて行ってやろうというモチベーションに変えようと、切り替えたのは覚えています。

――今から振り返ると、高校選手権はどういう大会だったなと思いますか?
岡崎 やっぱりプロを経験して、海外でのプレーも経験しても、あんなにもチームのことや周りのことを考えることは、後にも先にも高校サッカーの時だけだったなと感じています。高校生という凄く多感な時期に、あれほどまでサッカーに打ち込めたことで、それこそ黒田先生が話していた『人間性=サッカー』ということにつながると思うんですけど、社会に出る準備はできましたね。自分の目標に向かって頑張る中に、チームがあって、ライバルたちがいて、あのいろいろなものが凝縮された中で夢を目指すという世界で、あの時期に泣き尽くした感じもあって、それからなかなか泣けなくなったんですよね。僕は『高校サッカーに感情を置いてきた』といつも言うんですけど(笑)、それぐらい高校サッカーをやり尽くしたのかなと。でも、僕は最後にああいう形で星稜戦に負けて、完全燃焼できなかったから逆に良かったと言えるのかもしれないです。実はレスター時代にプレミアリーグを優勝したあと、同期を全員集めた同窓会をした時に、プレミアの優勝メダルを持ってきて、『あの時の借りを返すためにプレミアリーグで優勝しました!』と言えたので、自分の中でちょっとは借りを返せたのかなと思います(笑)。

――スケールの大き過ぎる話ですね(笑)。
岡崎 あまりみんなには響かなかったです。自己満足って感じでした(笑)

高校時代の経験が自分の一生の生き方を左右する

[写真]=STVV

――岡崎選手が“熱くなった”で思い出す高校時代のエピソードを教えてください。
岡崎 1年生や2年生の頃に選手権で負けた時、試合に出ていない先輩たちが泣きながら『お前ら良かったよ』みたいに言ってくれた瞬間は、熱くなりましたね。3年生の時も、試合に出られなくてもチームを最後まで応援してくれる同級生の選手たちがいて、『そうやって応援できる人は凄いな』と今でもずっと思っています。今回のワールドカップの日本代表の試合を見ていても、嬉しい反面、選手である以上は自分が出ていないことに対して、悔しい気持ちは絶対にあるんですよね。それと同じ状況の当時の先輩たちが、ああやって応援してくれていたことを考えると、現実を受け止めて頑張ることは相当なエネルギーにつながるのかなとも感じますし、それが高校サッカーの魅力だろうなって。今の自分から目を背けずに受け入れることは、社会に出ても必要なことで、現実を突き付けられた時に、自分がその後に何をするかが大事ですから。

――続いて、高校時代に“熱く”こだわったトレーニングを教えてください。
岡崎 学年対抗の紅白戦ですね。自分が下の学年の時に上の学年と対等にやれる一番のチャンスなので。上の学年の時はめんどくさいですけど(笑)。下の学年で上とやる時は『先輩を食ってやろうぜ』みたいなノリで一番熱くなりますよ。あとは雨の日の練習で水たまりにダイブするとみんな盛り上がるあの感じも、アホだからいいんですよね(笑)。とにかく寒い日の練習で、トンボでグラウンド整備をしていた時に顔が固まって、笑っているのに笑えていないヤツを見て、メチャメチャ笑ったのも思い出します(笑)。『全然笑えてないじゃん』みたいな。あれだけキツいのに、何であんなに楽しかったのかなって考えると、やっぱり『高校生ってエネルギーがあるな』と思います。

――岡崎選手は高校時代からミズノのスパイクを履かれていましたね。
岡崎 僕の足は幅が広いので、横が広めのものをメインに色々挑戦していたんですけど、同級生が最初にミズノのウエーブカップをおすすめしてくれて、そこから長く履いていますね。

――色に対するこだわりはありますか?
岡崎 ほとんどなかったですね。ただ、履き心地だけにはこだわっていて、ストレスが全くない状態で履けることが一番なので、そういう意味でも高校時代からずっとミズノのスパイクを履いています。

――ウエーブカップがやはり一番思い入れのあるスパイクですか?
岡崎 選手権のゴールも全部ウエーブカップで決めましたし、日本でプレーしていた時もずっとウエーブカップでしたからね。やっぱり履きやすさと軽さが特徴で、革も含めて足になじみやすいというか、使えば使うほど自分の足にフィットしていくので、本当に穴が開くまで行った時ぐらいが一番履きやすいぐらいのイメージです。今でもそのぐらいボロボロになるまで使い切っています。そういえば、以前チェルシーと試合した時にジョルジーニョが『ミズノいいよな』と話しかけてきました(笑)。ミズノを履いている選手を見ると自分も嬉しくなりますよ。

――最後に高校サッカーを頑張っている学生へメッセージをいただけますか?
岡崎 最も自分の人生に影響があったのは間違いなく高校の3年間なので、失敗も成功も含めてそこでどれだけ全力を尽くしたか、どれだけそれぞれの目標のために頑張れるのかが大事だと思います。高校サッカーは、サッカーだけではなくて、学校生活も含めてみんなで一緒にやるわけで、その二つを全力で頑張ることによって、その経験が自分の一生の生き方を左右するのかなって。そこで『頑張ったな』と思えれば、その後の人生は凄くいいものになるはずですし、少なくとも僕はそうだったので、高校生のみんなには今を全力で生きてほしいです。




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