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「ガナーズの英雄になれたら最高だ」。ガブリエウ・マルティネッリが語る未来【雑誌SKアーカイブ】

[写真]=Getty Images

[サッカーキング No.012(2020年4・5月合併号)掲載]

“Talent of the Century”。ブラジル4部から来た彼が
あの名将からそんな言葉を引き出すなんて、誰が想像できただろう。
若手の抜擢をお家芸とするアーセナルにおいても、
ガブリエウ・マルティネッリほどのサプライズは、そうない。

インタビュー・文=カイオ・カリエリ
翻訳=田島 大
写真=ゲッティ イメージズ

 我々は今、1990年代のリバイバルを目の当たりにしているようだ。レトロなデザインのユニフォームが流行し、幸か不幸かバケットハットまで再び市民権を得ようとしている。あとは『オアシス』の再結成を待つのみだ。

 ガブリエウ・マルティネッリが生まれたのは、アーセン・ヴェンゲルがアーセナルにやってきてから5年が経った2001年のことだ。それでも、今シーズンの彼ほどファンを興奮させる選手は、2000年代の黄金期以降では思いつかない。18歳のアタッカーは、祖国ブラジルのイトゥアーノからロンドンにやってきてまだ8カ月だというのに、果敢なプレーと巧みな足技で確固たる地位を築いている。

 ミケル・アルテタ新監督の信頼を勝ち取るのにも、さして時間を要さなかった。アーセナルで10代の選手がシーズン2ケタ得点を記録するのは、ニコラ・アネルカ以来のことだ。敵将からも一目を置かれ、ユルゲン・クロップには「今世紀を代表する才能」とまで言わしめた。

 実は、昨夏に600万ポンド(約8億4000万円)でアーセナルに引き抜かれるまで、トップチームではリーグ戦に出場したことすらなかった。ブラジル4部リーグに在籍するサンパウロ州のイトゥアーノでは、カップ戦とユース大会に出場しただけだ。それでも、ヨーロッパ屈指の名門から声がかかった。

 フットサル少年だったマルティネッリは、16歳のときにイトゥアーノでプロデビューを果たした。17歳で初ゴールを挙げると、翌年には大西洋を渡ってイングランドへと活躍の場を移した。そして今、偉大な先人たちの足跡をたどっている。実は大先輩の一人であるイアン・ライトとは連絡を取り合う仲だという。

 そんなマルティネッリは、慌ただしい海外挑戦1年目だというのに驚くほど落ち着いている。ピッチ上では大胆なプレーで生意気にさえ見えるが、ひとたびピッチを出れば別人のようだ。高慢さも、図々しさも感じられない。若くして注目を集めたにもかかわらず、浮かれた様子は一切ない。ましてや、「ミスター不機嫌」という不名誉なニックネームをつけられる心配もなさそうだ――先輩アネルカとは違って。

ヨーロッパでのプレーをずっと夢見ていた

1月のチェルシー戦では、自陣から“独走カウンター”を発動して同点ゴールを挙げた [写真]=Getty Images


――子供の頃の憧れの選手は?
ずっとクリスティアーノ・ロナウドを追いかけてきた。彼は向上心の塊だし、常にタイトルを目指している。だからこそあの位置までたどりつけたんだと思う。年齢やキャリアに関係なく、すべての選手が彼のハングリーさを見習うべきだと思う。小さい頃、父と一緒にテレビでチャンピオンズリーグを見ていると、そこには必ずロナウドがいて違いを生み出していた。右足、左足、頭……どこでもゴールを決めて、最高峰の舞台で活躍して、常に勝利をつかんでいたんだ。

――ロナウドは体づくりに余念がないけど、君はどうかな?
専属の栄養士が献立を組んでくれるので、できる限り従うようにしているよ。僕もフットボール界の最高峰を目指しているから、これから専属のフィジオを雇おうと思っている。ただ……無性にバニラアイスが食べたくなることがあるんだ! 普段は我慢するけど、チートデイ(一時的に食事制限をやめる日)には少し食べちゃうんだよね(笑)。

――イトゥアーノでは今世紀のクラブ最年少記録となる16歳でデビューしたよね。どんな気分だった?
イトゥアーノは素晴らしいクラブだから、若くしてデビューできたのは本当に誇らしかった。選手として成長するためのすべてを提供してくれたクラブだからね。当時の会長だったジュニーニョ(パウリスタ)が思い切りプレーするよう促してくれたから、僕は自分のプレーに専念することができたんだ。

――昔からヨーロッパでプレーすることを夢見ていた?
そうだね。子供の頃から、父にヨーロッパのフットボールのスピードと、それに耐えうる力強さの魅力を教えられてきたから。そうやって父からいろんな話を聞いて、僕もテレビで見るようになって、日に日にヨーロッパのフットボールへの憧れが膨らんでいったんだ。

