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イングランドの育成を読み解く5つのキーワード【雑誌SKアーカイブ】

2020.03.19

[サッカーキング No.007(2019年11月号)掲載]

他の欧州諸国に遅れを取った。道のりは平坦ではなかった。しかし今、イングランドの育成はようやく実を結びつつある。5つのキーワードとともに、育成の“過去”と“未来”を読み解こう。

文=サイモン・ハート
翻訳=田島 大
写真=ゲッティ イメージズ

KEY WORD #01 『リリーズホール』

ジェイミー・キャラガー(写真左)やマイケル・オーウェン(写真右)ら数々の名選手が「スクール・オブ・エクセレンス」から輩出された[写真]=Getty Images

 イングランドの「若手育成の聖地」と呼ばれるはずだった場所は、なかなか辺鄙なところにある。

 シュロップシャー州の美しい自然に囲まれた……というよりも田舎風景と言ったほうが想像しやすいだろう。最後の並木通りに入ってからも、2キロほど進まないとたどり着かない。

 ロンドンから北西に約250キロ、リヴァプールやマンチェスターから南に100キロ。このリリーズホールと呼ばれる村こそ、1966年のワールドカップでイングランド代表が栄冠を手にする前に、サー・アルフ・ラムゼイ監督が2週間の合宿を行った場所だ。そして同時に、1984年にイングランド・サッカー協会(FA)が「スクール・オブ・エクセレンス」を開校した場所でもある。マイケル・オーウェン、アンディ・コール、ジョー・コール、ジャーメイン・デフォー、ジェイミー・キャラガー……15年の間に、数々の名選手がここから輩出された。

 のちにキャラガーは、リリーズホールでの教育について「若いプロ選手にとってパーフェクトな下積みだった」と自叙伝で語っている。14歳からの2年間をリリーズホールで過ごしたキャラガーは、リヴァプールに戻ると1997年1月にリーグカップでプロデビューを果たした。その日のリヴァプールは、先発11人のうち地元出身者がキャラガーを含めて5人。一方で外国人選手は2名だけだった。リヴァプール生まれのロイ・エヴァンスがチームを指揮していた懐かしい時代である。
 
 キャラガーがデビューした1997年は、偶然にもFAが『ACharter for Quality』というレポートを発表した年でもある。それがイングランドのアカデミーの基盤になるのだが、アカデミー制度が定着するまで、FAはリリーズホールに集められた少数精鋭こそフットボールの未来だと考えた。「優秀なコーチのもとで、選び抜かれた若い才能を、理想の環境で時間をかけて育てる」という方針こそが未来をつくる、と。
 
 選手の選考は、地元→地方→全国という段階のトライアルで行われた。選抜されてリリーズホールに送られたのは、毎年最大でも18名。その狭い門からは、スティーヴン・ジェラードやフランク・ランパードなど、のちのビッグネームが漏れることもしばしばあった。落選したジェラードは「リリーズホールなんてクソ食らえ」と自叙伝に綴っている。

 一方、実際にリリーズホールで過ごしたキャラガーの見解はこうだ。「まるで寄宿学校のようだったけど、本当に楽しかった。人生最良の時間だったと言えるかもしれない。普通の学校のように授業もあったが、毎日のように最高峰のコーチから指導を受けることができた。初めて代表チームに触れた感覚だった」

KEY WORD #02 『アカデミー制度』

2017年のU-17W杯を制したイングランド代表。スカッドにはフォーデンやハドソン・オドイ、スミス・ロウなど、今季のプレミアで名を聞く選手が並ぶ[写真]=Getty Images

 リリーズホール開校の10年後、イングランドは1994年W杯の出場権を逃し、自分探しの旅に出ることになる。行き着いたのは、アカデミー制度だった。以前から大半のクラブにユースチームは存在したが、ユースよりも学校が優先される状況だった。U-15、U-16代表チームは、イングランド・スクール・サッカー協会が取り仕切っていたくらいだ。

 かつてマンチェスター・シティでキャプテンマークを巻き、後に育成年代のコーチを務めたポール・パワーは、当時の育成制度の問題を指摘する。同氏は、1990年代にプロ選手協会の依頼でヨーロッパ諸国の育成方針を調査したことがある。

