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ファンのためだけにプレーしていた…リヴァプールの英雄ジェラードが現役時代を回顧【雑誌WSKアーカイブ】

2020.05.26

リヴァプールに多くのタイトルをもたらしたジェラード。16年に引退し、現在はレンジャーズの監督を務めている[写真]=Getty Images

[ワールドサッカーキング No.335(2018年11月号)掲載]

生まれ育った街のクラブで活躍し、栄光を手に入れる──。
世界中から有力選手が集まる欧州の主要リーグで、
それは実現困難な“夢のストーリー”になってきている。
だからこそ、誰もがスティーヴン・ジェラードを称賛するのだろう。

インタビュー・文=ベン・ウェルチ
翻訳=影山 佑
写真=ゲッティ イメージズ

 スティーヴン・ジェラードは水を一口飲み、グラスを慎重にテーブルの隅に置いた。そして、はにかんだような笑みを浮かべた。“ジェラード・ファイナル”について聞いた時のことだ。

 2006年のFAカップ決勝、リヴァプールがウェストハムを破った試合は、それから10年以上が経過した今も、ジェラードの名前とともにファンの記憶に刻まれている。当の本人はどんな気分なのだろう?

「そう言われるのはうれしいよ。だけど……」。少し考えてから、彼は口を開く。「あのタイトルはチーム全員で手にしたものだ。“ジェラード・ファイナル”なんて言い方は、チームメートに失礼だと思っている」

 確かにそうかもしれない。しかし、おそらくそのチームメートたちでさえ、ジェラード抜きでFAカップのトロフィーを勝ち取れたとは思っていないだろう。ミレニアム・スタジアムで行われた決勝戦、リヴァプールは2-3とリードを許したまま、アディショナルタイムを迎えていた。ウェストハムのベンチにいた選手やスタッフが、タイトルを祝うためにピッチへと駆け出す準備をしていた、その目の前で、ジェラードはレーザー光線のような35メートルのロングシュートを決めたのだった。

 これでスコアは3-3となり、PK戦までもつれた試合は、リヴァプールが逆転で制した。ジェラードはこの試合で1アシストと2ゴールを記録し(つまり、リヴァプールの3ゴールすべてに絡んだ)、PK戦でもネットを揺らしている。

 これだけではない。リヴァプールのファンなら、彼が決めた素晴らしいゴールをいくらでも挙げることができるだろう。04-05シーズン、チャンピオンズリーグのオリンピアコス戦で決めたミドル。ミランを下したCL決勝のヘディングシュート。07-08シーズンのマルセイユ戦、あるいは08-09シーズンのアトレティコ・マドリード戦でも、貴重なゴールでチームを救ってきた。

 大舞台でここまで劇的な活躍を見せられる選手は少ない。さらに、それを子供の頃から応援してきた「心のクラブ」で実現した選手などほとんどいない。リヴァプール近郊、ハイトンのアイアンサイドで生まれ育った選手が、“ローカルヒーロー”(地元の英雄)になる──。ジェラードがリヴァプールのシンボルとして神格化されたのも、ある意味では当然のことだった。

06年のFAカップを制覇。ジェラードは試合終了間際に劇的な同点ゴールを決めた[写真]=Getty Images

8歳で目覚めたリヴァプールへの愛

「トッテナム、ノリッジ、レアル・マドリード、バルセロナ……いろんなチームのグッズを持っていた。マンチェスター・ユナイテッドのグッズもたくさんあったよ」と彼は明かしてくれた。「実は8歳の頃まで、特に応援しているチームはなかったんだ」

 8歳の時、ジェラードはリヴァプールの入団テストに合格し、アカデミーの一員となった。リヴァプールへの愛情に目覚めたのはこの時だ。

「親戚の中にはエヴァートンのファンもいたけど、僕はこのスポーツを理解するにつれて、リヴァプールこそ自分のチームだと思うようになった。父はいつもクラブの歴史について話してくれたよ。1970年代から、このクラブが獲得したあらゆるタイトルについてね。そんな偉大な歴史の一部になりたかった」

 ジェラードが在籍していたアカデミーの責任者は、その“偉大な歴史”を作ったレジェンドの一人、スティーヴ・ハイウェイだった。ハイウェイは当時のジェラードを次のように振り返っている。

