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フレンキー・デ・ヨング 必然の選択【雑誌SKアーカイブ】

2019年1月にバルセロナと契約したデ・ヨング [写真]=Getty Images

[サッカーキング No.003(2019年6月号)掲載]

アヤックスで急速に知名度を高めたフレンキー・デ・ヨングが次のステージに選んだのはバルセロナだった。注目の22歳が、カンプ・ノウ行きを決めた理由を語る。

インタビュー・文=アーサー・ルナール
翻訳=加藤富美
写真=ゲッティ イメージズ

 長年バルセロナの心臓を務めたシャビが、ある若い司令塔を絶賛した。

「フレンキー・デ・ヨングは素晴らしい選手だ。彼は簡単にボールを失わないし、バルサに向いている。バルサのDNAはアヤックスから受け継がれたものだから、当然かもしれないけど」

 私がデ・ヨングにインタビューをしたとき、彼のエールディヴィジでの出場数は40試合に満たなかった。しかし、そんなことはどうでもよかった。以前バルサでコーチを務め、アヤックスを率いた経験を持つヘンク・テン・カテも、シャビの後継者は彼しかいないと語ったことがある。

「シャビの記事は読んだことがあるよ」とデ・ヨングは笑った。「彼のような選手に褒められるのは本当にうれしい。子供の頃に憧れたMFは何人かいるけど、シャビはもちろんその中の一人だ」

 シャビからの高評価が獲得の理由になったとは考えにくい。けれど、デ・ヨングにとって励みとなる発言であることに間違いはない。

 バルサとの契約は2019年1月にまとまった。契約を結んでから数カ月が経ち、デ・ヨングはバルサ首脳陣の選択が誤っていなかったことを最高の形で示す。アヤックスはチャンピオンズリーグのラウンド16で前年度王者レアル・マドリードを合計スコア5-3で破り、デ・ヨングはフル出場で勝ち抜けに貢献した。彼はバルサを再び世界の頂点に立たせる救世主となるのだろうか?

 幼い頃、夏に家族とキャンプで訪れるカタルーニャ州のラスカーラはお気に入りの場所だった。

「キャンプ場は本当に楽しかったよ。フットボールのピッチが3面あって、夜になると宿泊客のトーナメントが開かれていた」

 ハイライトはカンプ・ノウへの小旅行だったという。「スタジアムツアーのことは今も忘れられない」と語る目はキラキラと輝き、表情にはまだ少年の面影が残っている。

「実際にピッチレベルから客席を見たときの感激といったら……。思わず歓声を上げてしまったよ。バルサの親善試合を見に行ったこともあった。あのロナウジーニョを生で見られるなんて、 思ってもみなかった!」

「ロナウジーニョ」と口にした声が少しうわずった。幼い日の残像は今も強烈に彼の心に刻まれているようだ。

 時間が経ってもバルサへの思いが消えることはなかった。2015年12月、彼はガールフレンドと短い冬の休暇をバルセロナで過ごしたという。そこで見たベティス戦で、バルサはリオネル・メッシとルイス・スアレスのゴールで4-0の勝利を挙げる。

「バルサにはいつも特別な思いがあった。いつかあのクラブでプレーできたら最高だろうなと考えていたよ」

「早く成長したいといつも考えていた」

8歳でヴィレムⅡの下部組織に入団。それから10年後の2015年5月10日にトップチームでデビューを飾った [写真]=VI Images via Getty Images

 デ・ヨングのキャリアはオランダの中堅クラブ、ヴィレムⅡで始まった。彼の才能は瞬く間に周囲の目を引きつけ、アヤックスとその宿敵PSVがそろって獲得に乗り出した。デ・ ヨングが最終的に選んだのはアヤックスだった。

「他のクラブよりもポジションを確保するのは難しいと考えていた。でも僕はまだ若かったし、クラブも僕への信頼を示してくれた。だからアヤックスに決めたんだ」

 欧州を4度制した名門クラブはデ・ヨングの獲得に労を惜しまなかった。彼がスポーツ・ディレクターのマルク・オーフェルマルスを訪ねたとき、思いがけない歓迎を受けたという。

