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【SKアーカイブス】クロップを名将にした、5つの“特別な能力”(2013年)

2019.05.26

2012-13シーズン、クロップはCLで決勝進出を果たし、欧州中の注目を集めていた

[ワールドサッカーキング No.255(2013年5月16日号)掲載]

 2011-12シーズン、ドルトムントはブンデスリーガ2連覇を果たし、2012-13シーズンはCL決勝にまで残った。この快進撃は、彼の存在を抜きにして語れない。

 崩壊寸前だったクラブをよみがえらせ、ピッチでは魅力的なフットボールを実現し、 欧州の頂点まで駆け上がろうとしている指揮官──。従来の常識では測れない名将、 ユルゲン・クロップが成功した理由を、5つのポイントから検証する。

文=シュテファン・ゾンターク
翻訳=影山佑

 

ドルトムントを“改革”した男

 2012年の終わり頃、ドイツのフットボール誌『キッカー』は2012年のマン・オブ・ザ・イヤーに彼を選んだ。

 191センチの巨体、猛獣がうなるような笑い声、伸ばし放題のあごひげ、トレードマークのベースボールキャップとジャージ姿、助走つきの派手なガッツポーズ……。そのどれもが、我々がイメージするフットボールの監督像からはかけ離れている。ユルゲン・クロップは風変わりな男だ。

 しかし単純なイメージにとらわれてはならない。2011-12シーズン、彼が率いるドルトムントはブンデスリーガ2連覇を達成し、DFBポカール(ドイツカップ)でも王者に輝いた。2012-13シーズンはリーグ戦でこそバイエルンの独走優勝を許したものの、チャンピオンズリーグでは快進撃を見せて決勝に進んだ。ドイツ国外のフットボールファンにはピンと来ないかもしれないが、これは本物の偉業だ。

 ドルトムントはビッグクラブではない。それどころか、2005年には放漫経営の末に破産の危機に陥り、プロリーグを追放される寸前だったのだ。その7年後、同じクラブがリーグを2連覇するとは、誰に想像できただろう? 熱狂的なことで有名なドルトムントのファンでさえ、今の状況を信じられない思いで眺めているのではないだろうか。

 2008年の就任以来、クロップはドルトムントのすべてを変えた。メンバーを変え、戦術を変え、トレーニング方法、補強戦略、アカデミーのプログラムまで変えた。その結果が今のチームだ。ドイツではそれまで、これほど大規模な改革を推し進めたクラブはなかった。崩壊寸前だったクラブがフットボールの最先端を行く集団に生まれ変わった、その「改革」において、最も重要な役割を果たしたのがクロップだった。

 なぜ、彼にはそれができたのか。ドイツで最も常識破りの監督の手腕を、5つの視点から読み解いてみよう。

2011-12シーズンはブンデスリーガとDFBポカールの2冠を達成。ツォルクSD(左)とヴァツケCEO(右)と協力体制を築き、クロップは破産寸前だったドルトムントをよみがえらせた

1.一流のリーダーが持つモチベーターの技術

 ユルゲン・ノルベルト・クロップは1967年6月16日、シュトゥットガルトの西側に広がる“黒い森”(シュヴァルツヴァルト=ドイツ南西部に広がる森林・山岳地帯)で生まれた。年の離れた2人の姉、シュテファニーとイゾルデに可愛がられた彼は、本人によれば「小さな王子様のように」愛されて育ったという。

 そのせいかどうかは定かでないが、クロップには「誰からも愛される」という不思議な才能がある。おそらく、それがクロップを特別な存在にしている最大の要因だ。ドイツの『シュテルン』誌は2012年、クロップがいかにクラブの人々に愛されているかをまとめた記事に、「モチベーションの技法」というタイトルを付けた。経営陣からアカデミーの選手まで、全員がファミリーのように団結し、共通の目標を目指す。あらゆるクラブにとって永遠のテーマと言えそうだが、ドルトムントではクロップがその中心として機能している。

 トレーニング場やロッカールームで、彼はどうやって選手たちを鼓舞しているのだろう? その言葉が報じられることはほとんどない。公共のメディアで流すことのできない、下品な言葉のオンパレードだからだ。痛烈な言葉と派手な動きでチームを盛り上げるパフォーマンスは、実を言えば現役時代からの得意技だった。

 ここで簡単にクロップのキャリアを振り返っておこう。故郷のローカルクラブ、グラッテンでキャリアをスタートさせた彼は、エルゲンツィンゲン、プフォルツハイムを経て、1987年にフランクフルトに移籍する。これが、最も1部リーグに近づいた時期だった。しかしフランクフルトではリザーブリーグでプレーしたのみで、結局は1990年、23歳のときに加入した2部リーグのマインツに腰を落ち着け、それから11シーズンで325試合に出場した。「要するに、2部リーグの平凡な選手だったってことだ」と彼は笑う。

 しかし、クロップには「平凡な選手」にはない能力があった。強烈なリーダーシップだ。2001年2月28日、2部リーグで残留争いをしていたマインツのクリスティアン・ハイデルSDは、当時の指揮官エックハルト・クラウツンの解任を決断する。後任に指名されたのは、まだ現役選手だったクロップだった。

