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相手が誰であっても怖いと思ったことがない…自信に満ちたファン・ダイクの言葉【雑誌SKアーカイブ】

2020.04.09

[サッカーキング No.002(2019年5月号)掲載]

昨年1月、当時DFとして世界最高額でマージーサイドに渡った彼は、
リヴァプールとトロフィーの間にあったわずかな隙間を埋めたのかもしれない。
リヴァプールの未来は明るい。誰もがそう考えているのは、
フィルジル・ファン・ダイクという光がそこにあるからだ。

インタビュー・文=アンドリュー・マリー
翻訳=寺沢 薫
写真=ジョン・イーノック、ゲッティ イメージズ

 フィルジル・ファン・ダイクは、人生で初めて恐れを抱いた。病院のベッドに横たわる193センチのたくましい体からはチューブが垂れ下がり、ほぼ一定のペースでひどい痛みが襲ってきた。

 フローニンゲンで将来を期待されていた20歳のセンターバックは、1週間ほど体調を崩していた。本人は「ちょっと熱が出ただけだろう」と思っていたが、そうではなかった。ファン・ダイクは虫垂炎を悪化させ、腹膜炎と腎臓感染症に苦しむことになった。2012年4月1日に病院に運ばれた彼は、すぐさま緊急手術を受けなければならなかった。

「あの日のことは鮮明に覚えている」。それから7年が経ち、彼はリヴァプールの広大なトレーニング場でそう言った。こちらを真っすぐ見ながら。

「エイプリルフールだったからって嘘をつくつもりはない。本当に怖かったんだ。死ぬかもしれないと思った」

 今では誰もがプレミアリーグのタイトルレースについて聞く。「最高にエキサイティングなシーズンだけど、マンチェスター・シティから王座を奪えると思う?」、「プレッシャーはどのくらい感じている?」。だが、ファン・ダイクがプレッシャーを感じる以前に、もう一度ボールを蹴ることができるのか、呼吸ができるのかさえ分からないという不安に苛まれていたことは誰も知らない。

 その恐怖に比べれば、フットボールのプレッシャーなど大したことはない。PFA(イングランドフットボール選手協会)年間最優秀選手に選ばれそうなこと、リヴァプールが29年ぶりのリーグ制覇に近づいていること、世界最高のセンターバックと評されていること。ファン・ダイクにとって、それらの事実は何の重圧にもならない。

写真撮影時は力強く、自信にあふれた視線をカメラに向けて応じてくれた[写真]=Getty Images

トロフィーはハードワークを続けてきた証

 ある木曜日、リヴァプールの中心部から数マイル東のウェストダービーは静寂に包まれていた。リヴァプールがトレーニング場を構えるメルウッドとはそういう場所だ。ユルゲン・クロップ監督は笑顔を見せながら建物へと入り、キャプテンのジョーダン・ヘンダーソンは広々としたプレスルームの横で立ち止まってスタッフに声を掛ける。GKのアリソンが別のインタビューを行うために隣の部屋へ入り、外を見るとアレックス・オックスレイド・チェンバレンがミネラルウォーターのボトルを車に運び込もうとしていた。

 ファン・ダイクがやってきたのはその後だ。取材陣に軽く挨拶して、ナッツが砕けるくらいの強い力でこちらの手を握る。黒いフーディにデニムジャケットを羽織っただけのシンプルな格好だが、背が高いから絵になる。部屋に入るときは少し屈まなければいけなかったほどだ。

「この取材を楽しみにしていたよ。さあ、始めようか」

 27歳のオランダ人はリラックスした様子でそう言った。シティと優勝争いをしている緊迫感などまるでない。

「タイトルレースに関するメディアのリアクションはちょっとまともじゃないね。大事なのは、今シーズン、僕らがまだ1試合しか負けていないということだ。でも、まだまだタフなゲームはたくさん残っている。チャンピオンになるためには常に最大限のパフォーマンスをしなきゃいけない。シティやトッテナムも素晴らしいプレーを見せているからね。僕らはシーズンが始まった頃と同じように、ポジティブな状態を保ち続けなければならない」

 現在のリヴァプールで、欧州5大リーグでの優勝経験を持つ選手はジェイムズ・ミルナー(マンチェスター・C時代)、ファビーニョ(モナコ時代)、ジェルダン・シャキリ(バイエルン時代)の3人だけだ。では、セルティックで2度のスコットランドリーグ制覇を達成したファン・ダイクの経験は、どれほど生きるのだろうか?

