ロナウドの活躍でブラジルが頂点に立った [写真]=FIFA/FIFA via Getty Images
いわゆる、三千年記(2001年~3000年)が始まって間もなく、世界は物騒な時代へ突入しつつあった。2001年9月11日、全世界に衝撃を与える大事件が起きる。俗に「9・11」と呼ばれるアメリカ同時多発テロ事件だ。それは冷戦終結後の世界秩序を大きく揺るがし、先の見えないカオス(混沌)への入り口となった。そして、翌年の5月31日に開幕した21世紀最初のワールドカップもまた、まるで予測のつかない出来事の連続となる。
アジアを舞台にした大会が史上初めてなら、日本と韓国による共同開催も初の試みだった。「共催」というアクロバットな決断はFIFA(国際サッカー連盟)内部の政治的対立が招いた妥協の産物でもある。決勝は日本で開催されたが、開幕戦の舞台は韓国(ソウル)だった。波乱含みの予感が高まったのは、その開幕戦である。大本命と目されていたフランスが足をすくわれたからだ。
1-0。いきなり前回王者に牙をむいたのが初出場のセネガルだった。いや「小さなフランス」と言うべきか。指揮官(ブルーノ・メツ)がフランス人なら、メンバーもフランスの1部クラブで活躍する若いタレントがひしめいていた。パパ・ブバ・ディオプの決勝点をアシストしたエル・ハッジ・ディウフが鋭い速攻の先兵として躍動。アフリカ勢では1990年イタリア大会のカメルーン以来となる8強入りの動力源となった。一方のフランスは大会直前に負傷したジダンが開幕戦に続き、第2戦も欠場。第3戦でようやく先発に復帰したが、本調子にはほど遠く、デンマークに0-2と敗れ、早々と大会から姿を消すことになった。
優勝候補の早すぎる敗退は、フランスだけではない。奇才マルセロ・ビエルサに率いられた南米の大国アルゼンチンも看板の攻撃陣が空転。グループステージで帰国の途に就くのは1962年チリ大会以来、実に40年ぶりのことだった。さらに、ダークホースと目されたポルトガルも、グループステージで1勝2敗の3位に終わっている。当代きっての名手ルイス・フィーゴも見せ場らしい見せ場を作ることなく、周囲の期待を大きく裏切る形となった。
逆に健闘したのが日韓のダブル・ホストだ。中盤からゴール前に走り込み、フィニッシュを狙う稲本潤一がメインキャストに躍り出た日本は、ベルギーとの初戦を引き分け、ロシアとの第2戦は快勝。さらに第3戦も森島寛晃と中田英寿のゴールでチュニジアを退け、堂々の1位通過を果たした。忘れ難いと言えば、初戦でベルギーに先制され、一度は沈みかけた日本に勇気を与えた鈴木隆行の同点ゴールである。相手DFが見送ったボールに食らいついてGKの鼻先を抜く、鈴木ならではの泥臭い一撃。そこから、日本の進撃が始まった――と言ってもいい。一方の韓国は初戦でポーランドを破って波に乗ると、第3戦で強豪ポルトガルをパク・チソンの一発で蹴落とした。こちらもグループ首位でベスト16に駒を進めている。
日韓の明暗が分かれたのは、この先だ。8強入りをかけた決勝トーナメント1回戦である。日本がトルコに敗れた数時間後、韓国は超大国のイタリアを葬り去る“ジャイアントキリング”を演じることになった。延長後半に衝撃のゴールデン・ゴールを記録したのが「指輪の帝王」ことアン・ジョンファンだ。前半にPKを外す痛恨事にもめげることなく、最後の最後に執念の一発を実らせた。続くスペインとの準々決勝でも韓国の勢いは止まらず、PK戦の末にアジア勢初のベスト4へ勝ち上がる。名将フース・ヒディンクの巧みな用兵術は言うに及ばず、勝利への飽くなき執念と延長でも足が止まらぬ驚異の運動量が、大躍進のトリガーとなっていた。同時にレフェリーのジャッジが有利に働いた面もある。イタリア戦では韓国DFと接触したかに見えたフランチェスコ・トッティがシミュレーションと判断され、2回目の警告で退場処分に。さらに準々決勝ではスペインのゴールが怪しげなジャッジで二度も取り消されている。
