2019.07.17

冨安健洋が移籍したボローニャってどんなクラブ? 積極補強で古豪復活へ

ボローニャ
古豪復活を目指すボローニャ [写真]=Getty Images
1998年にローマに語学留学し、同市内のアマチュアクラブ、ロムーレアの練習に参加。カルチョだけでなく全てのアッズーリをこよなく愛し、日伊協会会報誌『CRONACA』では、イタリアに特化したスポーツ記事を連載中。2017年11月『使えるイタリア語単語3700(ベレ出版)』を共同執筆。イタリア語検定協会事務局員。日伊協会にて4月より『カルチョで旅するイタリア』が開講。

 7月9日、日本代表DF冨安健洋のボローニャへの完全移籍が正式決定した。三浦知良、中田英寿、名波浩、中村俊輔、柳沢敦、小笠原満男、大黒将志、森本貴幸、長友佑都、本田圭佑に次いで11人目となるセリエAのジョカトーレ・ジャッポネーゼの誕生であり、ボローニャにとっては2004年に半年間プレーした中田以来、2人目の日本人選手となった。

 本拠地のあるクラブと同名のボローニャ市はイタリア北部エミーリャ・ロマーニャ州の州都であり、同時にボローニャ大都市圏の都が置かれている場所でもある。首都ローマからは直線距離で約300キロ。人口は約39万人で、これはイタリアで7番目の数字であり、約37万8000人で8位のフィレンツェを上回る数となっている(2018年12月、イタリア国立統計研究所調べ)。また、エトルリア人の都市として栄え、古代ローマ人によって発展を遂げたボローニャは、欧州最古の総合大学があり、そして、イタリア有数の美食の街として知られている。

 歴史地区にはルネッサンス、バロック時代の重要な芸術作品や建築物を多く目にすることができることから、近年は旅行客の数が著しく増加している。市内にはポルティコと呼ばれるアーケードが続き、太陽が燦々と輝く夏でも、日陰を歩きながら、散策を楽しむことを可能とさせてくれる。サッカー以外のスポーツではバスケットの人気が非常に高く、セリエAに所属するヴィルトゥス・ボローニャは15回のタイトルを獲得。これはオリンピア・ミラノの28度の優勝に次いで、2番目の優勝回数である。

 冨安がプレーするボローニャは1909年創設。1年後の1910-11シーズンにはイタリア・サッカー連盟(FIGC)が運営するエミーリャ-ヴェネト・リーグと北西リーグの2つのリーグから成るプリマ・カテゴリーア(当時のトップリーグ)の前者に加盟し、4チーム中3位でシーズンを終えている。それから、13年後、名称をプリマ・ディヴィジョーネに変えていた1924-25シーズンに初めて優勝を成し遂げる。13チームで構成されていた北部リーグ・グループBのレギュラーシーズンを制し、ジェノアとのリーグ・ファイナルで2勝1分け1敗の成績で北部リーグ王者に。そして、南部リーグを制して勝ち上がってきたアルバ・ローマ(1968年に解散)との決戦に2戦2勝し、前シーズンから与えられていたスクデットを初めて獲得した。ちなみにこの時、シーズンは今以上に長く、10月上旬に開幕し、優勝決定戦は8月下旬に行われていた。現在のような便利な移動手段がないことを考えると、より過酷なシーズンであったと言えるだろう。

ボローニャ

[写真]=Getty Images

 ボローニャは通算7回、イタリア王者になっている。最後に優勝したのは今から55年前の1964年にまで遡るが、トリノ、プロ・ヴェルチェッリ(現在セリエC)と並ぶ7度の優勝回数は歴代5位の記録。3度のローマ、2度のフィオレンティーナ、ナポリ、ラツィオを上回る優勝回数を誇る、まさに“古豪”の名がふさわしいクラブだ。前回の優勝から実に23年目の快挙であった1963-64シーズンは、クラブ史で最も偉大な外国人プレーヤーの一人と記憶される、デンマーク人のハラルド・ニールセンが21得点と爆発。得点王に輝くとともに、クラブをイタリアの頂点に導いた。また、このシーズンは、ボローニャ近郊のメディチーナ出身でクラブ最多出場記録(488試合)を持ち、10シーズンに渡りカピターノとしてチームを支えたジャコモ・ブルガレッリの存在も忘れるわけにはいかないだろう。

 しかし、80年代からイタリアのサッカーが活況を呈したのに反し、クラブは衰退する。セリエB降格に留まることさえもできず、セリエC1にまで落ちる屈辱を味わうこととなった。1988-89シーズンは6年ぶりにセリエA復帰を果たすが、クラブの弱体化に歯止めは効かず、1991-92シーズンには再びセリエBに、その2年後にセリエC1へと降格。その翌年にはついに破産の憂き目に遭う。120年の歴史において、この頃がクラブ史上最悪の時代であった。

 状況が好転するのは、1993年にジュゼッペ・ガッツォーニ・フラスカーラ(現名誉会長)が会長に就任してから。セリエC1を戦った1994-95シーズンから2年連続の昇格を果たし、セリエA復帰1年目の1996-97シーズンを7位で終えると、97年の夏、サポーターにこれ以上ないプレゼントをもたらす。イタリアの英雄、ロベルト・バッジョを獲得したのだ。チームは順位こそ1つ落とし8位に終わるが、ミランで不遇な扱いを受けて苦しんでいたバッジョは完全復活。キャリア最多の22得点を挙げる活躍で、本拠地レナート・ダッラーラを熱狂の渦に巻き込んだ。

バッジョ

[写真]=Getty Images

 バッジョは翌年インテルに引き抜かれ、ボローニャ在籍は1年に終わったが、入れ替わるように新しいエースを得る。当時のイタリアを代表する点取り屋、ジュゼッペ・シニョーリだ。キャリア晩年ではあったが、6シーズンに渡り在籍し、セリエAで67ゴールを記録した。

 2004年1月には、中田がチームに加わる。パルマで出番を失いつつあった中田と、トップ下のプレーヤーを探していたカルロ・マッツォーネ監督の思惑が一致し、冬の移籍市場で中田はボローニャの一員となった。中田の活躍もあり、このシーズンは、後半から順位を挽回して12位で終え、残留に成功した。しかし、翌シーズンにシニョーリと中田が去ったボローニャは競争力を失い、18位とまたしてもセリエBに落ちることとなってしまった。その後は11-12シーズンの9位が最高で、毎年残留争いを強いられつつ二桁順位が定位置のクラブとなってしまっている。

中田英寿

[写真]=Getty Images

 現在は、2014年から会長職を務めるカナダ人実業家、ジョーイ・サプートのクラブ経営手腕に期待がかかっている。その期待に応えるよう、この夏はすでに5000万ユーロ(約60億円)を補強に捻出。最終的には8000万ユーロ(約97億円)を費やすとも報じられており、近年にはなかった積極的な補強が行われている。最低でも一桁順位を狙える陣容は揃いつつある。古豪復活に向けて、機は熟した。

文=佐藤徳和/Norikazu Sato

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