元日本代表監督ジーコとの2ショット。マヌエルもジーコも共にウディネーゼでプレーしている [写真]=佐藤徳和
※このインタビューは中編です。まず『【インタビュー】日本で暮らす元セリエAプレーヤー マヌエル・ベッレーリが語る半生 前編』をお読みください。
22歳のマヌエルは、アタランタやサンプドリアからのオファーを受けるが、組織力に優れ、若手を積極的に起用するエンポリへの移籍を決断することとなった。そのエンポリには、多くの優秀なアタッカーがチームメイトとなり、3年目のシーズンにはエンポリを4年ぶりとなるセリエA昇格に導く。ルチアーノ・スパレッティの指導の下、快進撃を果たしていたウディネーゼ。そして、199-2000シーズンにセリエAを制していたラツィオへと移籍し、着実にキャリアを築いていくこととなるが……。
取材・文・写真=佐藤徳和/Norikazu SATO
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―――22歳のときに、セリエBのエンポリに移籍します。セリエBの印象はどうでしたか? 戦術、技術、フィジカル、セリエCとは何が違いましたか?
マヌエル・ベッレーリ(以下、マヌエル) セリエBはとても厳しく、とてもレベルの高いチームが多かった。セリエCとの違いは、セリエBではたった一つのミスで高い代償を払うことになった。DFが一つのミスをすれば、相手のFWは得点を決めてしまう。ミスをすることは許されなかった。
―――エンポリで2年目の2001-02シーズンは、4ゴールを挙げました。戦術的に何か変わったのでしょうか?それともマヌエル自身が変わったのですか?
マヌエル それまでと変わらず右サイドバックでプレーしていたけど、このシーズンはより攻撃的にプレーできたんだ。
―――エンポリに移籍したとき、チームには同い年のアントニオ・ディ・ナターレ(現在セリエB スペーツィアのU-17監督)がいました。素晴らしい選手になると思いましたか?
マヌエル ディ・ナターレはとても優れた選手で、極めて卓越したテクニックを備えていたよ。だから、彼を見てすぐにとても素晴らしい選手になると確信したよ。
―――当時、エンポリには、ディ・ナターレのほか、トンマーゾ・ロッキ(現ラツィオのU-15監督)、フランチェスコ・タヴァーノ、マッシモ・マッカローネといった素晴らしいFWが在籍していました。タヴァーノとマッカローネは今もカッラレーゼ(セリエC、2013-15シーズンはジャンルイジ・ブッフォンが会長を務めた。今季はグループAで第27節を終えて2位)でプレーしていますね。
マヌエル ロッキとはラツィオでも一緒にプレーしたんだ。得点能力に長けた選手で、パワフルだったよ。マッカローネ(40歳)とタヴァーノ(41歳)はまだ現役だね。カッラレーゼは監督が、(エンポリ時代の指揮官)シルヴィオ・バルディーニなんだ。それで、彼が2人を必要としたというわけさ。タヴァーノはバレンシアでもプレーしているよね。とてもスピードがある選手だった。
―――3年目の2001-02シーズンに、4位に入りセリエA昇格を勝ち取り、ついにあなたの夢が実現します。
マヌエル とても嬉しかったよ。セリエAでプレーすることは子供の頃からの夢だったからね。それが実現できたんだ。
―――セリエAでの一年目はとてもいいプレーができたんじゃないですか? あなたが愛するミランとは引き分け、勝利も収めました。
マヌエル 最高のシーズンだったね。この1年、自分は右サイドバックで5本の指に入ったんだ。
―――しかしながら、2003-04シーズンは、うまく行きませんでした。何かがうまく機能しなかったのでしょうか。
マヌエル シーズン中に監督が変わって(バルディーニ→アッティリオ・ペロッティ)、残念ながらチームは弱体化してしまい、セリエBに降格することになってしまった。
―――チームは降格してしまいましたが、マヌエルはディ・ナターレと一緒にウディネーゼへ移籍することとなりました。ルチアーノ・スパレッティ監督があなたを欲したのでしょうか、それともクラブですか?
