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【欧州の新潮流】テクノロジーは経験を超える…若手指揮官が示す監督の未来

2017.05.08

ホッフェンハイムの躍進を演出するナーゲルスマン監督 [写真]=Getty Images

 弱冠29歳のユリアン・ナーゲルスマン監督が、ブンデスリーガ1部わずか9年目のホッフェンハイムで大旋風を巻き起こしている。

 昨年2月、残留争いの真っ只中にいたホッフェンハイムは「残留請負人」としての経験を買われていた当時62歳のフーブ・ステフェンス監督が心臓の病気のために退任、引退を発表した。降格に現実味が増す中、ドイツの大手ソフトウェア企業『SAP』の創設者でクラブの経営にも携わるディットマール・ホップ氏が大博打に出た。

 白羽の矢を立てたのは当時U-19チームを率いていた27歳のナーゲルスマンだったのだ。翌シーズンからの指揮官就任が決定していたものの、トップチームではマルクス・ギズドル(現ハンブルガーSV監督)体制時代にアシスタントコーチとして関わったことがあるだけ。そんな若手指揮官を、残留争いという経験がものをいう状況で引き継がせるのは大きな賭けだ。

 ホップ氏はのちに「現実的には2部に落ちるなら落ちるで良い。彼がチームに慣れて再び昇格してくれるプランを持っていた」と明かしていたが、そんな強い覚悟とともに下した決断は大当たりだった。昨シーズンに大逆転で残留を果たすと、今シーズンは前半戦を無敗で折り返す快進撃を見せ、すでに4位以内が確定。来シーズンはクラブ史上初となるプレーオフ以上からのチャンピオンズリーグ出場も決まった。

ホッフェンハイム

今季リーグ開幕から第18節まで無敗キープ。第27節では王者バイエルンも撃破した [写真]=Bongarts/Getty Images

 しかし、ナーゲルスマンの指揮官としての力量は確かなものだとしても、ここまで成功をもたらした要因はなんだろうか? その1つに他の監督やクラブが使いこなせなかった「テクノロジーの活用」が挙げられる。

 近年のホッフェンハイムの飛躍は、ホップ氏が創設したSAP社のテクノロジーが間違いなく貢献してきた。同社は試合やデータの分析システムをはじめ、ドルトムントが導入して話題となったパス精度を高めるトレーニングマシン「フットボナウト」や、180度の巨大スクリーンを使い、高速で動いたバーチャルの選手たちを見極め、周辺視野や認知、短期記憶を鍛える「ヘリックス」などの開発をしてきたことで有名だ。ドイツのスポーツ番組でも取り上げられ、開発責任者のラファエル・ホフナー氏は「競争に有利になるように開発を進めているのに、ここで新しく開発しているものを明かすわけにはいきませんね」といたずらっぽく答えていた。

「フットボナウト」(左)と「ヘリックス」(右)[写真]=Bongarts/Getty Images

 だが、SAP社は例えばバイエルンやシティ・グループなどのクラブとも業務提携し、同じようシステムやプログラムを商品化、提供している。つまり、条件としてはホッフェンハイムとそれほど差がないはずなのである。

 そこで問題となるのは、テクノロジーを「十分に使う気があるかどうか」、そして「十分に使いこなせるか」という点にある。テクノロジーがあっても、それを実用化するアイディアがなければ、そしてそれを使って成功してみせるまでは誰もその存在には気づかない。例えば、18世紀の後半にイングランドで産業革命が起こるまで、一般的には誰も蒸気機関の活用の仕方を知らなかったのだ。その仕組み自体はすでに16世紀には発見されていたにもかかわらずである。

 ホッフェンハイムにはSAP社のテクノロジー自体はずっと前からあった。しかし、それを使いこなせる人間、さらなるイノベーションを起こそうとする野心のある人間が現ライプツィヒのラルフ・ラングニック氏以降、誰も現れなかったのだ。「サッカー界ではなく、ビジネスの世界では彼のような若い才能に出くわすことがよくある」と評価するナーゲルスマン監督とともにホップ氏がゼロからチームの立て直しを図ろうとしたのも、「テクノロジーの活用」という点で不満があったに違いない。

ラングニック

現ライプツィヒSDの“プロフェッサー”ことラングニック氏。2008年にホッフェンハイムを1部昇格に導いた [写真]=Getty Images

 ホッフェンハイムにはイノベーション部門と呼ばれる部署があり、コーチングスタッフやドクターたちと新たなテクノロジーを開発するために定期的にミーティングを開いている。2010年から下部組織でコーチや指揮官などを務めてきたナーゲルスマン監督は、育成年代の選手たちとSAP社が作る試作品を使いながらトレーニングをしてきた。そこで結果を出し続け、テクノロジー活用の術を肌で身につけたに違いない。

 さらにナーゲルスマン監督は現役選手と同年代で、デジタル機器やアプリのような最先端の端末を使うことに全く抵抗がない。実際に選手がスマートフォンのアプリでトレーニングの負荷、痛みや違和感などをその都度入力し、チームドクターたちとデータを共有することで、ケガの予防が出来ているという。昨シーズンの後半はほとんど長期離脱者が出ていないというデータが出ている。GKたちにはスマホのアプリで反射を鍛えるトレーニングをさせており、その姿はゲームをしている人々と何ら変わらない。古い体質の指導者なら、「こんなものはトレーニングじゃない!」と言うところだろう。今シーズンには練習中にドローンを飛ばすという奇抜なアイディアで話題となったが、それもどれだけ実際に役に立つのかというデータを集めるためのものだった。

 テクノロジーが実践でどのように使えるかを理解できる現場の人間がいることで、イノベーションが起きる可能性はますます大きくなる。それをトップチームで経験が少ないナーゲルスマン監督が、ホッフェンハイムの快進撃という形で証明している。現代のSAP社の製品化されたプログラムは彼とともに発展し続けてきたと言っても過言ではない。「遅かれ早かれ彼に監督を任せるつもりでいた」とホップ氏も太鼓判を押すほどだ。ここから考えると、「4億ユーロ(約496億円)」という移籍金の設定も妥当なものだろう。それだけSAP社のビジネスチャンスが左右されるのだから。

ホップ

ホッフェンハイムへの最大出資者で実質的なオーナーのホップ氏(右)[写真]=Bongarts/Getty Images

 ナーゲルスマン監督自身は、未来を見据えて「身体に関しては限界がある。今後発展していく可能性があるのは認知・判断の領域だ」と断言する。確かに、ジョゼ・モウリーニョ監督(現マンチェスター・U)の成功以降、戦術的ピリオダイゼーションが有名になったことで、メンタル(精神的なものや心理的なものだけではなく、集中力や認知・判断などの「意識」に関することも指す)を軸に負荷を調節することが一般的になってきた。

 物理的な意味での「フィジカル」には耐えられる負荷に限界がある。これからは「まだ知られていない脳の部分を開発していくことで、認知や判断の速度と精度が高まり、サッカーはますます速くなるだろう」と予想するナーゲルスマン監督は、これからもテクノロジーを最大限活用してサッカーの未来を切り開いていくことだろう。

 今後ますますデータ化され、デジタル化していくであろうサッカー界ではもはや「経験」はさまざまな評価基準のひとつに過ぎなくなってしまった。これからは、年齢や性別を問わず、飽くなき探究心に駆られ、新しいテクノロジーを貪欲に取り入れようとする監督が生き残っていくはずだ。

文=鈴木達朗

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