「セルティック時代とはちょっと状況が違うけど、リーグで優勝すると自分自身とチームをより誇りに思えるようになる。タイトルは、シーズンを通じて続けてきたハードワークの証だ。モチベーションが高まるし、プレミアリーグのタイトルを勝ち取れば歴史の1ページに名を残すことになる。それこそがフットボールをする理由だよ。選手なら誰だってレジェンドになりたいものだ」

 クロップのチームにあって強力な壁となっているファン・ダイクは、すでにその域に達しているという声もあるだろう。このDFは、リヴァプールに鉄のような強さをもたらした。2018年1月、DFとしては破格の7500万ポンド(約109億円)で彼を獲得するまで、リヴァプールは1試合平均1.2失点を許していた。しかし、彼がチームに加わった17-18シーズンの後半戦から数えると、失点は1試合平均「0.8」にまで減っている。今シーズンは前半戦の19試合でわずか7失点だった。

 彼がアンフィールドにもたらしたのは守備力の高さだけではない。「リーダーシップだ」。我々の質問を彼は強い言葉でさえぎった。

「“リーダーシップ”という言葉は、僕そのものを表している。僕のポジションはみんなをリードして模範を示さなきゃいけない。自分でもそうしたいと思っているし、おとなしくしていたことなんてない。気づいたことがあれば、必ず口を開いてそれを伝えている。バスケットボールのレブロン・ジェイムズ(ロサンゼルス・レイカーズ)や、アメフトのトム・ブレイディ(ニューイングランド・ペイトリオッツのクォーターバック)を見てほしい。彼らは生まれついてのリーダーであり、スポーツ界の“オールタイム・ベスト”だ。彼らは日々とてつもないプレッシャーにさらされているだろうけど、チームメートに達成すべきものを示し続け、より高い目標へと駆り立てている。僕は自分自身のベストを尽くすと同時に、周りの選手の力を引き出すための手助けをしているつもりだ」

 だからこそ、彼が今シーズンの初めにチーム投票でリヴァプールの第3キャプテンに選ばれたことに驚きはなかった。実際に、ヘンダーソンとミルナーが欠場した試合では腕章を巻いてプレーしている。

「キャプテンという責任ある役割も好きだよ。オランダのU-18チームでキャプテンをやっていてそう感じた。チームに何が起こっているかを常に察知して選手に語りかける。リヴァプールのようなビッグクラブに来て、1年足らずでキャプテンを任されたのはとても誇らしい瞬間だった」

「ピッチに入って最初の1秒目から彼は素晴らしかった」とクロップは言う。「だけど私は彼がサインするずっと前から、傑出した存在だと分かっていた。プレーのクオリティとリーダーシップの両方がある。それが彼を特別な選手にしているんだ」

ピッチを退くヘンダーソンからキャプテンマークを託されるファン・ダイク。「責任ある役割も好き」と語る[写真]=Getty Images

リヴァプールの背番号「4」は特別なもの

 ファン・ダイクと対戦したプレミアリーグのフロントマンたちは、彼こそがDFの枠を超えたベストプレーヤーだと思い知らされる。選手だけではない。シティのジョゼップ・グアルディオラもファン・ダイクを絶賛している。「彼は並外れた選手だ。時にはコストに合った働きができない選手がいるが、価値を証明する選手もいる。彼がケガなく3日おきに一貫したプレーができるなら、7500万ポンドを払うだけの価値がある」

