2018.11.14

【ロベルト・バッジョ独占インタビュー】永遠のファンタジスタが語る過去、現在、未来

3年ぶりの来日を果たしたバッジョ[写真]=野口岳彦
サッカー総合情報サイト

 元イタリア代表のレジェンド、ロベルト・バッジョがアンバサダー契約をしているディアドラの商品PRを兼ねて3年ぶりの来日を果たした。現在51歳、現役引退からおよそ14年が経った今、稀代のファンタジスタは何を思い、どんな活動をしているのか。親日家としても知られるサッカー界の英雄が『サッカーキング』の独占インタビューに応じた。

すべてのサポーターと同じようにアッズーリを見ている

──現在のイタリア代表についてうかがいます。ロシア・ワールドカップの出場を逃したアッズーリは変革期にあると思いますが、イタリアが本来の強さを取り戻すためにはどんなことが必要でしょうか?

失態を演じた時には、犯してしまったミスをよく振り返らなければならない。イタリアは若手を起用して再出発する必要があると思う。若い選手たちこそがアッズーリの未来だ。真剣なプロジェクトが必要で、若手を育てる人間には時間を与え、忍耐強く続けていかなければならない。どんな作業にも時間は必要だが、このプロジェクトにはより多くの時間が必要なんだ。

──直近のポーランド戦、ポルトガル戦はご覧になりましたか?

もちろん、見ているよ。すべてのサポーターと同じようにね。以前のような強さを取り戻すためには言うまでもなく時間が必要だ。

──現在のアッズーリで中心となるべき選手はいますか?

まだ中心となるような選手はいないと思う。これも少し時間が必要だ。特に中心となるべき選手をはっきりさせるとなればね。代表は同時に結果も出さなければならない。

──フェデリコ・ベルナルデスキはどうですか? あなたと同じようにフィオレンティーナからユヴェントスに移籍しました。

とても良くやっていると思うよ。移籍してすぐに多くの試合で違いを見せた。今後も継続して結果を出すことが必要だろう。彼をプレーさせるためにどう時間を与えていくべきか、監督もよく分かっているはずさ。

──18歳でアッズーリに招集されたサンドロ・トナーリを知っていますか?

ああ、トナーリね。知っているよ。

──アンドレア・ピルロにとてもよく似ています。

みんな彼のことはとても良く言っている。私は彼がプレーしているところをちゃんと見たことはないけど、周りのみんなはとても優れた選手だと言っていたよ。

──あなたは過去のインタビューで「南米サッカーをよく見ている」と言っていましたね。特にボカ・ジュニオルスを追いかけていて、リカルド・セントゥリオンが好きだと聞きました。

そうだね。ラシン・クラブに移籍してしまったけど、素晴らしいクオリティを持った選手だ。ボカでは難しい時期もあり、イタリアのジェノアに移籍し、それからアルゼンチンに戻った。ただし、もっと成長しなければならないね。彼は幸運にも素晴らしい技術を授かったということを理解しなければいけない。

──今もセントゥリオンのことが好きですか?

違いを生み出そうという意欲を持っている時はね。繰り返しになるけど、彼は自分が素晴らしいクオリティを持っていることを幸運だと理解しなければならない。それを台無しにしてはならないんだ。

──現役選手たちとの交流はありますか?

何人かの選手とは連絡を取っている。ただ、問題は私と彼らはとても離れた生活をしているということだ。キャリアを終えてしまったら、誰もが違った道を選択するのは当然だろう?

──今後イタリアのクラブ、あるいはイタリアサッカー連盟と関わる可能性はありますか?

自分はすでに仕事を果たした。何年か仕事を担い、若手選手のために何かできないかと願っていた。我々はそのためのプロジェクトを出したが、(連盟は)私の意見を取り入れてはくれなかった。だからもう関わらないことを選んだんだ。

子どもの頃のアイドルはジーコだった

──これまで一緒にプレーした中で最もうまかった選手は誰ですか?

一人を選ぶのは容易じゃないな。私は多くの優秀なチームメイトと一緒にプレーする幸運、優秀なライバルと対戦する幸運に恵まれた。たくさんの規格外の選手たちとプレーする機会を得たけれど、あえて一人挙げるとすれば(マルコ)ファン・バステンだね。早くに引退してしまったのは不運だったけれど、ピッチの上だけでなく、ピッチの外でも並外れた選手だった。

──ジーコが憧れの存在だったとうかがいました。

そうだね。私の子供の頃のアイドルはジーコだった。当時はブラジルのサッカーを見ていてね。ブラジルサッカーを見て過ごしたあの頃、彼はナンバーワンの選手だったんだ。

──彼は今日本にいますが、今回の滞在でジーコと会いますか?

