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197センチのGK羽野匡哉、G大阪への“出戻り”を誓って流経大で新たなスタート「トップチームで試合に出たい」

2016.03.31

 現在の身長は197センチ。日本人離れした規格外の身体能力を誇るGK羽野匡哉は今春から18年間過ごした関西を離れ、関東へと活躍の場を移した。「あいつらには絶対負けられない」と語るガンバ大阪ユース時代のチームメートDF初瀬亮、MF市丸瑞希らとの共演を夢見て、大学サッカーの名門と名高い流通経済大学サッカー部での4年間をスタートさせた。

インタビュー・写真=酒井伸

監督に出会えて本当に良かった

――いつからサッカーを始めましたか?
羽野 小学校の友達が「サッカーやろうぜ」と軽いノリで誘ってくれて、1年生から地元の少年団で始めました。

――当時から身長は大きかったのですか?
羽野 小学校を卒業する時には、186センチくらいありました。

――ずっとGKをやっていたのですか?
羽野 はい。最初はFWをやりたかったんですけど、あまりうまくいかなくて、GKをやってみたらよく止めることができたので、それからはずっとGKです。

――中学校時代は兵庫FCでプレーしました。
羽野 兵庫FCには小学校のチームもあって、僕ら兵庫県民からしたらとても強くて憧れのクラブでした。小学校の時に「中学から兵庫FCに入らへんか」と監督(永濱秀人)からお話をいただいて、本当は中学入学と同時に、バスケかバレーに転向しようかなと考えていましたが(笑)、誘っていただいたので行くことに決めました。

――兵庫FCはどのようなチームでしたか?
羽野 監督が厳しい人で、僕のサッカーの原点と言える存在でした。サッカーと本気で向き合うことができたのは中学に入ってからなので、監督に出会えて本当に良かったと思います。

――何か印象に残っていることはありますか?
羽野 メンタルが本当に弱くて、「お前は心が弱すぎる」と監督から何度も言われました。中学の時に一度だけエリートプログラム(JFAエリートプログラム U-14トレーニングキャンプ)に選ばれて、「これはU-14の日本代表なんやぞ。そんなやつがフィジカル練習でビリを走っていたり、キックの精度が悪かったり、正面のキャッチを簡単に落としていていいんか?」と厳しい言葉をもらって、自分ではできているつもりでしたが、サッカーの奥深さを知り、このままではダメだなと感じました。結構厳しいことを言われ続けたおかげで、自分が大きく変わった気がします。

――エリートプログラムに選出されたことは大きかったのですね。
羽野 全国のトップレベルの選手とプレーしたことで、自分の甘さや未熟さを感じることができました。

――兵庫FCでの成績はいかがでしたか?
羽野 自分のミスで負けてしまうことが多くて、悔しい試合が何度もありました。でも、自分がやらかしても、チームメートが点を取ってくれていたおかげで、県で4位くらいに入れていました。

――兵庫FCには他に誰かいましたか?
羽野 立正大湘南高校のサイドバックをやっていた藤井義治(九州産業大学)は同期でした。あとは先輩に、ヴィッセル神戸の山口(真司)さん、セレッソ大阪の阪本(将基)さんがいました。

自分みたいなヘタクソが申し訳ない

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――中学卒業後はG大阪ユースに進みました。ジュニアユースから昇格する選手が大半ですが、G大阪から声が掛かったのですか?
羽野 中1の時に出た(関西U-13)ヤマトタケルリーグで、兵庫FCは最下位だったのですが、ガンバのクラブハウスの隣でジュニアユースと試合をした時、相手の監督が松代(直樹)GKコーチに「兵庫FCにアホみたいにデカイGKがおるぞ。あいつを育ててみようや」と言ったそうで、そのあとに声をかけてもらいました(笑)。

――ジュニアユースから一緒にプレーしている選手が多い中に自分が入って、やりづらさを感じることはありましたか?
羽野 高2の後半頃までは壁を感じていました。中学時代に3冠(JFAプレミアカップ2012、第27回日本クラブユースサッカー選手権大会 、高円宮杯第24回全日本ユースU-15選手権大会)を達成していた世代だったので、すごいところに入れさせてもらっている感覚でしたね。自分みたいなヘタクソが申し訳ないなという想いでしたが、 その時に中学の監督からいただいた「ガンバユースのGK枠は一つしかないんだ。お前はその場所に立ちたかったやつの夢を潰して、そこにいるということを忘れるなよ」 という言葉を思い出して、自分を奮いたたせていました。

――ユースでは、いつ頃から試合に出場するようになったのですか?
羽野 ユースにはGKが3人しかいなかったのですが、1年の最初の頃に3年生の棟方博文さんが腕の靭帯を切って長期離脱し、U-17W杯(2013 FIFA U-17ワールドカップ)があって一学年先輩の林瑞樹さんも不在で、自分しかGKがいない状況で公式戦に出場させてもらいました。

――何の大会ですか?
羽野 夏のクラブユース(第37回日本クラブユースサッカー選手権U-18大会)で、全国3位になりました。準々決勝のジュビロ磐田U-18戦はPKを2本止めて活躍できましたが、準決勝で横浜F・マリノスユースに負けてしまいました。それ以降は、先輩に絶対的な守護神の林さんがいたので、ベンチを温める日々が続いていました。

