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【トップレベルの仲間入りへ】 アジアの“主役”を目指して― 大躍進を遂げるベトナムの軌跡

2018.10.23

アジア競技大会のグループステージで日本を下したU-23ベトナム代表 [写真]=宇佐美淳

文・写真=宇佐美淳(アジアサッカー研究所)
Text and photo by Jun USAMI(Institute for Future Asian Football)

熱狂に包まれる街

「Viet Nam vo dich!(ベトナムチャンピオン!)」

 今年1月に中国で行われたAFC U-23選手権の開催中、ベトナム国旗を模した赤いシャツをまとった群衆がハノイやホーチミンの中心部をバイクで疾走する姿が各国メディアに取り上げられて、大きな話題になった。いや“疾走”ではない。道路を埋め尽くすバイクの数が多すぎて、“練り走る”と言ったほうがふさわしい。

 その様を見て、ある知人は、「まったくこの国のサッカー熱はどうかしている」と話した。かく言う筆者も、さすがにここまでのお祭り騒ぎになるとは想像していなかった。10年前のAFFスズキカップ(東南アジアサッカー選手権)で、若き日の英雄レ・コン・ビンを擁したベトナムが、決勝で宿敵タイを退けて、初の国際タイトルに輝いた時ですら、これほどの熱狂はなかった気がする。アジアの舞台で躍進を遂げたベトナム。この国のサッカー界で、一体何が起きているのだろうか?

今年1月のAFC U-23選手権でベトナム史上初めてAFC主催大会で決勝進出 [写真]=宇佐美淳

ベトナム史上最強の世代

 ベトナムサッカー界で起きている地殻変動について説明する前に、まずはAFC U-23選手権でのベトナムの軌跡を振り返っておこう。ベトナムはグループリーグで韓国、オーストラリア、シリアと同居する難しい組に入ったが、初戦で韓国に惜敗した後、続くオーストラリア戦で初白星を挙げると、シリアとは引き分けて、同組2位通過。決勝トーナメントでは、守護神ブイ・ティエン・ズンの活躍もあり、イラク、カタールの中東勢をPK戦の末に下して決勝進出。大雪の中で行われたウズベキスタンとの決勝も延長までもつれ込む死闘だったが、終了間際に勝ち越されて力尽き、準優勝に終わった。

 サッカーのAFC主催大会でベトナムが決勝に進出したのは、これが初めて。そのことも誇らしかったが、大会を通して、完全な力負けの試合がなかったことで、選手もファンも自国サッカーに対する自信を強めた。

 大会中の盛り上がりも相当だったが、その後の凱旋パレードの過熱ぶりは、さらに常軌を逸していた。機内ビキニショーPRで一躍有名になった格安航空べトジェットエア(Vietjet Air)が用意した専用チャーター機でハノイ市ノイバイ国際空港に降り立ったU-23ベトナム代表は、空港から国会議事堂までの道程をオープンバスでパレード。地元紙によると、その日、沿道に集まったファンの数は、数十万とも数百万とも言われており、正確な数字は定かではない。とにかく街のありとあらゆる機能が停止してしまうほどの大騒ぎだった。

 国会議事堂では、グエン・スアン・フック首相から直々に表彰状を授与されたU-23代表の面々。首相は側近に対し、「今まで人を待たせたことは何度もあるが、人に待たされたのは、これが生まれて初めてだ」と語ったとか。もしベトナムに流行語大賞というものがあるなら「U-23」は間違いなく、大賞候補になっただろう。

 こうしてベトナム国内を席巻したU-23ブームだが、この世代は大きく2つのグループに分別が可能だ。一つは1995~96年生まれの黄金世代。この世代は、華麗なパスサッカーで一世を風靡した、かつてのU-19代表が中心になっている。主なメンバーは、「ベトナムのメッシ」ことFWグエン・コン・フオン、MFルオン・スアン・チュオン、MFグエン・バン・トアン、MFブー・バン・タインなどベトナム1部ホアン・アイン・ザライ(HAGL)勢が大半を占め、「コン・フオン世代」と呼ばれることもある。同じくHAGL所属で、「ベトナムのピルロ」の異名を持つMFグエン・トゥアン・アインも、この世代に含まれるが、故障続きの彼は現在、韓国で長期リハビリ中だ。

 育成年代で徹底的にボールコントロールの技術を鍛え上げた彼らは、高い個人技を武器とし、ポゼッションサッカーを好む。このスタイルは、ベトナム国内で強く支持されており、コン・フオン世代の出現以降、地方クラブHAGLは国民的人気を博すようになった。

 もう一つは、97~99年生まれのU-20ワールドカップ初出場組。こちらは、華やかさでは前の世代に劣るが、激しいプレッシングによる守備と縦に早いカウンターを徹底した堅実なスタイルで、アジアの舞台でも結果を残し、“黄金世代”も成し得なかったU-20ワールドカップ初出場を果たした。代表格は、MFグエン・クアン・ハイ、DFドアン・バン・ハウ、DFチャン・ディン・チョンといったハノイFC勢。この他、強豪アカデミーPVF出身のFWハー・ドゥック・チン、FLCタインホアのGKブイ・ティエン・ズンもこちらの世代。全く異なるスタイルで戦ってきた両世代が融合したのが、現U-23代表となる。顔触れだけ見れば、ベトナムサッカー史上最強の世代。しかし、このチームの船出は、順風満帆とは言い難いものだった。

