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【注目ルーキー】祖父との約束果たしプロへ…富山加入のGK服部一輝が持つ“ポジティブの力”

2017.01.18

明治大から富山に加入した服部一輝 [写真]=梅月智史

「プロになっても『かんちん』って呼んでほしいです」

「かんちん」とは、GK服部一輝がチームメイトや友人から呼ばれているニックネームである。単に親しまれやすいだけではなく、服部にとっては特別な意味のある呼び名だ。

「かんちん」は、服部の祖父母が営んでいた中華料理店「漢珍亭」に由来している。「漢珍亭」は服部の実家1階に店を構えており、母子家庭で育った服部は、母親が働きに出ている間、祖父母と多くの時間を一緒に過ごした。特に祖父は服部のことを人一倍かわいがり、「サッカー選手になる」という夢を追いかける服部をいつも応援してくれた。

「サッカー番組や日本代表などの試合がテレビでやっている時、おじいちゃんは必ず見ていたそうです。僕は出ていないのに『出ないかなぁ』と言って」

 服部自身もそんな祖父のことが好きで、「すごくおじいちゃん子だった」と振り返る。

 しかし、地元・東京から遠く離れた北海道の札幌大谷高校に進学し、寮生活を送っていたある日、祖父が倒れた。医師の診断は余命数時間。すぐにでも駆けつけたかったが、学校の事情などもあり、服部は駆けつけることができなかった。

 ところが、奇跡が起きた。服部が東京に帰れることになった1週間後まで、祖父は生き続けたのだ。まるで服部の帰りを待っていたかのように。そして服部が祖父との対面を果たすと、不思議なことはさらに続いた。

「僕が帰るまではずっと酸素マスクをつけていて、誰の言葉も顔も分からなかったそうなんです。でも、僕が行ったら急に起き上がって、『おぉ、一輝、よく来たな。サッカーはどうだ?』と言ったんです。家族も病院の人もみんな驚いていました」

 しばらく会話をし、服部が昼食を摂るために病室を離れた後、祖父は静かに息を引き取った。

 祖父が亡くなったことを機に「漢珍亭」は閉店。しかし、服部は愛着のある「かんちん」という呼び名を浸透させ続けている。祖父から服部に贈られた最後の言葉、「プロになれよ。見ているから」。その約束を果たすべく、服部の挑戦は始まった。

■タイトル獲得に必要だった「一心」

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 札幌大谷高に在学中、服部はあるJクラブの練習に参加した。「良いアピールができたと思った」と手応えを得たが、正式オファーには至らなかった。50メートル走の最速タイムは5.8秒。驚異的な身体能力の高さを誇り、FC東京U-15むさし、札幌大谷高で徹底的に磨かれた技術面にも自信があった。だが、当時の服部は精神面でプロになる準備が整っていなかった。高校卒業後に進学した明治大学で、服部はさっそく挫折を味わうことになる。

 服部が入学した時、2学年上のGKに三浦龍輝(現ジュビロ磐田)がいた。下級生の頃からゴールマウスに立つ三浦への周囲からの信頼は絶大で、あまりに高い牙城を前に、服部はいつしか努力を怠るようになってしまっていた。

「龍輝さんは絶対的な存在で、1、2年生の時は絶対に試合に出るチャンスはないと思っていたんです。だから、チームの練習は普通にやっていたけど、それ以外で努力していたことは何もなかった」

 しかし、三浦が卒業した時、服部はふと我に返った。祖父との約束を果たすため、夢をかなえるために、このままでいいのか――。時間を無駄にしてしまったことに気づいた時、服部は奮い立った。

「3年生になった時が転機でした。このままじゃダメだ、プロになれないと思って、心を入れ替えたんです。気づくのが遅かったかもしれないけど、それ以降は多くの時間をサッカーにあてるようになりました」

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 3年生の途中から正GKの座をつかむと、4年生になってキャプテンに就任した。服部がこれまでに見てきた明治大のキャプテンは、三浦も和泉竜司(現名古屋グランパス)も1、2年時からチームの中心として活躍し、プレーや存在感でチームを牽引してきた。だが、服部は全くタイプが異なった。下級生の時から試合に出ていたわけではないし、元々はリーダーというよりもムードメーカー的存在に近く、周りと積極的にコミュニケーションを取ることを大事にしてきた。だからこそ、服部は思うことがあった。

 服部が4年生になる前の明治大は、多くのタレント選手を擁し、個の能力では他チームを圧倒していた。だが、リーグ戦は3位、2位、2位で、トーナメント戦でも準優勝が2回。いずれもあと一歩のところでタイトルに手が届かず、苦杯をなめてきた。

「これまでどういう時に一番チームが強かったか振り返ってみると、サブも含めた選手、マネージャー、応援が一つになっている時でした。だから今年は『一心』というチームスローガンの下、“一体感”を持つことに重きを置いて取り組んでいきたいんです。僕自身がサブも応援する側も経験しているので、それぞれの立場を理解して、みんなのモチベーションを上げることができると思っています」