「それが今のマーケットだ」と、ファン・ダイクはグアルディオラの言葉を認める。彼は決して「移籍金は関係ない。フットボールに集中するだけだ」、「移籍金がプレーに影響を与えることはない」などとは言わない。彼には、自分の価値を知る人間が持つ「自信」がある。

「クラブが選手を獲得するときは、相応の金額を支払わなければいけない。リヴァプールがそれほどの移籍金を僕のために支払ってくれたことを誇りに思う」

 彼は自身の価値を示し、そしてサポーターのお気に入り選手の一人になった。アンフィールドでは、ザ・ダブリナーズの『ダーティ・オールド・タウン』のチューンに乗せて、「He can pass the ball, calm as you like, he’s Virgil van Dijk, he’s Virgil van Dijk!」(あいつは好きなところにボールを出せる。あいつはフィルジル・ファン・ダイク!)というチャントが力強く鳴り響いている。

「クラブとサインして1年も経っていないのに自分の歌を聴けるなんてね。元の曲は聴いたことがなかったんだけど、今ではとても気に入っている。ファンが選手に与える力は偉大だ。特に、チャンピオンズリーグの夜のアンフィールドは信じがたい雰囲気になる。それが選手を刺激して、苦しい時間帯には大きな後押しになるんだ」

 リヴァプールに移籍して背番号を選ぶとき、あるレジェンドの存在が頭の中によぎったという。ヴィレムⅡのアカデミーで育ったファン・ダイクは、かつてサミ・ヒーピアが背負った4番のシャツを真っ先に手に取った。1999年に同じくヴィレムIIから260万ポンド(約4億円)で加入し、リヴァプールであらゆるトロフィー(リーグタイトルを除く)を獲得したフィンランドの名DFだ。

「空いている番号のリストの中に、4番があった。オランダではセンターバックがつける番号なんだ。ここでその番号をつけられるのは特別だ。サミがこのクラブで成し遂げたキャリアは素晴らしいものだったからね」

リヴァプールのレジェンドの一人、ヒーピア。公式戦464試合に出場し、CL制覇をはじめ多くのタイトル獲得に貢献した[写真]=Getty Images

マージーサイドへの道を開いた完璧な移籍

 ファン・ダイクの故郷ブレダは、「オランジブーン」という地ビールの産地として知られる静かな街だ。オランダ人の父とスリナム人の母の間に生まれた彼は、子供の頃からフットボーラーになることを夢見ていた。ストリートでも、コンクリートの上でも、ボールが蹴れるなら場所はどこでも良かった。やがてファン・ダイクはブレダのアマチュアクラブ「WDS’19」の一員として、地元のトーナメントに参加する。

「ピッチの横で他のチームの試合を見ていると、僕らの名前が呼ばれる。『10分前です。準備してください』ってね。楽しい時間の始まりだ。不安も緊張もなかった。今では、フットボールはプレッシャーと切っても切り離せないものになってしまったから、純粋に試合を楽しんでいた当時の自分を思い出すようにしている。クライフ・コート(子供や障がい者が安全にフットボールを楽しむための施設で、1997年にヨハン・クライフが創設した財団により世界中に開設されている)で開催されていた5対5の大会にも出ていたよ。勝ち残り方式で、もし負けたら何チームもいる列の後ろでまた長い順番待ちをさせられる。だからコートに残り続けるためにあらゆる手を使った(笑)」

 当時8歳にして勝者のメンタリティを示していたファン・ダイクは、地元のNACブレダのトライアルに参加する。

「今でも覚えているよ。練習場に行くと、コーチが選手に向かって狂ったように叫んでいるんだ。信じられなくてすぐに逃げ出した。その1週間後にはヴィレムⅡにトライアルを受けに行った。クラブがあるティルブルフはブレダから30分ほどの距離にあって、父が連れて行ってくれたんだけど、その道中で父が、このクラブがCLに出ることを教えてくれた。98-99シーズンに、リーグで2位になったからって。すぐに気に入って、結局はそこに10年間いることになった。雰囲気が良かったし、あそこでの時間はすべてが楽しかった」