「あれは直感だった。何の根拠もなかったが、ユルゲンならチームをまとめられると確信していた」

 自身もかつてマインツのプレーヤーだったハイデルは、4歳年下のチームメートに早くから指導者の資質を見いだしていた。その期待どおり、クロップはマインツを2部に残留させ、その4年後にはクラブ初の1部昇格を達成する。3部降格を心配していたチームは、献身的に走るアグレッシブな集団にしていた。のちにドルトムントを大成功に導く“魔法”は、早くもこのときに発揮されていたのだ。

 チームのモチベーションをどう高めるのか? 3つのポイントがある、とクロップは語っている。「まずは連帯感だ。集団に対する強い所属意識がなければ、選手はチームに貢献する意欲を失う。次に攻撃的なスタイル。フットボールでは攻撃こそが選手を動かすエネルギーになる。最後はチャレンジする精神。勝敗にこだわるのは悪いことじゃないが、それだけだと視野が狭くなり、新しいアイデアが生まれない」
マインツ時代、クロップは夏のキャンプで、選手全員をカヌーに乗せて激流下りに参加させたことがある。「全員で危機を乗り越える。それが団結力を生むんだ」と彼は言う。

クロップ就任によって力をつけたマインツは、2004年に念願の1部昇格を果たす。クラブ創立100年目にして初となる1部リーグ挑戦だった

2.クラブの印象を変えたロックスター的魅力

 クロップは生まれついてのパフォーマーだ。2006年、彼は監督業で有名になる前に、テレビのコメンテーターとして”ブレイク”した。ドイツのテレビ局『ZDF』でワールドカップの解説者を務めた彼は、明るい性格と魅力的な笑顔、分かりやすく軽妙な語り口によって、すぐに人気者になった。何しろ、あごひげを生やした熊のような大男が、くだけた調子で友達のように話すのだ。中立を大前提とするジャーナリストたちでさえ、彼のキャラクターに圧倒され、魅了されてしまう。これまでクロップについて書かれた記事は無数にあるが、彼を批判しているものを探すのは難しい。

「クロップは選手とファンからとことん愛されている。『人気がある』なんて表現ではとても足りない」。ドルトムント生まれのジャーナリスト、ウリ・ヘッセはそう言う。「開幕前のキャンプでは、ただのトレーニングに数千人のファンが集まった。クロップがピッチにコーンを置いて回るだけで拍手が起こるんだ」

 ドルトムントはもともと熱狂的なクラブだった。破産の危機に直面した2005年でさえ、ホームゲームの平均入場者数は7万人を超えていた。これはクロップにとって幸運なことだった。ピッチサイドを走り回って叫び声を上げたり、判定に怒鳴ってペットボトルを蹴飛ばしたり、ゴールに喜ぶあまり肉離れを起こすほどジャンプしたり……。こうしたパフォーマンスは、伝統や格式を重んじるクラブでは敬遠されたかもしれない。だが、ドルトムントでは誰からも喜ばれる。ときとして、クロップはバイエルンのような支配勢力に反抗するロックスターのようにも見える。

 実際、彼ほど形式や体制を逸脱した人物も珍しい。普段はチームのジャージ姿でどこへでも出かけ、ジャージを着ていないときはTシャツとジーンズ姿が基本だ(自分の結婚式でさえTシャツで出席した)。ピッチサイドに立つときも、他の監督たちのようにイタリア製の高級スーツではなく、ジャージの上にフードつきのスウェットを着込み、頭にはベースボールキャップをかぶる。もっとも、CLでは「暗黙の了解」と言うべき服装規定があるため、仕方なくスーツを着ているが……。2012-13シーズンのグループリーグでレアル・マドリードをホームに迎えたとき、ジョゼ・モウリーニョはいたずらっぽく笑いながらスーツ姿のクロップに声をかけた。「ミスター・クロップ。いつものジャージはどこへやったんだ?」

 今では、クラブ全体がクロップのイメージになったようだ。ウインターブレイクにスペインで行われた合宿では、クラブ関係者のほとんどがジャージで行動していた。このクラブを訪れる者は、誰もがリラックスしたムードで迎えられる。ここは誰もが言いたいことを言えるクラブ、新しいことにチャレンジできるクラブなのだ──そんな印象を抱かない者はいない。

2012-13シーズン、CLで対戦する前に笑顔を見せるクロップとモウリーニョ(右)。ドルトムントはレアルを破って快進撃をスタートさせた

3.戦術家としての実験的手法

 ドルトムントの成功を語るうえで、外せない戦術的キーワードがある。「ゲーゲンプレッシング」というカウンタープレスのアイデアだ。これはボールを失ったとき、そこからリトリートして陣形を立て直すのではなく、その場からプレスを掛けてボールを奪う方法で、バルセロナが得意としている。クロップはマインツ時代からこの戦術を試し、アシスタントコーチのペーター・クラヴィーツ、ジェリコ・ブヴァッチとともに改良を加えてきた。クラヴィーツはマインツ大学で映像分析を学び、戦術コーチとしてマインツ、ドルトムントとクロップを支えてきた人物。一方のブヴァッチはクロップの現役時代のチームメートで、今では指揮官の“頭脳”とも呼ばれている。

