今シーズン冬にミランに加入した本田 [写真]=Getty Images
文=赤星敬子
ミランに所属する日本代表MF本田圭佑のセリエA、1年目のチャレンジが終わった。
めったにコメントを残さない本田が最終戦のサッスオーロ戦後、本拠地サン・シーロでCSKAモスクワから移籍後の4カ月半を語った。発言の中には「忍耐力」「個」「苦労」があり、ふだんの強気の本田とは少し違った一面をのぞかせた。
ミランサポーターの期待の大きさは本人が一番よくわかっていたと思う。1月の華々しい入団会見は元イングランド代表のデイヴィッド・ベッカム氏並みだった。そして結果はリーグ14試合出場1得点、コッパ・イタリア2試合出場1得点というものだった。本人は「6、7点ぐらい取れるのではないか」と思っていたという。ファンの期待を裏切った形になったのは、本人がよく知っていた。背番号「10」には値しない4カ月半となってしまったのが事実だ。
ロシア、オランダのサッカーの経験はあっても、イタリアはまた特殊な世界だったようだ。まずイタリア・サッカーでいうと「苦労だらけだった。戦術的でディフェンスがタフ、守備組織が強固。選手は守備でボールを出したら、その後、動かないで任せっきり。それに慣れていなかったから、何かを起こすことができなかった」とそのギャップを埋められなかった。
自分がやりたい中央でのポジションではなく、クラレンス・セードルフ監督になってからは徹底的に2列目右サイドを与えられた。監督が言っていたように「本田ならできる」と、与えられたポジションだった。しかし結局、自分の良さを出すプレーは見られなかった。
ただ、セードルフ監督には感謝している。「右サイドには意味があったはず。監督から守られ感があった。結果を出せていなくても出場させてくれた。監督とポジションについても話し合った」という。
そしてピッチ外でミランの選手と打ちとけるにも時間がかかった。「ロシアも個性の強い選手が多かったが、ミランは思っていた以上に個々の個性が強かった」という。東洋から来た鳴り物入りの本田。彼らを納得させ一目置かせる唯一の方法は、実戦で結果を出すことだった。
その本田がイタリアの4カ月半で学んだのは「忍耐力は大事」で、それを実践してきたことだった。そして「右でやったこと、できなかった悔しさはワールドカップにも活きる」と気持ちを切り替え、これからブラジルでの日本代表でのプレーに専念する。