「いきなりデニス・ベルカンプが現れたんだ! さすがに驚いたよ。フランク・デ・ブールとヤープ・スタムも部屋に入ってきて、まだヴィレムⅡで1試合しか出ていない僕なんかを待っていたと言うんだ。泣きそうになったよ。フランク・デ・ブールは、僕がU-19代表でプレーした試合を見てくれたみたいだ。『アヤックスに来るべき選手だと感じた』とまで言ってくれた」

 デ・ヨングの身長は181センチあるが、大柄とは言えない。16歳で背が伸び始めるまでは今よりずっと華奢な少年だった。そんな彼がピッチで競っていくためには、他の部分で埋め合わせるしかなかった。

「スピードやパワーのある選手に負けたくなかった。だからテクニックを磨くしかなかったんだ。フィジカルはあとから取り組んだよ」

 デ・ヨング少年はドリブルのスキルを磨き、さらに広い範囲にパスを配給する技術を身につけた。バルサとアヤックスが最も好感を持つタイプの選手だ。彼は謙虚にこう続ける。

「改善しなくてはいけないところがたくさんあるんだ。もっと安定した守備をしないといけない。ロングシュートの精度はまだまだだし、クロスもそうだ。相手のペナルティエリアに進入したあとの判断スピードも遅いと思っている。もっとスルーパスを出せるようにならないといけない。常に改善を続けることが必要だ。そうしないと、成長どころか後退するだけだから」

 順風満帆に見えるキャリアにも、逃げたくなるような時期はあった。デ・ヨングはヴィレムⅡで“神童”と呼ばれ、18歳でアヤックスと契約したものの、すぐに古巣へとレンタルバックされている。出戻りの若手選手に与えられた出場機会は多くなかった。当時のヴィレムⅡは大柄でフィジカルの強い選手をそろえていて、何よりも1部に残留することを優先した。

「自分のクオリティを疑ったことはない。あの頃のヴィレムⅡに適したプレーヤーではなかったという事実があるだけだ」

 シーズン途中でアムステルダムに戻った彼は、2部に所属するヨング・アヤックスでプレーして、16-17シーズンにトップチームへ昇格を果たす。

「序列はMFの9番手だったかな。すぐにレギュラーになれるなんて甘い気持ちは持っていなかった。時間がかかることは覚悟していたよ」

 予想は正しかった。その頃のアヤックスはヨーロッパリーグの決勝進出という快挙を成し遂げていた。中盤を構成していたのはキャプテンのデイヴィ・クラーセン、司令塔のハキム・ツィエク、そして経験豊富なラセ・シェーネだった。若手がレギュラー入りする余地はないに等しかった。ストックホルムで行われたEL決勝戦。アヤックスはマンチェスター・ユナイテッドに0-2で敗れる。82分に投入されたデ・ヨングは試合の流れを変えられなかった。彼はもどかしいような、苛立たしいような、言葉では表しようのない感覚に包まれていた。

「現実は分かっているつもりだった。アヤックスに不満を持っていたわけでもない。でも、若いときは物事がどんどん進んでほしいと願うものでしょ? もっと早く成長したいといつも考えていた」

バルセロナでプレーしたいという素直な気持ち

デ・ヨング

2018年9月のペルー戦でA代表デビュー。10月、11月に行われたUEFAネーションズリーグでは全4試合に先発出場した [写真]=Getty Images

 転機は17-18シーズンの初めに訪れる。それまでヨング・アヤックスを率いていたマルセル・カイザーがトップチームの指揮官に就任したのだ。ほどなく新監督はデ・ヨングをスタメンとして起用し始める。視野の広さとドリブルのスキルはオランダ国内だけでなく、国外からも評判を呼んだ。彼が高いレベルで攻撃を操る能力を持っていることは誰の目にも明らかだったし、カイザーがポジションを一列下げてからは、その能力が特に際立った。