「U-18のチームでスペイン遠征に行くことになって、私はジェラードを遠征メンバーに加えたんだ。彼はまだ13歳か14歳だった。U-18のチームに4つも年下の子を抜擢したのは、後にも先にもあの時しかないね」

 ジェラードの素晴らしい才能に他のクラブが気づいて興味を示す前に、ハイウェイは防御策を講じていた。彼に「アンフィールド」というプレゼントを用意したのだ。ジェラードは言う。

リヴァプールのアカデミーに参加してすぐ、ハイウェイがホームゲームのチケットを用意してくれるようになった。アンフィールドで試合を見るのは本当に刺激的だったよ。独特のノイズと雰囲気に圧倒された。僕の夢がかなったような感じだった」

17年1月から18年5月まで、ジェラードはリヴァプールのアカデミーコーチとして後進の育成に力を注ぎ、恩師であるハイウェイとも再会した[写真]=Getty Images


 14歳の時には、トップチームの練習に参加する機会を与えられた。アンフィールドで見ていた、憧れの選手たちと一緒にボールを蹴った時のことを、彼は今も覚えている。

「僕は本物のスターと一緒に練習した。振り返ればすごい経験をしたよね。もちろんうれしかったけど、同時に震えそうなほど緊張したことも覚えている。ヒーローたちに囲まれているのは不思議な気分だった」

 アカデミー時代のジェラードは、その後もたびたびトップチームに帯同を許された。当時のチームにはロビー・ファウラーやスティーヴ・マクマナマン、ジェイミー・キャラガーといった“スカウス”(リヴァプールの方言)を話す若手選手がいて、同じ訛りを持つジェラードは仲間として好意的に迎えられたという。ただし、ジェラードが最も影響を受けた人物に挙げたのは、イングランド南部出身の2人の選手だ。

「ポール・インスとジェイミー・レドナップは本物のプロだった。僕は2人をいつも見ていたよ。どんな練習をして、どんな食事をして、どんな服を着ているのか。彼らに何度サインをしてもらったことか……。僕が今でもサインの頼みを断らないのは、彼らから教わったことなんだ」

最悪のデビューから始まったキャリア

 ジェラードは高い評価を受けていたが、トップチームでのデビューはひどいものだった。1998年、ホームでのブラックバーン戦。監督のジェラール・ウリエは2-0とリードして迎えた試合終了間際、18歳のジェラードをピッチに送り込む。しかし、緊張した彼の動きはぎこちなく、1本だけ上げたクロスはゴールラインのはるか後方、センテナリー・スタンドに届く始末だった。

 スタメンデビューとなったトッテナム戦はさらにひどかった。対面したダヴィド・ジノラは、この若者を簡単に手玉に取った。ジェラードが焦ってミスするたびに、ロンドンのサポーターは容赦ないブーイングを浴びせた。プレミアリーグの洗礼だ。

「自分がチームの一員だと感じられないことが何度もあったね」と、ジェラードは当時を振り返る。「練習や試合でミスするたびに、自分はリヴァプールのレベルに達していないと思わされた。でも、他のプレーヤーから学ぶことは怠らなかったつもりだ」

 ジェラードが「リヴァプールの選手になれた」と感じたのは、翌シーズンのシェフィールド・ウェンズデー戦で初ゴールを記録した時だ。彼はやがてレギュラーポジションをつかみ、チームに不可欠な選手になった。シーズン終了後には19歳という若さでユーロ2000に臨むイングランド代表にも招集された。

 デビューからの17年間で、彼がリヴァプールにもたらした功績はもう説明不要だろう。UEFAカップ、FAカップのタイトルを手に入れ、2003年にはサミ・ヒーピアからキャプテンを引き継ぎ、CLのトロフィーも掲げた。イングランド代表でもキャプテンを務め、積み上げたキャップ数は114に上る。もっとも、最後までプレミアリーグのタイトルだけは届かなかったが……。

