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【選手ストーリー】マルコ・ロイスとドルトムントの終わらない物語

2017.02.09

僕の未来はBVBとともにある―。そんな言葉とともに、マルコ・ロイスドルトムントとの契約を2019年まで延長した。“エヒテ・リーベ”(真実の愛)で結ばれるロイスとドルトムントの物語は、まだまだ終わりそうにない。

文=志原 卓 Text by Taku SHIHARA
写真=ゲッティ イメージズ Photo by Getty Images

[ワールドサッカーキング3月号「BORUSSIA DORTMUND プライドと狂気のフットボール」]

“真実の愛”を体現する男


 2016年11月23日、すべてのドルトムントサポーターが待ちわびていた瞬間がやってきた。負傷で戦列を離れていたマルコ・ロイスが、185日ぶりにジグナル・イドゥナ・パルクのピッチに帰ってきたのだ。チャンピオンズリーグのグループステージ第5節、レギア・ワルシャワ戦、ワントップの位置でスタメンに名を連ねた彼は、その喜びを謳歌するかのように前線を駆け巡り、躍動した。すでにGS突破を決めていたチームにとって消化試合のような位置づけではあったが、1試合のゴール数が大会史上最多を記録(8-4)したことに加え、ロイスが5ゴールに絡んで高らかに復活を宣言したこともあり、翌日の新聞紙上は大いに賑わった。そのわずか数日後、“ロイス劇場”は再びホームのピッチ上で繰り広げられた。ブンデスリーガ第13節のボルシアMG戦でスタメン入りしたロイスは、自身初となる1試合3アシストを記録。ドリブルで単身ボックス内に切り込み、迎え撃つ相手DFをヒールキックで手玉に取ったピエール・エメリク・オーバメヤンへのラストパスなど、意外性に富んだプレーの数々で観衆の視線を釘づけにした。

 これらの試合が改めて証明したように、ロイスは豊かな創造性と卓越したスキルを備え、中央でもサイドでも持ち味を発揮できる万能タレントだ。1980年代のミヒャエル・ルンメニゲ、1990年代のアンドレアス・メラー、2000年代のトマーシュ・ロシツキー……。ドルトムントの中盤には、いつの時代も才気溢れるテクニシャンが君臨していたが、ロイスのスピードとゴール前での切れ味は歴戦の勇士たちの中でも傑出している。そして、これだけの高い個人能力を持ちながら、彼は利他的な精神を持ち合わせてもいる。復帰初戦のレギア戦でゲームキャプテンを任されたことが、その証だ。

 しかし、ロイスがドルトムントのファンを虜にしているのは、その実力やプレースタイルだけによるものではない。ドルトムントのサポーターがそうしてきたように、彼自身もまた、幾度となくこのクラブに深い愛情を注いできた。彼は、ドルトムントのモットーである「エヒテ・リーベ」(真実の愛)の体現者に他ならない。

ロイスは、2015年2月にドルトムントとの契約を2019年6月30日まで延長した


新天地を選ぶ者と愛を貫く者


 ロイスは1989年に地元ドルトムントで生まれ、1995年からユースチームで10年を過ごした。プロサッカー選手の父を持つサラブレッドとして期待されたが、2006年夏、「線が細い」ことを理由に3部のロート・ヴァイス・アーレンに放出されることとなる。ロイスにとっては“失格”の烙印を押されたに等しい移籍だ。それでも10代にして多くの実戦経験を積むことができた点は幸運だった。本人も後に、「正しい回り道だった」と述懐している。その後、ロイスは2009年に1部の強豪ボルシアMGへとステップアップを遂げ、11-12シーズンにはリーグ戦18ゴールを挙げるなど才能を開花させた。そんな彼のもとに2通のラブレターが届いたのは、2011年の暮れのこと。送り主は、バイエルンとドルトムントだった。

 ロイスがその時、移籍先としてドルトムントを選んだことは、一つのエポックメイキングな事件として語り継がれている。当時のドルトムントは活力に満ちた若者たちに導かれ、リーグ連覇に向けて邁進中だった。