極寒の中国に駆け付けたベトナムの熱いファン・サポーターたち [写真]=宇佐美淳

挫折の1年を乗り越えて

 AFC U-23選手権での活躍により“大躍進のベトナム”というイメージが定着しているだろうが、ほんの1年前まで、こんな状況は想像もつかなかった。なぜなら2017年は、ベトナムが大きな挫折を味わった一年だったからだ。グエン・コン・フオンをはじめ、個性豊かなタレントを擁し、パスサッカーを目指したU-23代表は、ベトナムサッカー希望の星と言われ、大きな、そして過度な期待を背負っていた。しかし、昨年夏にマレーシアで開催された“東南アジアの五輪”SEA Gamesで、グループリーグ敗退という過去最低の成績に終わり、国民が大いに失望。この責任を取る形で、当時チームを率いていたベトナム人監督が辞任。その後、チーム再建を託されたのが、現在、ベトナムA代表とU-23代表監督を兼任している韓国人のパク・ハンソだ。

 昨年10月に就任したパク監督は、2002年の日韓ワールドカップで、名将フース・ヒディンク監督の右腕として、韓国代表のヘッドコーチを務めたほか、Kリーグでも数々のクラブを率いた経験豊富な指導者。ベトナム代表にとっては、三浦俊也(14~16年)以来の外国人監督ということになる。規律とハードワークを重視した三浦監督のサッカーは、アジア競技大会ベスト16やSEA Games銅メダルなど、一定の結果を残したにもかかわらず、守備重視の戦術やチーム全体にハードワークを課したことで、故障者が続出したことなどから、拒否反応を示すファンが多く、最終的には、世論に追われる形で解任に追い込まれた。

 パク監督に対しても、パスサッカーに固執する世論の見方は当初、かなり懐疑的だった。初陣は、就任1カ月後のAFCアジアカップ3次予選アフガニスタン戦。国内カップ戦の日程もあり、メンバーがなかなかそろわず、準備期間が短い中での試合ではあったが、ホームで防戦一方の展開となり、辛くもスコアレスドロー。この試合の結果で、グループ2位以上が確定したため、東南アジア4カ国(タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシア)で共同開催された2007年大会以来となる2度目の本大会出場を決めたものの、ファンからは、「べた引きからロングボール頼りのサッカーに逆戻りか……」と不満の声が聞かれた。

 パク監督は、続いて12月にタイで行われた23歳以下の国際親善大会「M150カップ」で、U-23ベトナム代表を率いて出場。ベトナムは、この大会からメインシステムを「3-4-3」に変更した。両サイドにドアン・バン・ハウとブー・バン・タインという走力に秀でたウイングバックを配置。高めの位置から積極的にプレスをかけて、ボールを奪えば、1トップと2シャドーによる中央からの崩しと、両サイドからの攻め上がりでショートカウンターを狙う。守備の時間帯には、5バックに移行し、がっちりとゴール前にブロックを作るという作戦。AFC U-23選手権の予行練習と位置付けた「M150カップ」では、ミャンマー、ウズベキスタン、タイと対戦して、まずまずのサッカーを見せた。特にアウェーで苦手のタイに勝てたことは選手たちの自信回復につながったようだ。

昨年10月に就任したパク・ハンソ監督はA代表とU-23代表監督を兼任。ワールドレベルでの経験を生かし、ベトナム代表の強化を進めている [写真]=宇佐美淳

アジアトップの仲間入りへ

 今年1月のAFC U-23選手権では、アジアの列強との対戦とあって、予想どおり守備の時間が長くなったが、試合を重ねるごとに戦術理解が進み、“弱者の戦い方”と“強者のメンタリティー”を併せ持つようになっていく。長年の弱点とされてきた〝勝負弱さ?を克服できたことは、何より大きい。ベトナムは、この大会を通して、パスサッカーへの妄執を捨て去り、勝つためのスタイルを確立したのだ。快進撃が続いたベトナムでは、わずか1年でチームを劇的に変えたパク監督の手腕を“マジック”とたたえた。

 今夏にインドネシアで開催されたアジア競技大会でも、チームコンセプトは徹底されていた。オーバーエイジ3人を加えて臨んだU-23ベトナム代表は、グループリーグで、パキスタン、ネパール、そして、日本を下し、無傷の3連勝で首位突破。決勝トーナメントでは、バーレーン、シリアを破って準決勝進出。5試合終えて無失点という鉄壁の守備は、各国から高く評価された。続く準決勝では、FWソン・フンミンらオーバーエイジを補強し、兵役免除も懸かって本気モードの韓国に完敗。3位決定戦では、UAE相手に押し気味に試合を進めたが、決定力を欠き、惜しくもPK負け。それでも、史上初のベスト4という結果を残し、その実力が本物であることを証明してみせた。

 パク監督は大会後、メダルを逃したことに落胆した様子をのぞかせながらも、「ベトナムは近い将来、アジアのトップレベルに仲間入りをすると確信している。それを実現すべく、これからも代表監督として最善を尽くす」と語った。国民的英雄になったパク監督の契約は2020年まで残っているが、気の早い人たちは、他の国に取られないよう、今のうちに長期契約を結ぶべきだと主張している。

 何はともあれ、国民を熱狂させたU-23代表の挑戦は、ひとまずこれで幕を閉じた。しかし、A代表での挑戦はまさにこれから始まる。11月には東南アジア王者を決めるAFFスズキカップに出場し、10年ぶりの優勝を狙い、年始にはAFCアジアカップというさらに大きな舞台も控えている。

 ベトナムはもはやアウトサイダーではない。2年後の東京五輪、4年後のワールドカップ初出場を見据えて邁進していくのみだ。

By サッカーキング編集部

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