「これは親善試合じゃない。ワールドカップの準々決勝だ。あの判定は絶対にあってはならないミスだった」
延長で副審のジャッジによって決勝点を取り消されたスペインの大砲フェルナンド・モリエンテスは、怒りを隠さなかった。さらにスペイン協会のアンヘル・マリア・ビジャール会長はFIFAのゼップ・ブラッター会長に抗議文を送り、自ら務めるFIFAの審判委員会の職を辞する事態にまで発展していく。たまりかねたFIFAの広報部長は「今大会の判定で一つか二つ、大きなミスがあった」と、審判委員長のコメントを引用。初めて公の場で誤審を認める発言を口にした。この一件で風向きが変わったか、次の準決勝で韓国は良いところなく、大国ドイツに屈することになる。世界をあっと言わせた『ヒディンク・マジック』も、ここまでだった。
波乱の韓国ラウンドも最終的に収まるところに収まると、日本ラウンドでも優勝候補の一角が順当に勝ち上がっていく。王国ブラジルだ。グループステージは全勝。しかも、3試合で計11得点を叩き出した。その破壊的な攻撃力のハブとなったのが前線で黄金のトライアングルを築くロナウド、リバウド、ロナウジーニョの『3R』だった。そんな破竹の王国に準々決勝で挑んだのが、デイビッド・ベッカム擁するイングランドだ。グループステージでは因縁深いアルゼンチンを撃破。しかも勝負を決めたのが、前回大会の同カードで退場処分となり、長く戦犯扱いされてきたベッカムのPKという、ドラマ仕立てのモノだった。サッカー界の「王国と母国」の直接対決は、1970年メキシコ大会以来。前回の対戦では王様ペレの放った完璧なヘッドを、名GKゴードン・バンクスが奇跡的に右手一本でかき出す、大会史上でも指折りの名シーンが生まれていた。
「ブラジルが勝つ。なぜなら、今のイングランドにバンクスはいないからだ」
伝説のペレは、32年ぶりの再戦を前にして、こう話した。実際、ゲームはペレの「予言」通りとなる。決勝点はGKデビッド・シーマンの虚を突くロナウジーニョの直接FK。シーマンの両手はボールに触ることすらできなかった。ブラジルの勢いはどうにも止まらない。続く準決勝ではグループステージで2-1と破っていたトルコを返り討ち。突如、髪型を「大五郎カット」に変えたロナウドの決勝点で、2大会連続のファイナルへたどり着いた。
3位決定戦に回ったトルコは、主砲ハカン・シュキュルの大会史上最速ゴール(開始11秒)などで韓国に快勝。優勝国(ブラジル)に二度負ける一方、ホスト国(日韓)に二度勝って、銅メダルを手にした。
一夜明けた6月30日が、ブラジルとドイツのファイナルだ。優勝回数は前者4、後者が3。南米とヨーロッパを代表する超大国同士だが、なぜか20世紀の大会では一度も実現していない夢のカードだった。もっとも、今大会のドイツは魅力に欠けていた。ベスト16に駒を進めて以降、パラグアイ、アメリカ、韓国の格下にいずれも1-0の僅差勝ち。グループステージだけで5ゴールを集めたミロスラフ・クローゼは沈黙し、代わりに決め手となったMFのミヒャエル・バラックと、文字通りの守護神と化したオリヴァー・カーンにチームの命運を委ねていた。だが、バラックを警告累積による出場停止で失った決勝では、さしものカーンも『怪物』の前にひざまずくことになる。リバウドの援護を得て躍動するロナウドを止めようがなかったからだ。一度ならず二度もゴールを割られては、もはや天を仰ぐしかなかった。
これで8ゴールを稼いだロナウドは得点王を獲得。こうしてブラジル人が胸を張るペンタ・カンペオン(5回の世界王者)の物語が完結する。しかも1970年メキシコ大会以来の全勝優勝だ。それは同時に、4年前のファイナルで悪夢を見た男の華々しい復活劇でもあった。