「このクラブにはとんでもないポテンシャルがある。気心の知れた同世代の仲間と一緒に成長したいと思ったんだ」

 ロイスは移籍の理由をそう語ったが、次代のドイツサッカー界を担う逸材が国内一のタイトルホルダーからの誘いを断ったことは決して小さくない衝撃を与えた。

 結果として、ロイスのドルトムント移籍は“FCハリウッド”の危機感を煽り、彼らの有無を言わさぬ大型補強と、3冠達成という大きなリバウンドを引き起こした。それでもなお、バイエルンは攻勢の手を緩めない。2013年には世界屈指の名将ジョゼップ・グアルディオラを招へい、ドルトムントのかつての英雄マティアス・ザマーをスポーツディレクターに迎え、ドルトムント生え抜きのスターであるマリオ・ゲッツェまでも引き抜いた。強さを追い求めるだけならば、タイトルを文字どおり“総なめ”にしたチームをわざわざ刷新する必要はなかったはずだ。バイエルンには、傷つけられたブランドイメージを再構築する必要があったのだ。

 一過性の勢いでバイエルンの対抗馬となり得たクラブは、ドルトムント以外にも存在した。しかし、両クラブが明確なライバルと認識され、両者の対戦が、「デア・クラシカー」(伝統の一戦)と呼ばれるようになったのはこの頃からだ。その発端がロイスの移籍にあった、と言えば大げさかもしれない。しかしそれ以降、バイエルンは露骨なまでに、ドルトムントから主力を引き抜いていった。2014年にはトップスコアラーのロベルト・レヴァンドフスキが、2016年には主将のマッツ・フンメルスが「シュヴァルツゲルプ」(黒と黄)の誇りを捨て、赤いユニフォームを纏うことを決断している。

約半年ぶりの公式戦となったCLレギア戦でいきなり2ゴール2アシストを記録

2010年代のチームを象徴する存在に


 2012年夏にドルトムントに加入したロイスは、1シーズン目からリーグ戦32試合に出場し、14ゴールを挙げる出色のパフォーマンスを見せた。翌13-14シーズン、ゲッツェの移籍に伴って左ウイングからトップ下にポジションを移すと、公式戦44試合に出場して23ゴールを記録。加えてリーグトップとなる14アシストをマークし、名実ともにクラブの“顔”になっていった。左足首の靭帯損傷によってブラジル・ワールドカップ出場こそ逃したものの、ロイスには数多のビッグクラブから関心が寄せられていた。中でも“ロイス獲り”に執心していたのは、他でもないバイエルンだ。14-15シーズン、ドルトムントはロイスの負傷欠場などもあり、前半戦を17位で折り返す極度の不振に陥っていた。このまま下位に低迷するならば、彼自身が切望するメジャータイトル獲得はおろか、まさかの2部降格もあり得た。ロイスが弱体化していくクラブを見限ったとしても、致し方ない状況だった。

 ロイスが再びクラブ愛を示したのは、その矢先のことだった。2015年2月にドルトムントとの契約を2019年6月30日まで延長。新たに結んだ契約条項には、「クラブが2部に降格した場合も有効である」との記載まであるという。幸いにして、ロイスの英断によってクラブは息を吹き返し、最終的にはリーグ戦を7位で終えてヨーロッパリーグ出場権の獲得にこぎ着けた。「マルコはリヴァプールにおけるスティーヴン・ジェラードのように、ドルトムントの一時代を体現している選手なんだ」。ドルトムントのCEO、ハンス・ヨアヒム・ヴァツケは、残留を決めたロイスへの称賛を惜しまなかった。

2010年代のドルトムントを象徴する選手へ ワールドサッカーキング2017年3月号「BORUSSIA DORTMUND プライドと狂気のフットボール」では、“真のフランチャイズプレーヤー”としてクラブともに歩むロイスをさらにフォーカスします!

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