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協会とリーグ組織を刷新しインドネシア新時代へ ―スローガンは「新たなリーグ、新たなスピリット」―

2017.12.05

行き過ぎたサッカーへの情熱が最悪の事態を引き起こしたのはもはや過去のこと。協会とリーグ組織を新たに据え、インドネシアは新しい時代を迎えようとしている。改革を進めるサッカー情熱列島の今を探ろう。

文・写真=長谷川雅治(アジアサッカー研究所

■誰もが知る日本人選手

 アジアで初めてワールドカップに出た国はインドネシアである、という事実はあまり知られていない。もっとも、出場したのはオランダ領東インドの時代。この国では、国家の歴史よりもサッカーの歴史の方が古いということになっている。男たちのサッカーへ懸ける情熱は筆舌に尽くし難く、女たちから選手に送られる視線もまた熱い。皆さんもインドネシアに行く機会があったら、試しに入国審査で「入国の目的は何か?」との問いに、「サッカーを見に来た」と返してみたらいい。管理官はとたんに目を輝かせ、「ペルシジャか? プルシブか? お前もプレーするのか?」と矢継ぎ早に質問を浴びせ、「ブラザー、気をつけてな!」とばかりにスタンプを「ポン!」と押してくれるだろう。

 こういった男たちなら誰もが知る日本人サッカー選手がいる。インドネシアで7シーズンプレーを続ける松永祥兵だ。松永は静岡県三島市出身。大学生の頃に日本を飛び出し、ドイツのシャルケでプレーした後、いったん愛媛FCに戻り、「3日後にジャカルタに来てくれ」という情報だけを頼りに、再び日本を飛び出した根っからの海外志向だ。決して初めからこの地に適応できたわけではない。「ここで生きていこうと決めました。インドネシアは人が良く、ドイツで感じたような差別も無い。もうインドネシア語も全く困らないし、たくさんの人にお世話になって、認めてもらい、人のつながりもできた。これが私の価値なんです」。インドネシアに溶け込んでいった松永はこの地でリーグを代表する選手となり、3万人、4万人の熱狂的なサポーターの前でプレーする喜びを感じている

■暗黒の時代の終焉

チェルシーやガーナ代表の一員として大活躍したマイケル・エッシェン。パナシナイコスから今シーズン、プルシブ・バンドゥンにマーキプレーヤーとして迎え入れられた。バイソン(野牛)の愛称のどおりゴール前に突進してくるプレーはいまだ迫力満点だ。「スタンフォードブリッジであなたのプレーを見ましたよ」と向けると、「昔の話だね」と笑った

 自身もかつてプロサッカー選手を目指していた齋藤竜太は、こういったインドネシアでプレーする選手たちを支え、相談役となってきた。17年間バリに住み、現地でいくつかの会社を経営する傍ら、サッカーへ途切れぬ情熱を注ぐ。「選手の未払い問題を解決してやりたくて、危険な香りのする事務所に単身乗り込んでいったこともありますよ。タフな交渉だったけど、分かり合えました」。齋藤はよく日に焼けた見た目に泰然とした性格で、恵まれた体格のインドネシア人を相手にもその懐に飛び込んでいく。世界中から人が集まる魅惑の楽園・バリの土地柄を生かして、サッカーを発展させたいと願っている。「暗黒の時代はもう終わり。これから日本とインドネシア、必ずたくさんの交流が生まれます」

 インドネシアは、行き過ぎるサッカーへの情熱が、未払い問題や政治利用などを横行させ、これらが約1年間の協会活動停止(FIFA制裁)という最悪の事態を引き起こした。協会とリーグ組織を刷新したインドネシアは、今まさに新しい時代を作るべく動いている。「サッカーをファンの手中に戻し、スポーツビジネスとして一新させるのです。リーグの質を上げる過程で日本のクラブマネジメントから学びたいし、審判員の育成についてもそう。Jリーグの全チームを招待したいくらいですよ」

 ゴジェック、トラベロカという破竹の勢いで成長する若いインドネシア企業を冠協賛に加え、今年リスタートしたリーガ・インドネシアのティゴール・シャロムCOOはそう話してくれた。スローガンは「Liga Balu,Semangat Balu」(新たなリーグ、新たなスピリット)なのだという。

 サッカー情熱列島、インドネシア。皆の努力が結実し、かつてのような強さを取り戻した代表チームが、国民の誇りとなる日が来ることを願わずにはいられない。

By アジアサッカー研究所

東南アジアを中心としたアジアサッカーの今を伝える情報サイト

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