 10番の位置でクリエイティブな資質を次々と披露していたデ・ヨングは、守備的MF(そして時にセンターバック)の役割を与えられ、その創造力をさらに開花させた。

 不運に見舞われたのは、キャリアがやっと軌道に乗ったかに見えた時期のことだった。2018年2月、デ・ヨングは練習中に足首に重傷を負ってしまう。皮肉なことに、その日はオランダ代表監督のロナルド・クーマンがデ・ヨン グの初招集に向けて見学に来ていた。

 デ・ヨングはやりきれない思いに押しつぶされそうになっていた。回復には想像以上の時間がかかり、結局残りのシーズンを棒に振ってしまった。

「もう完全には治らないんじゃないかと不安になった。手術が必要かもしれないと思ったし、そのためにスピードが失われるんじゃないかとも思った。僕はフットボールが大好きだ。だからプレーできない期間は本当につらかった。今までの人生で一番苦しい時期だった」

 それでも2018年夏の移籍市場で彼の名前が“最重要リスト” から消えることはなかった。先発を確約してきたクラブもあった。特にトッテナムの売り込みには心を動かされ たという。

「スパーズからのオファーは時間をかけて真剣に考えたよ。安定したクラブだし、実績もある。マウリシオ・ポチェッティーノ監督は若手を伸ばす指導者として有名だし、実際にチャンスも与えている。彼らが掲げるフットボールも好きだ。僕のプレーと相性がいいと思ったんだ」

 それなら、どうしてアムステルダムに残る決心をしたのだろう。

「正しいタイミングではなかった」と彼は言う。「アヤックスでまだ仕事らしい仕事をしていなかった。シーズンを通して先発したことすらなかったんだから。ケガをしていることも、『まだ早い』と考えた理由の一つだ。それで、次のシーズンもアヤックスでプレーすることに決めた」

 そうして迎えた18-19シーズンは開幕前から好調な仕上がりを見せた。前シーズンの“忘れ物”を取り戻すには十分すぎる復調ぶりだ。開幕からトップパフォーマンスを見せ、オランダ代表に初招集された。彼がピッチで結果を出せば出すほど、周囲は騒がしくなった。

「注目されるようになったのは、レギュラーの座をつかんでからかな。オランダ代表でプレーするようになってからは、外国でも取りざたされるようになったみたいだ。ホームでフランス代表に勝ってからはもっと記事が増えた(笑)。それまでも移籍に関する報道はあったけど、どんどんエスカレートしていった。アヤックスがCLでプレーすればするほど、騒ぎが大きくなっている」

 周囲の声に呼応するかのように、彼自身も大きな一歩を踏み出す時かもしれないと感じ始めていた。

「本当にたくさんのクラブから声をかけてもらった。アヤックスに提示された移籍金の額を聞いて、『本気か?』と思ったよ。もちろんうれしいことだけど、プレッシャーも感じた」

 彼はマンチェスター・シティ、パリ・サンジェルマン、そしてバルサを移籍先の候補に選んだ。「3つに絞ったところでますます不安な気持ちになった」と彼は言う。「僕のキャリアにとって、最も正しい道を選びたかった。来る日も来る日も考え続けたよ。『いったいどこにすればいいんだ?』って」

 自分で結論を出すことに限界を感じた彼は、代理人の手に委ねた。有力候補は常にバルサと見られていたが、2018年12月初旬にPSGが契約を勝ち取ったと報道された。PSGのスタッフがアムステルダムで目撃され、“ピンときた”メディアが誤報を流したのだった。デ・ヨングのガールフレンドですら、パリ行きを信じてしまったという。

「朝、目を覚ますと7500万ユーロ(約94億円)でパリに行くことにされていた。その日は練習が午後からだったから、少し遅く起きたんだ。ガールフレンドは出かけていた。そして彼女が帰宅すると、『ラジオで聞いたよ。パリに行くんでしょ?』と言うんだ。僕の知らないうちにクラブ間で話がまとまったのかもしれないと思った。パリは本当にいい選択肢だった。ポジションを獲得できる可能性も高かったと思う。ネイマールやキリアン・エムバペといった超一流の選手もいるし、トーマス・トゥヘルは素晴らしい監督だ。オランダからも近いしね」