 ファン・ダイクはすぐにDFとして頭角を現した。決してストライカーとして失敗し、少しずつ後ろのポジションに移ってきたわけでない。純粋に守備的センスを認められたのだ。「彼に太刀打ちできるストライカーはいなかった」とは、ユースチームのコーチだったヤン・ファン・ルーンの証言だ。

「彼は少年時代から屈強で、正しいタイミングで相手からボールを奪い取る才能を持っていた。守備の仕方を本能で分かっていたんだ。あまりにも簡単にプレーするから、真剣さが足りないと思う人もいた。いまだに言われているけどね」

 あえて言えば、それがファン・ダイクの弱点だった。例えるなら一般道を走るフェラーリのようなもので、アクセルを全開にしていないようにも見えた。彼が18歳になったとき、ヴィレムⅡは彼にプロ契約を提示するかどうかを迷っていた。

「リザーブチームやU-23に上がるタイミングで、クラブはプロ契約のオファーをくれなかった。彼らはギャンブルをしたくなかったんだろうけど、僕には受け入れられなかった」

 だから2010年、フローニンゲンからオファーを受けると、ファン・ダイクはほぼオランダを横切るような形で北東へ250キロの距離を旅して、U-23のユースチームに加入した。

「2011年5月にフローニンゲンでプロデビューしたときでさえ、怠けていると言ってくる人はいたよ。でも、それは僕がそういうタイプの人間だというだけで、それが僕のスタイルだ。背が高いから、ボールを持てばピッチ全体を見渡せる。だからゆったりとプレーしているように見えるのかもね。だけど実際は次に何が起こるのかを常に予測している。すごく忙しいんだよ」

 これこそが、彼が「サンダーバード」と呼ばれるゆえんかもしれない。彼は絶えず、周囲の人々の混乱を取り除く存在なのだ。「実はストーリーはよく知らないんだ」と彼は笑う。この年代の選手には、まずあの有名な人形劇を説明してあげなければいけないようだ。

「それが僕のキャラクターだと言うなら満足だよ。その期待に応えたいね」

19歳のときにフローニンゲンでプロデビュー。3シーズンプレーしたのち、セルティックへとステップアップした[写真]=Getty Images


 プロとしてのスタートはとても素晴らしいものだった。2011年5月、ADOデン・ハーグに4-2で勝利したゲームでデビューしたわずか数週間後、ファン・ダイクの名前はオランダのフットボール界に知れ渡った。フローニンゲンは同じデン・ハーグを相手に、翌シーズンのヨーロッパリーグ出場権を懸けたプレーオフに臨む。チームは1stレグで1-5の大敗を喫したが、2ndレグではファン・ダイクがセンターフォワードさながらの活躍を見せ、強烈な直接FKを含む2ゴールを決めて5-1で勝利。PK戦の末に敗れはしたが、鮮烈な印象を残した。そして、彼にとって初めてのフルシーズンとなった11-12シーズンは、本業のディフェンスでも輝いた。しかし、シーズンの終わりに転機が訪れる。2012年4月1日、2部降格の危機に立たされたフローニンゲンが地元の宿敵ヘーレンフェーンに1-3で敗れた翌日のことだった。

「実家を離れて暮らすのは初めてのことだったから、料理の仕方が分からなかった。ひどいものばかり食べていたんだろうね。その週は体調がかなり悪かった。そうしたら突然、虫垂が破裂した。ひどい痛みだったよ。病院に搬送されてすぐに手術を受けなければいけなかった」

 ひと呼吸置いて考えをまとめると、彼は笑いながらこう続ける。

「今となっては笑いごとだよ! 幸い、僕は回復した。健康な状態に戻ることができて本当に良かったよ。あれ以降、食事にもしっかりと気を使うようになったからね」

 ファン・ダイクはハードなリハビリをこなし、やせこけてしまった体はそれまで以上に強くなった。そして2013年の夏には、オランダのビッグ3から注目を集める存在になっていた。