――何度もお父さんの話が出てくるね。
父(ジョアン)と母(エリザベテ)は僕にとって最も大切な存在だからね。父は工具製作の仕事をしていて忙しかったから、子供の頃は母が練習に連れていってくれた。両親なくして今の僕はありえないよ。

――マンチェスター・ユナイテッドのトライアルに参加したことがあるんだよね?
イトゥアーノがマンチェスター・Uと提携していたから、僕は4年間、毎年のようにユナイテッドの下部組織の練習に参加させてもらった。そこで初めてイングランドのフットボールに触れたんだ。マルアン・フェライニやパトリス・エヴラ、ポール・ポグバといった選手にも会えた。一緒に写真を撮ってもらったよ。

――なぜユナイテッドに入らなかったの?
オファーがなかったからだよ。だから僕はイトゥアーノに戻って、また練習に励むことになったんだ。

――バルセロナのトライアルにも参加したんだよね?
2018年11月にバルセロナのラ・マシアに寝泊まりして2週間ほど練習に参加した。そのときは代表ウィークだったから、トップチームの選手には会えなかった。残念ながら、(リオネル)メッシもいなかったね! ヨーロッパのフットボールは何もかもが新鮮だった。ビッグクラブの練習施設の豪華さには驚かされるよ。ジムの規模も、ピッチの数も。

オーバに初めて会ったときは「ヤベー!」って思った(笑)

アーセナル加入後、最初に顔を合わせた選手はオーバメヤンだった [写真]=Getty Images


――アーセナル入りが決まった経緯は?
昨年、イトゥアーノでサンパウロ州のカップ戦に出場して、活躍できたことがきっかけだね。そのときは僕がプレーに集中できるように、代理人がオファーの存在を隠していたんだ。それから交渉が進展していって、代理人が僕に2つの選択肢があることを教えてくれた。僕は迷わずアーセナルを選んだよ。ヨーロッパ最高峰のクラブに入りたかったし、熱心に誘ってくれたからね。

――アーセナル移籍が決まったとき、イトゥアーノのジュニーニョ会長(当時)とはどんな話をしたの?
会長は、僕のプレースタイルがヨーロッパのフットボールに適していると言ってくれた。そして、どれだけ結果を残しても浮かれず、地に足をつけろと言った。それから「いつでも電話をしてこい」と言ってくれたんだ。本当に感謝しているよ。クラブの会長なのに、誰に対しても謙虚だった。多忙なはずなのに、可能な限り時間を見つけて練習を見にきてくれるんだ。試合の内容や結果によって褒められたり、怒られたりしていたけどね(笑)。彼は偉大な選手だったし、一流のチームでプレーしてきたから、僕ら選手の扱いを心得ているんだ。

――アーセナルと契約する前に、テクニカル・ディレクターのエドゥとは話した?
交渉が大筋合意に至ったあとにね。昨年のコパ・アメリカの前に、僕はブラジル代表の練習に呼ばれたんだけど、そこで彼と話したよ(エドゥは2019年7月にブラジル代表のスタッフを辞め、アーセナルのTDに就任した)。彼はまだアーセナルのフロントに入ることが決まっていなかったけど、「歴史あるクラブだから頑張れ」と言ってくれた。それから「何かのときのために」と電話番号を教えてくれたんだ。今はアーセナルで一緒にいて、いつも前向きなアドバイスで自信を与えてくれるよ。

――アーセナルに加入した日の印象は?
練習場に到着したのはランチタイムで、そのときは(ピエール・エメリク)オーバメヤンしかいなかった。「ヤベー!」と思ったよ。彼の隣に座ることになったんだから! 緊張したね。でもオーバはスペイン語が話せるから、「どこ出身なの?」って話しかけてくれたんだ。うれしかったよ。彼にとってみれば僕なんて見ず知らずのガキなのに、親切にしてくれた。そして「頑張れ!」って言ってくれたんだ。その後、ジムでプレシーズンのメディカルチェックがあって、すべての選手がそろった。(メスト)エジル、(アレクサンドル)ラカゼット、オーバ。僕はまだ一言も英語が話せなかったから、心の中で「マジかよ」ってつぶやいていたよ(笑)。僕が手本にしているのはラカ(ラカゼット)だ。どんなボールでもトラップしちゃうからね。プレーを間近で見ながら盗もうと努力している。彼はいつも「元気か?」ってポルトガル語で挨拶してくれるんだ。

――ブラジル4部からプレミアリーグのスター選手へと駆け上がった気分はどう?
ちょっと待ってよ。そんなふうに言わないでよ。人柄とクラブの規模は関係ないからね。僕自身はイトゥアーノの頃と何も変わっていない。ここまで来ることができたのは、神様と家族のおかげだ。そして、ここからはさらに努力が必要になる。父が口酸っぱく言うように、高みに到達すること以上に、それを維持することのほうが難しいんだから。