 「当時のイングランドでは14歳になるまでプロクラブに加入できなかったし、学校組織が優先されていた。だから多くの子供たちは学校のチームや地元のアマチュアクラブでプレーしていた。だが、マルコ・ファン・バステンに話を聞いて驚いた。オランダでは、みんな6歳くらいからプロクラブの下部組織でプレーしていると言うんだから」

 そして1997年、当時のFAのテクニカルダイレクターだったハワード・ウィルキンソンが前述の『A Charter forQuality』を発表し、早い段階からクラブの下部組織に在籍することが認められた。今ではイングランドでも7、8歳からクラブチームに通い始め、9歳で正式に所属が認められるようになっている。

 さらにFAは2012年、リリーズホールからおよそ50キロの場所に『セント・ジョージズ・パーク』という国立のフットボール・センターを開設した。ここはU-15以上の代表チームが集結する場所で、すべての年代でプレースタイルが統一される。さらに国内のコーチを招いて指導法をレクチャーする。これにより全年代の代表チームが一貫性を持った指導法で強化されるようになったのだ。こうした努力は、2017年のU-17、U-20代表のW杯制覇という結果に結びついた。

KEY WORD #03 『EPPP』

U-23チームによるリーグ戦、「Premier League 2」。若手選手が出場機会を確保できるほか、トップチーム所属選手のリハビリに使われるなど有意義な面はあるが、観客の姿はまばらだ[写真]=Getty Images

 
 もちろん、プレミアリーグでも育成制度の改革が進められた。2012年、プレミアリーグは「エリート・プレーヤー・プログラム・プラン」(EPPP)制度を導入した。目的は「より多くの、優秀な“ホームグロウン選手”を輩出する」ことだ。

 EPPPは、基本的に「基礎/U-9~11」、「ユース育成/U-12~16」、「プロ育成/U-17~23」の3つの年代グループに分けられている。その育成方針の柱は「ゲーム形式」、「教育」、「指導」、「エリートパフォーマンス」の4つ。「指導」の部分で導入されたものの一つが、育成年代のコーチを育てるプログラムだ。コーチを対象とした2年間にわたる実習によって、指導者の質を上げようと取り組んでいる。

 無論、批判の声も少なくない。それまでU-12選手が所属できるアカデミーは自宅から60分の距離と決められていた。U-13~16選手でも90分圏内だ。しかしEPPPにより、「カテゴリー1」(施設や環境が最も整ったレベル)に認められたクラブは、全国各地から若い才能をかき集めることが許されることになった。つまり、ビッグクラブが有利になったのだ。
さらに18歳未満の「移籍金」まで改定された。若い選手がフリーで移籍する際には「育成保証金」が発生するが、以前は合意に達しない場合は裁判で争われた。だがEPPPによって「育成保証金」の新たな基準が設けられ、ビッグクラブがより安価で選手を引き抜けるようになった。ハダースフィールド(イングランド2部)がU-16以下のアカデミーを廃止した理由もそこにある。クラブの会長を務めるディーン・ホイルは、「8~15歳の選手を育成する意味がない」と嘆く。「EPPPの制度では、他のクラブに少額の保証金で最高の逸材を奪われてしまう。全くもっておかしな話だ」

 そもそも「これでトップチームにまでたどり着けるのか?」と懐疑的な意見もある。EPPPは、すべての年代を合わせて「計10,000試合と212の大会」を用意しているという。これまでのリザーブリーグは廃止され、現在はU-23チームによるリーグ戦が行われているが、そのクオリティは決して高いとは言えない。
そのことは、ほかの誰でもなく、ガレス・サウスゲート代表監督が認めていることだ。昨年のW杯のあと、彼は育成について言及した。「U-23チームによるリーグが答えだとは思わない。結局のところ、選手は“観客の前で”、“負けられない試合”を戦わなければ意味がないんだ」

 イングランドでは、9歳のときにアカデミーに入団した子供のうち、実際に選手として食べていけるのは0.5パーセントにも満たないという。サウスゲート監督も「子供たちにアカデミー入団を推奨するということは、トップチームでプレーする“夢”を売っているのと同じだ。だから道徳上の責任がある」と力説する。筆者がプレミアリーグのクラブ関係者に話を聞いたところ、トップチームまで生き残る子供の多くが、あまり恵まれた環境に育っていない子だという。下部組織を生き抜くためには、それだけハングリー精神が必要だということだ。

