2019.04.20

【コラム】凡庸な選手から“ユヴェントスの選手”へ…引退表明のバルザーリが歩んできた道のり

バルザーリ
昨季までにセリエA7連覇を達成したバルザーリ(中央)が、今季限りで現役を退く [写真]=Getty Images
1998年にローマに語学留学し、同市内のアマチュアクラブ、ロムーレアの練習に参加。カルチョだけでなく全てのアッズーリをこよなく愛し、日伊協会会報誌『CRONACA』では、イタリアに特化したスポーツ記事を連載中。2017年11月『使えるイタリア語単語3700(ベレ出版)』を共同執筆。イタリア語検定協会事務局員。日伊協会にて4月より『カルチョで旅するイタリア』が開講。

「その時がきた。6月をもって引退する」。4月13日、セリエA第32節・SPAL戦終了後、81分にピッチを後にしていたユヴェントスアンドレア・バルザーリは清々しく今シーズン限りでの現役引退を表明した。



 対人プレーに強く、高さがあり、鋭い読みで相手チームの攻撃の芽をつむことができる屈強なセンターバック。フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・ネスタ、ファビオ・カンナヴァーロといったイタリアが輩出した先人たちと比べるとネームバリューに欠けるものの、古き良き守備王国イタリアのサッカーを体現し、3歳下の盟友、ジョルジョ・キエッリーニとともに、イタリアの面子を守ってきた。

 また一人、偉大なプレーヤーがカルチョの世界を去る寂しさは拭えない。バルザーリと同じ1981年生まれであるズラタン・イブラヒモヴィッチ、ダビド・ビジャ、イケル・カシージャスといった選手たちも現役を続けていることから、バルザーリもまだ続けられる道があるのではないかという思いもあるが、近年はケガとの戦いでもあった。本人が言うように“その時”がきたのだろう。

■セリエDから始まったキャリア

 バルザーリは、トスカーナ州のエトルリア人が築いた小さな町、フィエーゾレの生まれだ。187センチ、87キロの体躯は巨漢プレーヤーという表現がふさわしいが、若い時は痩せぎすな選手だったという。サッカーのために勉学に犠牲を払い、夜間学校に通いながらトッププレーヤーを目指した。デビューは17歳。しかし、その場所はセミプロ・カテゴリーのセリエD。プロとして飯は食えても、セリエAにたどり着くには先が見えない場所にいた。それでも、当時所属したクラブのロンディネッラ-小さなツバメ-という名前のように、ここから大空へ羽ばたいていくことになる。2000年にはセリエBのピストイエーゼに移籍。ここでジュゼッペ・ピッロン監督と出会い、ディフェンダーにコンバートする。

「自分はセンターハーフの選手だと思っていたんだけれど、ピストイエーゼで6カ月プレーしていたときに、ピッロン監督にさらに後ろでプレーするようにと告げられんだ」

 対人プレーの強さにばかり目が行きがちであるが、右サイドバックとしてもプレーできることからも分かる通り、足元のプレーも非凡なものを持つ選手である。中盤の選手としてプレーしていたならどのような選手に育っていたのか、興味深いところだ。

■パレルモ移籍、W杯制覇、そして転機となった出会い

バルザーリ

[写真]=Getty Images

 その後、一旦はロンディネッラに戻り、そこからアスコリへ。22歳の2003年には、当時ミラクル疾風を巻き起こしていたキエーヴォに入団した。シーズン1年目にして29試合出場3ゴールの活躍を見せると、翌2004年にはシチリアの雄、パレルモに移籍し、その年の11月にはついにアッズーリでのデビューを飾る。そして、2006年、あのドイツ・ワールドカップで優勝を経験。ベスト16のオーストラリア代表戦では56分から途中出場、準々決勝のウクライナ代表戦ではフル出場し、イタリアの4度目の世界制覇に貢献した。

 しかし、ワールドカップ後、バルザーリはベストコンディションになかったことを明かしている。「パレルモでの最後の2年間は、決して良いものではなかった。別人のようで、どこにでもいるような選手だった。一兵卒として戦ったワールドカップを経て、あのとき、ビッグクラブからのオファーを受け入れないことなどできなかった」と振り返る。ヴォルフスブルクへの移籍だ。ここでバルザーリのサッカー人生に大きな転機が訪れる。名将フェリックス・マガトとの出会いだ。

バルザーリ

[写真]=Getty Images

「『君が悩み、トレーニングもうまくいっていない理由が分かるか? それは、自分自身がしていることに自信を持っていないからだ』と言われてね。それは事実だった。実際、70から80パーセントの力でトレーニングをしていたんだ。しかし、マガト監督に指摘されてからは、常に100パーセントでトレーニングに臨んだ。決して、満足することはなかったよ。それからトレーニングの方法も変わってね。クオリティも飛躍した。妻にその頃よく『あなた、心ここにあらずって感じね』って言われたよ。サッカーのことしか考えていなかったんだ」。マガトに出会ったバルザーリは移籍1年目の08-09シーズン、クラブ史上初のブンデスリーガ優勝の力となった。

■凡庸な選手からユヴェントスの選手へ

バルザーリ

[写真]=Getty Images

 2011年1月、冬の移籍市場でイタリアへの帰還を果たす。“イタリアの恋人”ユヴェントスへの移籍だ。このときの移籍金は30万ユーロ(約3800万円)。0が2つ少ないのではないかと目を疑いたくなるような数字だった。闘将アントニオ・コンテの指導の下、02-03シーズン以来となるセリエA優勝を目指していたチームにとってこれ以上ない破格の値段での補強となった。

 すぐに必要不可欠な選手となり、そこから7連覇を実現。今シーズンも前人未到の8連覇が決定的となっている。バルザーリは多くを語らない、ハードワークに徹したセンターバックだった。それゆえ、メディアへの露出度は低く、ピッチ外でのエピソードが明るみに出ることもなかった。

バルザーリ

[写真]=Juventus FC via Getty Images

「何よりもまず、謙虚でいることだ。それは、自分自身を信じるなということではない。しかし、謙虚でなければ、スタートから躓いている。たくさんの優れた選手を見てきたが、すでに成功したと思い込んでいる選手たちだった。大きな犠牲を払って偉大な選手になれる選手も中にはいる。自分はそんな偉大な選手の中には含まれないけれどね。けれども、自分は凡庸な選手からユヴェントスの選手へとなった」

 ユヴェントスは、チャンピオンズリーグ準々決勝でアヤックスに敗れ、96年以来の欧州奪還の夢は潰えた。それは、ベンチに控えていたバルザーリにとっての悲願でもあったはずだ。現役引退を表明し、選手としての欧州制覇は叶わぬ夢となった。

「これからの数カ月、今後のことをじっくりと考えたい。自分が何に優れているのか、何に興味があるのか。素晴らしい熱狂をもたらしてくれるものを見つけなければならない」。引退後の去就については明言を避けているが、仮に指導者の道を歩むのであれば、これほどの適任者はいないだろう。真摯な彼の言葉の端々から、素晴らしい指導者になれる資質を持ち合わせている感じが見て取れる。選手として手が届かなかったビッグイヤーを、これからは指導者として目指す。そんな姿を想像することは、誰にとっても容易なものではないだろうか。

文=佐藤徳和/Norikazu Sato

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