 服部はまず、ミーティングを変えた。学年の壁を越えたグループディスカッションを実施し、下級生が積極的に意見を発言する場を設けた。また、前年までは対戦相手に合わせてチーム戦術を少しずつ変更していたが、「自分たちのサッカーに自信を持つことが大事だと思った」とし、明治大の基本形である「前線からのプレスとショートカウンター」を徹底。その結果、上級生から下級生まで全部員の戦術理解が深まり、レギュラー争いが加熱した。

「1年生からも試合に出てやろうというオーラを感じるようになったし、コミュニケーションを取ることが増えた分、『試合に出ていないメンバーの気持ちも背負って戦おう』というまとまりが生まれました」

 練習におけるチーム内の競争が厳しくなったことで、勝負強さが身につき、仲間の思いをより一層背負って戦うようになったことで、接戦をものにすることが増えた。そして、夏には総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントを初制覇。関東大学リーグ戦は10月15日の第18節に現行制度での最速記録で優勝を決めた。

 2冠を達成した直後、服部は「個人的な進路やプレーよりも、どうしたらみんなの心を一つにまとめられるかということばかりを考えてきました」と語った。全員が心を一つにして同じ目標に向かうことで、大きな力を生み、成果を得る。そこに服部がキャプテンとして果たした役割は大きかった。

■成長の証が凝縮された「声」

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 服部は大学ラストシーズンで、年間を通してピッチに立てたわけではない。初優勝に終わった総理大臣杯の後、けがのために戦線離脱を余儀なくされた。実は総理大臣杯の3週間前に股関節を傷め、全治2カ月と診断されていた。しかし、自分がチームを牽引しなければいけないという強い思いから、総理大臣杯は強行出場。何とか悲願のタイトルは手にしたものの、服部は患部を悪化させてしまい、大会終了後から治療に専念することとなった。

 後期リーグ戦が始まり、服部不在の中でも明治大は白星を重ねていく。チームの勝利も、後輩GK長沢祐弥の奮闘も喜ばしいものだった。だが、服部が復調してもチームの好調ぶりは続き、焦りを感じずにはいられなかった。以前の服部であれば、「なぜ自分を試合に出さないのか」と不満や苛立ちを感じてしまうこともあったかもしれない。しかし、今回は違った。

「焦りがないと言ったら嘘になる。だけど、久々にスタンドから客観的に試合を見て、チームが強くなってきていることがうれしかったし、試合に出るためには僕自身がもっと努力しようと思うことができました」

 試合に出られない間も、キャプテンとしての責務は全うした。「試合に出られない分、言いづらい部分はあったし、周りからしたらウザいと思うこともあったと思います。それでも、ミーティングなどで発言を控えることはなかったです」

 そしてリーグ戦5試合を欠場した後、第17節で戦列に復帰。第18節で優勝が決まった瞬間は、ピッチに立つことができた。たとえ試合に出られない時期があっても、前向きに努力をすること、そして仲間を信頼すること。明治大のキャプテンを務めた1年間で学んだことは、この先長くサッカーを続ける上で必要となる心構えだった。

 こうしたピッチ内外での活躍が評価され、服部は関東大学リーグのMVPに選出。特に評価されたのは、服部がキャプテン就任当初から意識してきた「コミュニケーション」の部分だった。明治大の栗田大輔監督は、服部の存在がチームにもたらしたものを高く評価している。

「常に一番後ろからゲームを冷静に判断してくれるし、彼の言葉には強弱があって、試合の流れを作るコーチングができる。ピッチ外でも、寮生活などチーム全員がサッカーに取り組みやすい環境を追求してくれた。彼の存在は大きかった」

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 服部はかつて、「身体能力だけでやっていると思われたくないけど、そう思われてしまうことが多い」と語っていた。しかし、明治大で過ごした4年間で大きく変わった。的確なコーチングができるのは、チームメイトの特徴や戦術をしっかりと理解しているから。その声に仲間が反応してくれるのは、信頼を得られるような姿勢を日頃から見せることができている証。そして、劣勢に立たされてもポジティブな言葉を発し続けられるのは、再び追い始めた夢への情熱があるからだ。服部が発する「声」には、日々の取り組みや思いが凝縮されている。

■サッカーはポジティブにやったほうが楽しい

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 2016年12月27日、カターレ富山から服部の2017シーズン加入内定が発表された。晴れて念願のプロ入りを果たした服部は、戦力としてはもちろんだが、それ以外でも富山のために尽力することを誓う。

「明治での最後の1年間は常にポジティブにやっていこうと意識し続けて、チームの状況はすごく良かったし、結果も出ました。それに何より、サッカーはポジティブにやったほうが楽しい。単純なことですけど、それを改めて確認できたので、富山でも自分のプレーと『声』でチームの雰囲気を良くして、信頼を得られる選手になりたいです」

 結果を追い求めながらも、仲間を思い、チームの「和」を大切にする。常にポジティブ思考で、誰からも愛される素質を備えた「かんちん」こと服部は、プロのスタートを切る富山でも存在感を示していく。

文=平柳麻衣
写真=梅月智史、岩井規征、金子拓弥、藤井圭

By 平柳麻衣

静岡を拠点に活動するフリーライター。清水エスパルスを中心に、高校・大学サッカーまで幅広く取材。

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