「当時の僕の代理人は、彼らと話をしたはずだ。アヤックスとの契約を結ぶ可能性が一番高かったんだけど、いくつか確認したいことがあって少し待たされた。そんななかで、セルティックはシーズン前からアプローチし続けてくれた。じっと待つのは嫌だったからセルティックを選んだ。ヴィレムⅡからフローニンゲンに移籍したときと同じ状況だね。どちらも僕にとっては完璧な移籍だった」

 ファン・ダイクは260万ポンドでセルティックとサインしたあと、パークヘッドでの2シーズンで大きなインパクトを残した。「どうやったらコイツを抑えられるんだ?」。彼が最初のトレーニングセッションに参加したあと、ある選手はそう叫んだ。母国で十分な信頼を得られなかった彼の優雅なスタイルは、スコットランドでは禁忌だった。激しく血なまぐさいこの土地のフットボールを経験することで、ファン・ダイクが得たものは大きかった。

「プレーヤーとしても、人間としても、とても多くのことを学んだ。2年間で3つのトロフィーを獲得できたし、CLではバルセロナやミランと、ELではインテルと対戦できた。僕にとって素晴らしい経験だったし、成長の助けになった。セルティックとリヴァプールのどちらが『You’ll Never Walk Alone』をうまく歌うかって? 選べないな……。自分の子供の中から一人選べと言われているようなものだ」

 イングランドのクラブが彼を見逃すはずはない。当時サウサンプトンで指揮を執り、のちにオランダ代表でも彼のボスとなるロナルド・クーマンは、2015年にファン・ダイクを呼び寄せた。これが、マージーサイドへの道を開いたことになる。

「多くのことを学んだ」と語るセルティック時代。CLではミランやバルセロナと対戦し、得難い経験を積んだ[写真]=Getty Images

リヴァプールでトロフィーを掲げたい

 ファン・ダイクはリヴァプールをプレミアリーグ優勝へ導くという大仕事の真っ最中だが、第32節を終えた今、シティが1ポイント差で首位に立っている。この状況をどう感じている?

「確かに、もっと楽な状況だったら良かったかもしれない。でも、僕はプレッシャーを感じるのが好きだ。シティと大接戦という状況には興奮しているよ。他にもいいチームはいるし、残りのすべてのゲームに勝たなくてはいけないことは分かっている。でも、僕らはそれを楽しんで、受け入れて、立ち向かっていかなければならない」

 リヴァプールは、29年越しとなるトロフィーを獲得できるだろうか?

「もちろん、そうなれば本当に特別なことだ。それについて考えるのはまだ早いけど、夢のような経験になるだろう。僕がPFA年間最優秀選手賞の有力候補だって? それは知らなかったな。ただ、まずはこのクラブが29年間も遠ざかっていることを成し遂げられる可能性があるから、それに集中したい。その結果、僕やチームメートが個人賞を獲得することができたら、素晴らしいことだ。昨シーズン、モー(モハメド)・サラーが獲得したときのようにね」

 トロフィー、個人賞、そしてあらゆる称賛は、選手にとって名誉なことだ。だが、ファン・ダイクは2012年のエイプリルフールに、選手のキャリアがいかに不確かなものかを思い知っている。

「最も重要なのは、いつだって健康であること。他の何よりも、自分と自分の家族の幸せが人生のすべてだ。キャリアはいつ、どうやって終わるか分からない。その可能性を知っているからこそ、これから先もより成長していきたいし、ここで多くのタイトルを手に入れたいと思っている」

 インタビューを終えて写真撮影に移る。ファン・ダイクは腕を組み、力強い視線でカメラを睨みつける。まるでレンズの向こうに相手選手がいるように。その迫力にストライカーたちが怖気づくのも納得できる。

「相手が誰であっても、怖いと思ったことがないんだ」。彼は真っすぐに視線を向けたまま言った。

そう、プレッシャーなど、彼にあるはずがない。

※この記事はサッカーキング No.002(2019年5月号)に掲載された記事を再編集したものです。

By サッカーキング編集部

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