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【アジア最前線:香港 #2】最古クラブの歴史はリヴァプールやチェルシーよりも長い

2020.10.16

[写真]=Getty Images

1試合の平均観客数は10年前より減少

 旺角モンコック大球場のスタンドをまばらに埋めたファンが、なんでもない場面でキックミスをした選手を嘲笑する。攻撃的な広東語が、ボールを追う者たちに向けて吐き捨てられる。観衆の多くは何かを食べたり、周りと談笑したりしていて、目の前の試合に集中している人はあまりいない。

 ピッチは外から見てもほとんど手入れされていないことが分かるくらい、でこぼこの雑草のような芝生だ。環境も良くなければ、選手の技能も高くはない。だから自ずとエラーが増え、そのたびに観客は選手を野次る。

 これは10年前の香港1部リーグ(香港プレミアリーグの前身)の光景だ。当時、僕は『UEFA.com』の仕事で、「香る港」という素敵な響きを持つ街に赴任していた。当地の1部リーグを取材する機会も何度かあった。だが現場は冒頭のように、いかにもフットボール的な盛り上がりに欠け、試合に期待するものをほとんど何も得られなかったので、取材を繰り返す気にはならなかった。

 あれから時は流れたが、おそらく状況はそこまで変わっていないと想像する。本稿執筆時で、2019-20シーズンの香港プレミアリーグの1試合平均観客数は595人。10年前のシーズン平均770人を下回っている。

香港リーグの最盛期は1970年代

 現在はそんな風に長く停滞してしまっているが、以前はアジア最高のリーグと謳われていた時代があった。

 フットボール発祥地、大英帝国の植民地だった香港には、当然ながらこの競技が伝わるのも早かった。当地最古のクラブ、香港フットボールクラブ(現在は2部リーグに所属)が創設されたのは1886年――なんと本国のリヴァプール(創立1892年)やチェルシー(同1905年)よりも長い歴史を持っているのだ。

 最初の公式トーナメントとなった香港フットボールカップは1895年に始まったリーグカップで、翌1896年から香港チャレンジシールドと名称を変えて、現在も続いている。1908年には香港フットボールリーグが始まり、1914年に香港フットボール協会が設立された。

 そして1970年代に、香港リーグは最盛期を迎える。1970年に香港レンジャーズがアジアのクラブとして初めて外国籍選手を迎えると――名称が示す通りグラスゴー出身のスコットランド人が作ったクラブに同胞が雇われたわけだ――ライバルクラブも後を追うようになった。その結果、リーグのスタンダードが飛躍的に上がっていった。

 顔ぶれも、実に豪華だ。限定的ではあったものの、マンチェスター・Uのビッグスター、ジョージ・ベストが晩年に香港レンジャーズでプレーし、1966 FIFAワールドカップ イングランドを主将として制したボビー・ムーアは現役引退後にイースタンで指揮を執っている。

 この二人のレジェンドは香港では成功と縁がなかったけれど、元スコットランド代表ウィリー・ヘンダーソンのように、着実に実績を残した外国籍選手もいる。彼ら著名な外国籍選手や監督により、エキサイティングなフットボールが展開されるようになり、この頃のスタジアムには毎週末、優に2万5000人を超えるファンが集まっていたという。リーグのレベルの向上は香港代表の強化にもつながり、1985年にはW杯予選で中国を敵地で下し、歴史的な白星を手にしているほどだ。

 ところが翌年から香港フットボール協会が下した決断によって、地元のプロフットボールは一気に衰退してしまう。まず1986年に各クラブの外国籍選手登録人数を5人から4人に減らすと、翌年には外国籍選手を撤廃。理由は地元選手の育成と、クラブ間の格差を是正するためだったという。しかしリーグの水準が急降下し、観客も一気に減少。また1990年代から当地でイングランド・プレミアリーグの放映が始まったことも、香港リーグにとっては向かい風に。1989年に外国籍選手への門戸を再び開いたものの、かつての活況は今も戻っていない。

文=井川洋一

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