マヌエル 自分を必要としてくれたのはスパレッティ監督だった。人としてもとても尊敬している。最高の監督ということは、ゼニトやインテルを指揮したことで証明されている。
―――スパレッティ監督は、難しいことを要求したのではないでしょうか? というのもこの監督の戦術はとても独特ですから。
マヌエル そのとき、4-2-3-1を要求してきたけど、この戦い方はエンポリでやっていたものだったんだ。とても攻撃的だけど、バランスが取れたフォーメーションだった。ただ、残念なことに、3-4-3への変更を余儀なくされてね。それでもこのやり方で、チャンピオンズリーグ出場権を獲得したんだ(2004-05シーズン、4位)。
―――ウディネーゼで1年プレーし、ラツィオへ移籍します。大きなチャンスでした。ビッグクラブでプレーすることはどうでしたか? ただ、残念ながらローマ・ダービーではプレーできませんでした。
マヌエル そうだね、ラツィオはとても素晴らしいクラブだった。素晴らしいサポーターがいる大きな街で、自分はサッカー選手だということを100パーセント感じたよ。残念ながら、自分と同じポジションには、既にマッシモ・オッドがいた。彼は、2006年ワールドカップ優勝メンバーだ。だから、本来のポジションとは違うところでプレーした。それでも、いいプレーは見せられたよ。
―――そして、2006年には、イタリアがワールドカップを制します。どこで決勝戦はご覧になりましたか?
マヌエル 決勝戦はベルリンのスタジアムで観たんだ。その頃、ルーカ・トー二ととても仲が良くてね。彼がチケットをくれたんだよ。
―――アタランタでもプレーしました(2007-08シーズン)。監督はルイージ・デル・ネーリ。その監督のラインディフェンスはどうでしたか?
マヌエル アタランタでのシーズンも素晴らしいシーズンだったよ。彼の戦術にもうまくフィットできたね。
―――それからボローニャに入団しましたが(2009年1月)が、初めての冬の移籍でした。夏の移籍とは違いましたか?
マヌエル そうだね、1月に移籍するのは、簡単ではないね。ボローニャには、シニサ・ミハイロヴィッチ監督が自分の獲得を望んだんだ。最も大きな目標だった残留を勝ち取ったよ。
―――そのボローニャには今、冨安健洋選手が所属しています。彼の試合を追っていますか?
マヌエル お気に入りの選手だ。ボローニャでは右サイドバックだけど、センターバックでもプレーしているね。何本かとてもいいクロスを放っていたのを見たよ。彼の活躍はイタリアでも話題になっているよ。
―――2009年には、初めて南部のクラブ、レッチェに移籍します。北部のクラブとは、雰囲気は違いましたか?
マヌエル レッチェは海に近く、魅力的な街だったよ。セリエBで優勝し、セリエA昇格を成し遂げたんだ。南部の人たちは、一日一日をサッカーと共に生き、サッカーへの溢れんばかりの情熱を持っている。
―――キャリア最後のはSPAL(レガ・プロ・プリーマ、当時の3部リーグ)でした。35歳。以前のようにプレーするのは肉体的に厳しかったのでしょうか。引退の決断はすべての選手と同じように難しいものだったと思います。
マヌエル 肉体的にはとてもいい状態だったよ。1年目もプレーできる限り、試合には出場できていたし。ところが2年目は、クラブが財政的に厳しい状況に陥ってしまい、リーグ戦はうまく戦えなかったんだ(シーズン終了後、SPALは破産。翌シーズンはセリエDからのスタートを余儀なくされる)。
―――現役を引退して、何か後悔はありますか?
マヌエル 後悔は、現役を引退する前に日本を知ることができなかったことだね。できれば、J1、あるいはJ2でプレーしたかったよ。
続く
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