――ロンドンでの生活はどう?
両親が一緒に来てくれたから、新しい生活にもうまくなじめている。僕は車の運転をしないから、練習場には両親に連れていってもらっている。こうして違う国で新しい文化を知ることは大切だと思う。僕も一人の人間として成長できていると思うよ。あとは英語を上達させたいね。今はクラブハウスで週に3回ほど英語のレッスンを受けているんだ。

――イングランドに来て大変だったことは?
やっぱり寒さには苦労しているね。僕がいたイトゥーという街は温暖だから。ロンドンでは、朝起きてカーテンを開けると霜で庭が真っ白なんだ……。食に関しては一緒に暮らしている母がブラジル料理を作ってくれるから安心だ。母が作るパルミジャーナ(ブラジルの肉料理)は最高だよ。英国のフィッシュ・アンド・チップスもおいしいけど、母の料理にはかなわないね!

ガナーズの英雄になれたら最高だね

その活躍ぶりに他クラブの“獲得リスト入り”もうわさされたが、7月3日にアーセナルとの新契約を結んだ [写真]=Getty Images


――開幕戦となった昨年8月のニューカッスル戦でデビューできたのは驚きだった?
(ウナイ)エメリ監督があんなに早くにチャンスをくれるとは思っていなかった。アーセナルには試合のメンバーを選手に伝えるアプリがあるんだけど、そこに自分の名前が載っていたときには目を疑ったよ。ヨーロッパのビッグクラブでプレーする夢がかなうと思ったら、いても立ってもいられなくなった。すぐに両親に伝えたよ。

――すでにリヴァプールやチェルシーを相手にゴールを奪っているね。
努力のおかげだ。もちろん僕だけの努力じゃない。家族や、温かく歓迎してくれたチーム全員のおかげでもある。正直、ここまで早くにリヴァプール戦やチェルシー戦でゴールを奪えるとは思っていなかった。この気持ちを言葉で説明するのはちょっと難しいよ。

――クロップ監督から「今世紀を代表する才能」と言われた感想は?
彼は世界最高の監督の一人だから、うれしいに決まっているよ。素敵なコメントをありがとう、と言いたいね。

――アーセナルでスタメン出場した最初の4試合でゴールを決めたのはイアン・ライト以来の快挙だ。ブラジルにいる頃から彼のことは知っていた?
ゴールした試合のあとに初めて知ったんだ。でも今は話すこともあるし、インスタグラムでメッセージを送り合う仲でもある。とても良くしてくれて、感謝しているよ。僕がいいプレーをしたら必ず褒めてくれんだ。自信になるね。

――シーズン途中に就任したアルテタ監督からはどんなことを言われた?
監督はすごいよ。選手たちの動きに細心の注意を払っているし、僕が上達できるように背中を押してくれる。攻撃面だけでなく守備面も含めてね。戦術に明るい監督だから本当に心強い。僕ら選手がピッチ上で何をすべきかを明確にしてくれるんだ。例えば「ボールがこっちに行ったら、ここにいないで向こうに動いて、体をあっちに向ける」とかね。詳細を突き詰める、っていう感じだ。

――君はU-23ブラジル代表でもプレーしたけど、父親のルーツであるイタリア代表としてもプレーする権利があるよね。アズーリから誘いはあった?
今僕が最優先すべきはアーセナルだ。このクラブで長く活躍したい。もちろんブラジルのA代表でもプレーしたいよ。U-23では素敵な時間を過ごせたから。イタリア代表という選択肢もあるけど、今のところ何も決めていないよ。

――コパ・アメリカ前にブラジル代表の練習に参加したときはどんな感じだった?
フェルナンジーニョやリチャーリソン、アランと話す機会が多かったけど、みんな低姿勢で素敵な人たちだった。テレビでしか見たことがなかった選手たちと一緒にプレーして、一緒に食卓を囲む。言葉では表せないような気分だったよ。

――東京オリンピックも狙っている?
(U-23ブラジル代表の)アンドレ・ジャルディン監督が呼んでくれるなら喜んで出場するよ。実は今年1月の南米予選のときにも声をかけてくれたんだ。僕自身は参加したかったけど、アーセナルが認めてくれなかったんだよ。

――2020年代のうちにアーセナルでかなえたい目標は?
チャンピオンズリーグを制すること。それから国内のタイトルをたくさん獲得してアーセナルのファンを笑顔にしたい。サポーターはもちろん、クラブスタッフ全員のためにタイトルを取りたいんだ。僕を温かく迎え入れてくれた人たちだから、その恩返しがしたい。ガナーズの英雄になれたら最高だね。

※この記事はサッカーキング No.012(2020年4・5月合併号)に掲載された記事を再編集したものです。

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