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筑波大FW中野誠也が明かす磐田加入の理由「ジュビロの黄金期を築くことが一番の幸せ」

2017.06.21

2018シーズンからの磐田加入が内定している中野 [写真]=梅月智史

 一度は「他のクラブに行く」覚悟を持ってジュビロ磐田を離れた。それでも結局、“復帰”の道を選んだのは、「やっぱりジュビロ」だから。あふれ出る愛着と感謝の気持ちを胸に、中野誠也は再びサックスブルーのユニフォームに身を包んで戦う。

インタビュー・文=平柳麻衣

エースとして筑波大の攻撃をけん引する [写真]=知念駿太

 2013年11月10日。ジュビロ磐田史上初のJ2降格が決まった日、中野誠也の胸中には複雑な思いが交錯していた。

 当時、磐田U-18に所属していた中野にとって、磐田は幼い頃から間近で見てきたプロサッカークラブ。「強くて当たり前」の印象が強かった。そんな憧れの的だった磐田がJ2に降格した。ショックや悔しさ、虚しさ……しかし、それ以上に中野の心を占めていたのは、強烈な反骨心だった。

「2013年はちょうど僕が高校3年生の年で、8月にはトップチームに上がれないことが決まっていました。U-18でずっと結果を残してきたのに『何で?』という気持ちがあった。だから、ジュビロが降格したことにも、正直それほどショックは受けていなかったです」

 だが、それから約3年が過ぎた2017年、中野は磐田への加入を決めた。

昨年、今年の磐田の鹿児島キャンプに参加した [写真]=Jリーグ・フォト

■名波さんが僕に気づいてくれたことが本当にうれしかった

 磐田U-18時代、中野はチームのエースとしてプリンスリーグ東海3連覇に貢献し、国体やJユースカップでは得点王を獲得した。しかし、トップチーム昇格の夢は叶わなかった。進学した筑波大学での生活は、「大学で活躍して、ジュビロ以外のチームでプロになって見返してやる」という並ならぬ決意を持ってスタートした。

 入学当初はなかなか力が通用せず、高校時代よりもプロが遠く感じられた。しかし、夏の金沢遠征をきっかけに、中野は次第にストライカーとして頭角を現していく。後期リーグからは1年生ながらに1トップを務め、チームの2部降格とは対照的に、個人としては手応えをつかむことができた。

 磐田から離れてガムシャラにサッカーに取り組み、着々と力を発揮していく中で、中野はあることに気づく。

「このまま頑張り続ければ、プロにはなれるだろうという自信を得られました。だけど、心に余裕ができた時、『やっぱりジュビロだよな』ってふと思ったんです。その頃、ジュビロのスカウトの方が筑波大の試合をよく見に来てくれていたことも大きかったです」

 もう一つ、中野に影響を与えたエピソードがある。前述の金沢遠征中に行われたサッカーフェスティバルの決勝戦に、当時磐田のアドバイザーを務めていた名波浩氏(現磐田監督)がゲストとして招かれていた。

「僕は筑波大の一員として決勝の試合に出たんですけど、チーム用に撮影した試合動画の中に名波さんの声が入っていたんです。僕がドリブルをした時に『あれ中野誠也だろ!』って」

 中野にとって名波は、磐田U-18時代に刺激を受けた特別な存在だった。それだけに、名波の“声”は、再び磐田への思いをよみがえらせた。

「高校の時に、アドバイザーとして練習を見に来た名波さんがたまにクロスを上げてくれることがありました。アーリー気味なのに僕の前ではマイナスに来るように巻いたボールだったり、キックの質がすごく高くて、プロって本当にすごいんだな、こういうレベルでサッカーがしたいなって思わせてくれたのが名波さんだったんです。だから、名波さんが僕のプレーを見て、ドリブルなどの特徴から僕だと気づいてくれたことは本当にうれしかったです」

 “古巣”への思いは、大学での練習中に着るウェアにも表れている。大学では、各々が私物のトレーニングウェアを着用しており、中には先輩から譲り受けたJクラブのウェアを着用している人もいる。だが、中野は磐田以外のJクラブのウェアを身につけたことはない。

「もしかしたらジュビロの関係者が急に見に来ることもあるかもしれないし、いつ誰が見てもジュビロを身にまとった自分でありたいから。そういうところからジュビロのプライドを示していきたいんです」
 
 2014年に磐田がプレーオフ準決勝でモンテディオ山形に敗れて1年でのJ1復帰を逃した時、中野は胸を痛めた。

「テレビで見ていたんですけど、GKの山岸(範宏/現ギラヴァンツ北九州)選手にゴールを決められた場面は、日本サッカー界を揺るがすような瞬間だったと思います。その時はもうジュビロに帰りたい気持ちが強かったので、降格した時よりも大きなショックを受けました」

 その後、磐田は2015年末にJ1へ復帰。そして2017年1月27日、中野の2018シーズンからの磐田加入内定が発表された。

2016年度のインカレでは大会MVPに輝いた [写真]=梅月智史

■再び磐田に黄金期をもたらすために

 筑波大だけでなく、全日本大学選抜においてもエースの座に君臨する中野に着目したJクラブは、磐田だけではなかったはずだ。磐田への一途な思いを語る中野に、少しいじわるな質問をした。

――大卒でプロ入りし、まずは試合に出られる環境を求める中で、J1の磐田という選択に迷いはなかったか?

 すると、中野は率直に「一度は迷った」ことを明かした。しかし、結局は磐田を選んだのだ。その理由には、見栄も媚びもない。本心をストレートに語った。

「自分としてもそこが一番難しかったところで……僕は結構、堅実的に考えるタイプなので、より多くの出場機会を得るために下のカテゴリーからプロ生活をスタートさせるのも悪くないなと思いました。でも、結局どのチームでも、どの監督の下でも使われる選手にならないとダメだなって思ったし、やっぱりジュビロU-18出身として、ここは迷うところじゃないだろうって」

 決断を下す時、磐田サポーターの存在も大きな支えになったのだという。磐田U-18時代から筑波大での現在に至るまで、中野を応援するために会場に足を運ぶ熱烈なサポーターがいる。

「筑波大に入ってからも応援に来てくれているサポーターが数人いて、もう会場にいたら気づくぐらいの顔見知りなんですけど(笑)、その人たちの存在は特別です。僕がジュビロU-18出身だからっていう理由はあるにしても、自分の親や知り合い以外で初めて僕のことを応援してくれた人たちなんです。そういう人たちのためにもサッカーを毎日頑張らないといけないと思うし、これから先プロになったら、もっとたくさんのジュビロサポーターの前でプレーできるようになる。それは本当にありがたいことだなと思います」

 言葉の節々からあふれ出る磐田への愛着。中野の心は、本人の想像を超えた域まで、澄んだサックスブルー一色に染まっているようだ。指摘すると、中野は「そうですかね」と言って微笑んだが、真っ直ぐに前を見据えて言葉を続けた。

「先のことはわからないけど、日本にいる限りはジュビロでやりたい。僕がジュビロに入って、また黄金期を築くことができたら、それはもう本当に一番の幸せだと思うから」

 今シーズンの大卒選手の中でいち早くプロ入りを決めた中野は、関東大学リーグ第10節終了時点で得点ランクトップの8得点を記録。「プロ内定選手」としてのプレッシャーに打ち勝ち、堂々と結果を残し続けている。

 すべては磐田で活躍するため――。はっきりと掲げた目標に向かって、中野は大学ラストイヤーをひた走っている。

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