KEY WORD #04 『ホームグロウン制度』

ブレグジット実現を契機にホームグロウン制度が改革されれば、ベジェリンなどの“国外生まれ他国代表のホームグロウン選手”は姿を消すかもしれない[写真]=Getty Images

 では、トップチームの自国選手を増やすにはどうすればよいのか? その答えの一つとして10-11シーズンに導入されたのが、「ホームグロウン制度」だ。これによりプレミアリーグのクラブは、登録25名のうちホームグロウン以外の選手(いわゆる外国人選手)は17名までと制限された。チームに最低でも8名は自国選手を入れなければならなくなった。プレミアリーグのリチャード・スクダモア(当時CEO)は「これで国外から丸ごと1チームを買うことはできない」と主張した。
だが、現在の「ホームグロウン」の定義には少し問題がある。例えばフランス代表でW杯を制したマンチェスター・ユナイテッドのMF……つまりポール・ポグバまで「ホームグロウン」とみなされるのだ。なぜならその定義が「21歳までにイングランドかウェールズのクラブに3年間登録した選手」となっているからだ。

 今シーズンのプレミアリーグでも、イギリス国外で生まれ育って他国の代表でプレーしながら「ホームグロウン」と認められる選手が15人いる。前述のポグバに加え、アーセナルのスペイン人サイドバック、エクトル・ベジェリン、チェルシーのデンマーク代表DFアンドレアス・クリステンセン、エヴァートンのアイスランド代表MFギルフィ・シグルズソンもそうだ。いずれも青田買いによって、16、17歳のときにイングランドに連れてこられた選手である。

KEY WORD #05 『ブレグジット』

 本当の意味での「ホームグロウン」を求める者もいる。それがFAだ。2015年、当時FAの会長だったグレッグ・ダイクは、外国人枠を「17」から「13」に減らし、ホームグロウンの定義である「21歳までの3年間」を「18歳までの3年間」に変更しようと奔走した。しかし各クラブの反対に遭い、実現はかなわなかった。しかしFAは今なお諦めておらず、サウスゲート監督の支持を得て改革に動いている。とりわけ「ブレグジッド」を契機にする算段だ。

 簡潔に説明すると、FAは英国でプレーするための労働ビザ取得の基準(代表戦の出場数など)の緩和を条件に、ホームグロウン選手枠の拡大をプレミアリーグに提案しているのだ。ブレグジッドが実現すれば、これまで簡単に獲得できたEU選手についても何らかの規制がかかる可能性がある。クラブにとってそれは死活問題であり、これまで以上に労働許可の基準が重要になる。FAとサウスゲート監督はそこに勝機を見出している。

 政府やフットボールリーグ(2部以下)も交えた話し合いがどんな決着を迎えるのかは見守るほかないが、考えてみると皮肉なものである。国を二分した「ブレグジット」問題が、団結力の欠かせない代表チームの後押しになるかもしれないのだから。

 今シーズンのプレミアリーグでは、いつになく「国産若手」の活躍が目立つ。だがそれは、決して何か1つの制度によってもたらされた変化ではない。2009年にUEFAが導入した「ファイナンシャル・フェアプレー」(FFP)も、目立つ違反を取り締まる程度だ。しかし、そういった一つひとつの制度が、少しずつ潮の流れを変えてきた。

 昨シーズン、プレミアリーグの“ビッグ6”が起用した選手のうち、イングランド人は19.9パーセントだった。それが今シーズンの開幕戦では37.7パーセントにまで増加した。これは11-12シーズン以降で最高の数字だ。最大の要因はFIFAから補強禁止処分を受けたチェルシーの国産化だろう。結局のところ、最も効力を発揮するのは制裁なのかもしれない。マンチェスター・シティもFFP違反などの処分を受ける可能性がある。『Daily Mail』紙によると、クラブスタッフの中には若手台頭のために補強禁止処分を望む声すらあるという。

 四半世紀前、キャラガーたちが通ったリリーズホールへ続く並木通りは長かった。だが、それ以上に長く、そして曲がりくねった「育成ロード」を経て、今日のプレミアリーグには「国産化」の流れが押し寄せている。

※この記事はサッカーキング No.007(2019年11月号)に掲載された記事を再編集したものです。

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