――3年になってからは出場機会が増えたと思いますが、どんな気持ちで臨みましたか?
羽野 最後の年だったので、やらなあかんなという気持ちでした。でも、気持ちと自分のプレーが比例していなくて、申し訳なかったなと感じています。

――チームとしてはプレミアリーグWEST(高円宮杯U-18サッカーリーグ2015 プレミアリーグWEST)で優勝しました。
羽野 やっぱりレベルの高さは感じました。あとは、トーナメント方式の一発勝負ではないので、負けても次があるとすぐに切り替えて試合に臨めていたことが大きかったです。

――第94回全国高校サッカー選手権大会の優勝校である東福岡高校には、唯一2敗(2-3、0-1)を喫しています。
羽野 高体連のチームと対戦する厳しさを学びました。僕らユースは同じプレーを継続していくスタイルでしたが、高校サッカーは前半が悪くても、後半からは粘り強く気合いで乗りきるような感じです。そう来るとわかっていても勢いを止めることが難しかったです。

4年後に見返す気持ちでいます

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――プレミアリーグEAST王者の鹿島アントラーズユースとのチャンピオンシップ(高円宮杯U-18サッカーリーグ2015チャンピオンシップ)を振り返っていただけますか?
羽野 相手の方が一枚上手で、どこかに“自分たちは強い”という驕りがあったと思います。高校3年間で梅津(博徳)監督に「お前らは強い。強いけど、それは結果が示すんや」と常に言われてきました。だから、気は引き締まっていましたが、大きな舞台で緊張感や応援がすごく、声が通らなかったり、ピッチが今までと違ったりといった環境で、自分たちがやってきたことが全然通用しませんでした。

――ユース時代、トップの練習に参加したことはありますか?
羽野 東口(順昭)さんが日本代表に選ばれている時に、どうしてもGKが必要ということで1回だけ呼ばれたことがあります。あとは1年生の時、シュート練習だけ参加させてもらったこともあります。ユースではありえないコースからシュートが飛んできたり、体の柔軟さやパワーの違いを見せつけられて、このままではダメだなと痛感しました。

――今年はユースから4人(初瀬亮、高木彰人、市丸瑞希、堂安律)がトップチームに昇格しました。
羽野 4人とも本当に飛び抜けていたので、率直に「やっぱり昇格するんやな」と思いました。自分は大学でがんばらないといけないし、あいつらには絶対負けられないので、4年後に見返す気持ちでいます。

――やっぱり4年後は一緒にプレーしたいですか?
羽野 ガンバで一緒にプレーしたいです。自分はまず、世代別の代表に選ばれて、U-20ワールドカップ(2017FIFAU-20ワールドカップ)に出場して、経験値を積んでいきたいです。

――高校卒業後は流経大に進学します。
羽野 関東の大学に行きたくて、体育の教員免許を取ることができて、大学サッカーでも有名な流経大に決めました。

――教師になりたいという想いもあるのですか?
羽野 自分は耳がとても悪くて、試合中に主審の笛の音が聞こえないこともあります。プロはミス一つ許されない世界なので、このままでは厳しいかなとも感じています。教えることが好きなので、指導者になりたい気持ちもあります。

――2月頃から大学の練習に参加しているようですが、高校時代との違いを教えてください。
羽野 ユースの時は、ボール回しや足元の技術がメインでした。けど、流経大は勝つためのサッカーをしているので、正確なロングボールを蹴ることや、頑丈なフィジカルが求められます。自分が強くなっている感覚はありますが、大学の厳しさも感じています。

――中野(雄二)監督と個別に話をする機会はありましたか?
羽野 まだありませんが、1年生が全員集まって話を聞くことがありました。「お前らはまだ自立していない。親にお金を払ってもらっているのだから感謝しなさい」と言われ、当たり前のことなのですが、今まではあまり感じていなかったことなので、印象に残っています。

――今年も全国各地から60人の1年生が入部します。今の練習はどのような形でやっていますか?
羽野 今は1年生だけでやっているので、いい雰囲気でできていると思います。オンとオフの切り替えもできて、寮生活も楽しいです。

――仲のいい選手はいますか?
羽野 アルビ(アルビレックス新潟U-18)の齋藤(宏太)、水戸(ホーリーホックユース)の小原(伯義)は、同じJユース出身なので仲がいいです。

――オフの日は何をしていますか?
羽野 今は龍ケ崎市を散策しています。ある食堂に行った時に、流経大は街に愛されていると感じることがあって、いいチームに来ることができたなと思いました。

――ガンバの新スタジアム(市立吹田サッカースタジアム)には行きましたか?
羽野 まだ行けていませんが、建設途中をずっと見ていて、チームでも話題になっていました。「ライトついたで」、「屋根付いとるで」といった話をしていたので、あそこでプレーしたい気持ちはみんな同じで、戻れるように大学でがんばらないといけないなと思っています。

――大学4年間で成し遂げたい目標を聞かせてください。
羽野 まだ、やってみないとわかりませんが、自分が選択した道なので、後悔しないように精一杯やりたいですね。

――最後に今年の抱負をお願いします。
羽野 流経大に来たからにはトップチームで試合に出たいと思っているので、それまでのプロセスを考えて計画的にやっていきたいです。チームとしてはタイトル奪取、個人としては環境になじむことを目標にしていきたいです。

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