99-00シーズン、プロ2年目に初ゴールを記録。リーグ戦は29試合に出場し、主力の一人へと成長を遂げた[写真]=Getty Images

今でも熱狂的なファンの一人

 彼のキャリアで最も特別な経験は、04-05シーズンのCL決勝、いわゆる“イスタンブールの夜”だろう。リヴァプールはミランに0-3とリードされてハーフタイムを迎えた。誰もが勝利を諦めたかのように思われたが、後半9分、ジェラードのヘディングシュートがチームを蘇らせる。キャプテンの気迫に導かれ、リヴァプールはすぐに2点を追加して同点に持ち込み、最後はPK戦で勝利を収めた。フットボール史に残る最大の逆転劇の一つを、ジェラードはこう振り返る。

「イスタンブールの夜は、僕がリヴァプールで体験した最高の試合だった。地元出身のプレーヤーは他の選手よりもファンに期待される。あの日、僕はやっと自分の責任を果たせたような気がしたよ。本当にホッとしたんだ」

 子供の頃に憧れたチームでプレーする──。それはボールを蹴る少年なら、誰もが思い描く夢のストーリーだ。ジェラードは自分がチームの象徴となってからも、その気持ちを失うことはなかったという。

「基本的には、僕は今でも熱狂的なファンの一人だ。だから、選手時代は必要以上にプレッシャーを感じていたかもしれないね。自分がピッチに立つことよりも、チームが勝つことが最も重要だと感じていた。ひどいプレーをした時は怒りを感じたよ。ファンを悲しませてしまった自分に腹が立って仕方なかった(笑)」

 彼はスタンドのファンと感情をリンクさせ、ファンの思いを背負ってピッチに立っていた。だから、大舞台で奇跡的なゴールを決めることができたのだ──そう主張するのは言いすぎかもしれないが、少なくともその情熱的な姿勢が、彼をファンにとって特別な存在にしたことは間違いない。リヴァプールを愛する人々にとって、ジェラードは真のヒーローだったのだ。

「やっと自分の責任を果たせたような気がした」と振り返った04-05シーズンの欧州制覇。地元出身のキャプテンが、計り知れない重圧に打ち勝ち手にした栄冠となった[写真]=Getty Images


 グローバル化が進んだプレミアリーグは、世界中のスタープレーヤーが集まるビッグリーグとなり、ジェラードのような‟ローカルヒーロー”は減少する一方だ。アカデミーで育ち、クラブの象徴としてプレーするのはトッテナムのハリー・ケインくらいしかいない。“ローカルヒーロー”はこのまま絶滅する運命なのだろうか?

 ユルゲン・クロップ監督はそう考えていないようだ。彼が就任して以来、22歳以下の選手を13人もトップチームにデビューさせてきたのは、偶然ではないだろう。クロップは“ローカルヒーロー”の重要性をよく分かっている。ファンから特別なサポートを受け、試合に情熱を加えてくれるプレーヤーが、チームにとってどれほどプラスに働くかを理解している。今年の夏には、歴史あるメルウッドのトレーニング場を離れ、カークビーに新しい拠点を立ち上げるプランを発表した。このプロジェクトには、アカデミーとトップチームを一つにまとめ、ユースから才能ある選手を積極的に引き上げる目的があるという。

 ジェラードがリヴァプールのユニフォームを脱いでから3年が経った。そろそろ、リヴァプールにも新しいシンボルが必要だろう。例えば、1998年(ジェラードがトップデビューを飾った年だ)に生まれた新鋭トレント・アレクサンダー・アーノルドがこのまま成長していき、数年後にはグラスゴー・レンジャーズで十分な監督経験を積んだジェラードが指揮官として帰ってくれば──。そんなストーリーを願っているファンはきっと大勢いるに違いない。“ローカルヒーロー”はファンにとっての夢だ。ジェラードは現役時代のインタビューで、こう言ったことがある。「僕はファンのためだけにプレーしている。僕にとっては彼らがすべてなんだ」

 そう、シンプルなことだ。ファンを最も愛する選手が、ファンから最も愛される。リヴァプールが生んだ伝説のバンド、ビートルズが最後に作った曲、『ジ・エンド』で歌っているように。

「人は与えた愛の大きさと、同じ分だけの愛を手に入れる」

※この記事はワールドサッカーキング No.335(2018年11月号)に掲載された記事を再編集したものです。

By サッカーキング編集部

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