 でも、どうしてもバルサのことが頭から離れなかった。子供の頃の思い出だけではない。アヤックスの黄金時代を築いたヨハン・クライフがたどったカンプ・ノウへの道を再現する選手になりたい。彼の感情を最も揺さぶったのはバルサだった。

「(ジョゼップ・マリア)バルトメウ会長やフロントと直接話したあとは、迷う必要がなかった。僕はずっとバルサでプレーしたかった。そして、バルサも僕を心から欲しがっている。将来への構想もしっかりしている。アヤックスに支払う準備のある金額を聞いて、彼らがどれだけ本気かも分かった[当初は7500万ユーロだったが、最終的に8600万ユーロ(約108億円)に増額された]。こんなチャンスは二度とやってこないと思った」

 しかし、世界最大で最高のクラブで結果を残すのは、そう簡単なことではない。自分の能力を一から証明する必要がある。

「もちろんだ。移籍金が多額だからといって自動的に先発の座が約束されるわけではない。でも、バルサが聞かせてくれた話はすべてが美しかった。家族も賛成してくれたよ。成功するためにはどんな努力だってする」

 メッシ、ウスマン・デンベレ、スアレスという強力な前線を操るポジションともなれば、“成功”の確率は高い。

 CLラウンド16でのパフォーマンスは、一つのアピールになっただろう。1stレグを1-2で落としたアヤックスが、敵地マドリードで勝ち抜ける可能性は低いと思われていた。チャンピオンズカップ時代から数えて64年に及ぶ歴史の中で、ホームでの1stレグを落としたあとに合計スコアで勝利を収めた番狂わせは6度しかない。しかも相手は、CL3連覇中のレアル・マドリードだ。

「ベルナベウでプレーするのは初めてだったけど、全く緊張はしなかった。それどころか、僕たちは自信を持って試合に臨んだよ。1stレグを終えて、行けるという気持ちになっていた。VARの判定(ゴールを取り消された)はアンラッキーだったけれど、内容は互角だった」

 自信は形となって表れた。デ・ヨングはバロンドール受賞者のルカ・モドリッチに仕事をさせなかった。アヤックスのファンにとっては時間が逆戻りしたような試合だっただろう。ピッチにいるのは、フランク・ライカールト、エドガー・ダーヴィッツ、パトリック・クライファートなのか? そんな錯覚に襲われるほどの見事なフットボールだった。いや、3年連続で欧州を制覇したクライフ時代のアヤックスを思い出した者がいたとしても不思議ではない。アヤックスはマドリードの観衆の前で王者をたたき潰した。

デ・ヨング

モドリッチとマッチアップするデ・ヨング [写真]=Getty Images

「とにかく夢中だった。後半のアディショナルタイムに入って、ようやくマタイス・デ・リフトと話したよ。彼は振り返ってこう叫んだ。『なんだかいけそうだな!』ってね。 笑ったよ。素晴らしい一瞬だった。今後スペインでプレーをするうえで、あの試合がいい影響を与えることは確かだ」

 試合を見たバルサのサポーターは結果だけではなく、夏から間近で見ることになるデ・ヨングのパフォーマンスに酔いしれていたに違いない。それはクラブのトップも同じだった。

「試合後にバルトメウ会長が祝福に来てくれたんだ。驚いたよ! 素晴らしい試合だったと絶賛してくれた。僕と同じくらいうれしそうだった」

 もっとも、その後アヤックスがトッテナムを破り、デ・ヨングが決勝でバルサと戦うような事態になれば、話は別だっただろう。

「そのシナリオは僕も考えたよ」。彼はソファに座り直すと、ニヤリと笑う。「バルサと対戦できたら素晴らしいことだけど、相手はどこであろうと関係ない。僕がアヤックスの選手である限り、アヤックスの勝利のために戦う。バルサを打ち負かすことにためらいはないよ」

※この記事はサッカーキング No.003(2019年6月号)に掲載された記事を再編集したものです。

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