ぜひ会いたいところだけど、明日には日本を発たなければならないんだ。でも、日本にいるということであれば彼には心から挨拶したい。

──自分が決めた中で最もお気に入りのゴールはどれですか? 自分が決めたゴールを覚えているものですか?

もちろん、全部のゴールを覚えている。どのゴールがより素晴らしいかということは分からないけどね。ゴールを決める選手は、すべてのゴールと結びついているもの。もしかしたら素晴らしいゴールではないかもしれないけれど、「重要」なゴールかもしれないしね。

──個人的には2001年4月のユヴェントス戦で決めたブレッシャ時代のゴールが好きです。アンドレア・ピルロからのラストパスでした。

そうそう、アンドレアからね。素晴らしいゴールだった。しかもチームにとって重要なゴールだったんだ(編集部注:バッジョは1点ビハインドで迎えた試合終了直前に同点ゴールを決めた)。

──忘れられない試合、シーンはありますか?

多くの瞬間が忘れられないものだけど、とりわけイタリア代表でプレーした試合には特別な感慨がある。アッズーリのユニフォームを着るということは、当然ながら祖国を代表するということだからね。クラブを代表するという以上に責任を負うものだ。

──あなたはヴィチェンツァ、フィオレンティーナ、ユヴェントス、ミラン、インテル、ボローニャ、ブレッシャでプレーしました。今も心の中にあるクラブは?

すべてのクラブと今も強い絆がある。どの街、どのサポーター、どのクラブとも強い関係を持っているから、自分にとって違いはない。小さい、大きいにかかわらず、すべてが重要なクラブなんだ。

──あなたにとって最も重要な監督は誰ですか?

自分はたくさんの監督と出会った。中には1年で4人の監督に指導を受けたこともあった。ただ、時代が変わってくると、監督の手法も全く異なってくる。私は自分のキャリアの終盤にカルロ・マッツォーネ監督の下でプレーした。彼は何年も前から、それまでとは違った手法を取り入れていた監督だった。当時からマッツォーネ監督との関係はとても素晴らしいものだったし、彼はとても真摯で、とても真っ直ぐな人だった。彼と巡り会えたのは幸運だったよ。

──マッツォーネ監督とは今も連絡をとっていますか?

もちろん。今も時々、電話をかけて挨拶をしているよ。

──今も連絡を取り合っている元チームメイトはいますか?

たまに連絡を取ったり、会ったりしている人はいるよ。少し前にブレッシャにも行ってね。チームマネージャーのエドアルド・ピオヴァーニとも素晴らしい関係にある。時が経つと、元チームメイトと会うのは1年に1回あるかどうかになってしまうけど、尊敬や友情はずっと変わらない。

──ピルロの引退試合にも姿を見せていましたね。

そうだね。彼に挨拶するためにミラノに行ったけれど、自分はもうサッカーができない。それでも彼には挨拶をしに行った。当然のことだよ。

ミウラには「サッカーを続けろ!」と伝えた

──最近はアカデミーの活動に熱心だと聞きました。

我々には指導理論があって、その理論に自信を持って取り組んでいる。何よりもまず、良い指導者を育成することが必要不可欠だろ? 良い指導者というのは何をすべきか分かっていて、子どもたちに対して間違いをしない。なぜなら指導者はミスを犯してはならないからだ。子どもたちには未来があり、彼らを導くために自分たちは持っているものすべてを使って、ベストを尽くさなければいけない。とりわけ、常に改善することが必要だと思っている。

──過去のインタビューで「進めているプロジェクトがある」と言っていました。そのプロジェクトとはサッカースクールのことですか?

サッカースクールではないんだ。我々は指導者を養成するために動いている。重要なことだ。良い指導者がいなければ、人生において何かを成し遂げることは困難だろう? これが我々の指導論のベースになっている。

──子どもたちの育成や、指導者の養成においては何が重要ですか?

