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【インタビュー】お父さんコーチ必見!チームが劇的にレベルアップする“倉本流メソッド”の秘密とは…!?<前編>

2018.12.28

倉本和昌氏:スペインと日本での指導経験を元に、独自の育成メソッドを確立。「指導者育成コーチ」として活動する

 自らを“指導者育成コーチ”と名乗る人がいる。倉本和昌さんは、育成年代のコーチたちを指導することで、日本サッカーのレベル向上に貢献しようとしている。

 高校卒業後、単身スペインへ留学。バルセロナ、ビルバオで指導者キャリアをスタートさせ、8年間にわたり本場の指導を肌で学んだ。27歳で帰国すると、そのノウハウを活かして湘南ベルマーレ、大宮アルディージャと、Jリーグクラブの育成年代を指導して経験を積んだ。

 その過程で、倉本さんはスペインで学んだスキルに独自の方法論を加えていった。育成年代の指導にはチーム強化と、人間形成の双方が求められる。それらの課題を、倉本さんは脳科学や心理学などの学術的なアプローチを取り入れた育成メソッドで解決していく。

 2019年1月、FROMONE SPORTS ACADEMYでは倉本さんを講師に招き、セミナーを開催する。小学生年代の指導でお困りのお父さんコーチや、より質の高い指導を志すアマチュアのコーチなど、「個人の育成」と「チームの強化」を両立させたい指導者の方々には必見の内容となっている。

──はじめに、倉本さんのこれまでのサッカーキャリアについて教えてください。

倉本 サッカーを始めたのは小学校3年生の頃です。4年生のときにサッカーがうまい転校生がきたんですよ。彼に衝撃を受けましたね。当時はリフティングが9回しかできなかったんですが、その転校生に負けたくない一心で、6年生のときには1,000回以上できるようになりました。中学ではサンフレッチェ広島のジュニアユースでプレーしていたんですけど、ケガが多くて。中学に入ってすぐ腰椎分離をやって、それから中足骨を骨折しました。7、8カ月はサッカーができなかったですね。2年生の夏に試合に出られるようになったものの、3年生では全く試合に出られなくて、BチームどころかCチームに落ちて。サッカー選手としてプロになるのは無理だなと思いました。

──そこからどういう経緯で指導者になろうと思ったんですか?

倉本 実は小学校の頃から、パフォーマンス向上のためにメンタルトレーニングの本を読んでいたんです。緊張と弛緩を繰り返していかにリラックス状態を作り出すかなど、当時から自分なりに試していました。いろいろなことに興味を持って、さまざまなアプローチをしていましたね。そんなこともあって、自分が世界のトッププロになれないとわかったときに、トッププロを育てることならできるんじゃないかと考えるようになりました。それなら、誰もやったことないことがやりたい。海外でライセンスを取って帰ってくるというのは、前例がほとんどない。当時、ドイツに指導者留学をする人はいましたが、スペインはいなかった。リーガ・エスパニョーラの攻撃的なスタイルも好きでしたから、自分が行くならスペインだなと結論づけていました。

──それが中学校3年生の頃ですよね?

倉本 そうです。高校に入ってからバイトして貯金を始めました。高校でもサッカーは続けたかったので、選ぶ基準は3年間試合に出られるところ。だから高校は弱いチームでいいなと。その分だけバイトできる時間もあったし、上下関係もきつくなくて、弱かったけど楽しくできました。1年から試合に出て、2年でキャプテンになって、3年になるとメンバーを自分で決めたりして、監督みたいになっていましたね。それが今に活きていると思います。

──高校を卒業して、すぐスペインに向かったんですか?

倉本 初めてスペインに行ったのは、高校を卒業した2カ月後。2001年5月、誕生日の次の日でしたね。ビザを取るために、旅行で2週間、マドリードとバルセロナとバレンシアに行きました。最初がマドリードだったんですけど、本当に怖くて。時計は盗まれるし、スリに寄ってこられるし、大通りで泥棒が壁に何人も立ってこっち見ているんですよ。外出するのも緊張していました。次にバルセロナに行ったとき、全然違うなと。海があって解放的で、街を歩いていても嫌な感じはないし、バルセロナはいいなと思いました。

──それでバルセロナに拠点を置こうと決めたと(笑)。ビザはすぐに取れたんですか?

倉本 いえ、当時はビザを取るのがすごく難しくて、最終的に2003年の1月にビザが出ました。バルセロナに住んでいた日本人の家に半年くらい居候してましたね。家から4駅くらい行ったところにエウロパというクラブがあって、市街地のど真ん中に小さなスタジアムがあって、しかも家から近い。ここいいなって直感で思って、そのスタジアムの地下にあった事務所に行って、扉をバッと開けて「すいません来シーズンから入れてください」と言いました。お金はいらないです、なんでもやりますって言ったら「いいよ」と言ってくれて。スペイン語もカタコトしかしゃべれないのに(笑)。そこから、コーチライセンスを取るための勉強がスタートしました。

──すごい行動力ですね。スペインのライセンスは、日本とどう違うんですか?

倉本 まずは門戸の広さですね。スペインは各県や州で国内最上級のライセンスが取れるし、しかも安い。レベル1なら1年間で10万円もしません。レベル1は一番下で、レベル3まで取るとプロの監督ができます。あと、勉強時間も違います。日本でD級からS級まで全部取るとすると、実技と座学に必要な勉強時間をすべて足して840から860時間ほどです。それがスペインの場合は1895時間になる。圧倒的に勉強時間を要します。だからスペインのほうがレベルが高いのは当然なんです。

──スペインのコーチライセンスは、それだけ取得が難しいんですね。

倉本 ところが、ライセンスを取りづらいのはむしろ日本のほうなんですよ。スペインでレベル3を持っている人は、僕がスペインにいたときには4,000人はいたので、今はもっと多いはずです。日本だとS級で500人くらい。スペインには小さな町クラブの監督でも、レベル3を持っている人がざらにいるんです。そうなると、ライセンスを持っていても珍しくもなんともない。結局は、チームを勝たせられるかどうかが一番大事になるんですよね。

――その後、バルセロナからビルバオに転居したとお聞きしました。理由は何だったんでしょうか。

倉本 海外で修行しているはずなのに、こんなに楽でいいのか、甘えているんじゃないかと考えるようになったんです。もっと突き詰めて勉強しなければいけないと思ったときに、アスレティック・ビルバオを思い出しました。ビルバオはバスク地方出身者しか入れないクラブです。日本という島国のサッカーを考えたときに、ここにヒントがあるんじゃないかと思ったんですね。結果的に、ビルバオに行ったことで、より深くサッカーについて考えるようになりました。

──ビルバオを実際に見て、他のクラブと違うと思ったのはどこですか?

倉本 スカウティングが優れているんです。そのときの育成部長が話してくれたんですが、バルサやレアル・マドリードといったビッグクラブは世界中で釣りができる。釣った魚が悪かったら捨てて、もっといい魚を釣ればいいわけです。でもビルバオは、小さな湖でしか魚を釣ることができない。だからエサをあげていい魚にするんだ、と。そのとおりだと思いましたね。だから、彼らは人に優しいんですよ。

──ビルバオは人を育てることにフォーカスしているクラブだと。

倉本 そうです。原石を磨くことを考えているし、そのために何をするかというアイディアもたくさん持っていました。たとえば、ひとつ上のカテゴリでプレーさせて成長を促すようなプログラムがはっきりしていましたね。

(インタビュー後編は12月30日に公開予定)


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