知識を持つこと、結果を出すことができる新しい指導論を持つことが必要だ。特に、その中心には子どもたちが楽しめるような指導がなければならない。同じやり方でも、子どもたちに近づくこともできるし、距離を置くこともできる。私が話すことで、子どもたちに良い影響を与えることもあれば、その逆もある。そこには当然、「知識」という重要なカバンを携えていなければいけない。先ほども言ったけれど、私たちはミスを犯すことはできないんだ。

──あなたたちの世代の頃はサッカーは街中で覚えるものでしたが、今は……。

まさにそのとおりなんだ。今はそういったことがない。自分が子どもだった頃は“サッカーの時間”なんてものはなかった。丸一日、サッカーに明け暮れていたからね。痛みや苦労を感じることはなかった。サッカーに懸ける情熱が、限界を超えさせてくれた。今の子どもたちの生活は変わり、とても保護されている。こういった環境が、子どもたちから自由を奪ってしまう可能性もあると思う。

──あなたは家の中でもボールを蹴っていたと聞きました。

あらゆるところでサッカーをしていた。家の中だろうが外だろうが関係なかったよ。サッカーをするためのわずかなスペースさえあれば良かったんだ。ずっとボールと一緒にいた。最高の友だちだった。

──『キャプテン翼』のようですね!

そうだね(笑)。似ているかもね。

──あなたと同世代の子どもたちが二世選手として台頭しています。ご自身の息子に「サッカー選手になってほしい」と思いませんでしたか?

最初はそう思っていたよ。息子が小さい頃はね。私が成し遂げたようになってほしいと。しかし、時が経つにつれて、サッカー選手になるのは難しいと分かった。彼が8歳か9歳、いや10歳の頃まではサッカーをしていたんだけど、私と彼の比較があちこちで言われるようになった。残念ながら、こういったことは子どもの重荷になるし、耐えられなくなってしまうだろう? 本来は気にしなくていいことなのに、そのように判断してしまいがちだ。そういこともあって、私は息子にサッカーをやめるように言った。「もしお前がサッカーをやりたいならやりなさい。お前がしたいようにすればいい。サッカーを続けるか、それとも別のことをするか」ってね。

──日本と同様、イタリアでも地震や台風、洪水など多くの自然災害が起こっています。

残念なことに、そういった自然災害が発生してしまっている。問題は、我々イタリア人はこういう災害に対して準備ができていないということだ。災害は何の前触れもなく起こってしまう。これまで経験したことがないような被害に遭ってしまった。ただ、幸いなことに我々は強い精神を持っている。あのようなことが起こってしまったが、我々は立ち上がっていくよ。嘆くことなく、以前の自分たちの姿を取り戻せるように動いている。

──あなたがアマトリーチェを訪問したと聞いて、とても心を打たれました(編集部注:バッジョは2016年に大地震に見舞われたアマトリーチェを昨年2月に訪問した)。

ありがとう。あれはほんの一瞬だけ考え、そして決断したんだ。その前から訪れようと考えていて、私の誕生日が来て……。

──50歳の誕生日でした。

そう50歳の誕生日。訪問しようと考えて家族、妻や子どもたちに相談したんだ。全員が被災者を訪れることをとても喜んでくれたよ。結果的にはとてもシンプルな選択だった。

──被災者の方たちも勇気づけられたに違いありません。

素晴らしい経験になったよ。ただ、訪問が公になることは望んでいなかった。誰もがやることだと思えたからね。報道されることには意味がないと思ったよ。実際のところ、あの訪問はすべてを失ってしまった人々を支えるための手段だった。とにかく、濃密な2日間だったよ。私と妻と3人の子どもたちとキャンピングカーの中で宿泊してね。揺れも感じたけど、特別な状況を肌で感じることができたのはとても重要だった。多くの人たちが、もはや日常的にあのような生活をしていることは残念だ。君たち日本人は地震に対して心の準備ができているけど、我々イタリア人はまだこういったことに備えができていないんだ。

──あなたの友人でもある三浦知良選手はまだ現役でプレーしています。

知っているよ。実は昨日、一緒に夕食を食べたんだ。彼の妻と子ども、それから友人たちと一緒にね。再び会えてとてもうれしかった。私と同い年、51歳でね。彼を称えたよ。本当に信じられないようなフィジカルを持っている。彼には「サッカーを続けろ! 君は幸運に恵まれているのだから」と伝えたよ。自分もこの年齢までプレーできれば良かったんだけど、ひざに問題を抱えているからね。彼に会えて本当に良かった。

──日本にはあなたのファンが大勢います。最後にメッセージをお願いできますか?

たくさんのファンが私を追いかけてくれているね。彼らには感謝しているよ。昨日も多くのファンが空港に来てくれた。彼らに多くの喜び、多くの幸せがあることを願っている。皆さんに強い抱擁を送ります。チャオ!

インタビュー=佐藤徳和 写真=野口岳彦
取材協力=株式会社ディーエムアール

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