 クロップが戦術のアイデアを得たサンプルは、意外にもバルセロナだった。ただし、彼が注目したのはバルサの華麗な攻撃ではなく、守備だ。「誰もがバルサのようにプレーしたいと思うだろうが、実際は不可能だ。チャビ、(アンドレス)イニエスタ、(リオネル)メッシの3人がいなければ、あんなプレーはできない。だけど仮に3人がいなくても、バルサは完璧なプレスを掛けられる。それがレアルとの差だ」。クロップが理想とするスタイルは、「レアルの攻撃にバルサの守備をミックスさせる」という壮大なものだった。

 2012年の夏にドルトムントに加わったマルコ・ロイスは入団当初、ゲーゲンプレッシングの理論を徹底的にたたき込まれた。この戦術ではただ相手を追いかけるのではなく、ボールを失った地点のポジショニングに応じて、それぞれが適切なコースを判断しなければならない。そのために、ロイスはトレーニングでマリオ・ゲッツェやヤクブ・ブラシュチコフスキといったMFとともに4バックを組み、DFとしてプレーさせられたこともあった。

 その強烈なプレス戦術の効力は、2012年10月、CLでレアルを2-1と破った試合で明確になった。クロップはこの試合でポゼッションを放棄している。「レアルはポゼッションに問題を抱えていた。彼らがどこにパスを出し、クリスティアーノ・ロナウドをどう走らせるのかは分かっていた」と彼は言う。C・ロナウドにパスが渡るのを防ぐため、彼らはシャビ・アロンソを徹底的にマークした。「X・アロンソを自由にしたら、我々に勝つチャンスはない。だがX・アロンソではなくぺぺがパスの起点になるように仕向ければ、レアルは別のチームになる」

 この「アロンソ封じ」を忠実に実行したのが、FWのロベルト・レヴァンドフスキと、その後方に位置するゲッツェ、ロイス、ケヴィン・グロスクロイツというMFたちだった。彼らは献身的なプレスでX・アロンソにプレーするスペースを与えず、レアル攻撃陣の“頭脳”を麻痺させた。この試合に敗れたモウリーニョが語った言葉は印象的だ。「ドルトムントはダークホースではなく、ドイツ王者になった偉大なチームだ。偉大なチーム同士が戦えば、どちらが勝っても不思議はない。大げさに騒ぐ結果じゃない」

マインツ時代からクロップを支えるブヴァッチ(右)とクラヴィーツ(左)。チームの戦術的なアイデアはこの2人が担当している

4.選手を刺激する独自のトレーニング理論

「僕らはいつも全力で、馬鹿みたいに走りまくる。だから強いんだ」。そう語るのは、レアル戦で大活躍した左サイドバックのマルセル・シュメルツァーだ。

 ゲーゲンプレッシングを実行し続けるには、全員がトップコンディションになければならない。それを可能にするため、クロップは選手に高い負荷をかけたトレーニングを行う。開幕前のキャンプでは、1日に3回のトレーニングが組まれた。最初の練習は朝の7時半スタートで、とにかく選手を走らせる。ショートダッシュを繰り返すメニューに至っては、日程が進むにつれて回数が増えていくというおまけつきだった。しかも、選手は血液検査によってコンディションを測定されたうえで、体力の限界まで自分を追い込まなければならなかった。選手がそんなトレーニングを熱心にこなせるのは、走力とスタミナがレギュラーとしてプレーする条件だと理解しているからだ。

 もっとも、例えばフェリックス・マガトの悪名高い「軍隊式トレーニング」と比べれば、クロップの手法は全く異なっている。フィジカルの強化と同じくらい、彼は「ライフ・キネティック」という練習法を重視している。
これはスキー選手のフェリックス・ノイロイターや、ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ監督が採用している方法で、シンプルに言えば「筋肉を動かすための脳神経を鍛える」トレーニングだ。一例を挙げると、手でボールを投げてキャッチしながら、違うボールを足でコントロールする。あるいは、ロープの上に片足を乗せてバランスを取りながら、もう一方の足でボールを蹴るメニューもある。

 全く経験したことのない動きに、いつもとは異なる体の使い方をして対応する。これが基本的なコンセプトだという。普段使用されていない脳神経が刺激されると、身体的な反応速度が速くなり、フィジカルパフォーマンスが向上する。そしてもう一つ重要なことは、この奇妙なトレーニングに選手が好奇心を持ち、楽しんでトレーニングに打ち込む、ということかもしれない。

 画期的なトレーニングという点では、トレーニング場に設置された『フットボナウト』というマシーンも忘れてはならない。5年前にベルリンで発明された奇妙な練習装置を、クロップは世界で最初にクラブハウスに設置した。一見すると何もない部屋のようだが、この装置を使う選手は、部屋の四方八方から飛び出してくるボールを適切にトラップし、ランダムに光る指定のエリアに蹴り返さなければならない。集中力を研ぎ澄ませて反応を鍛えるのが目的だが、選手たちはこの練習をゲームのように楽しんでいる。

反応を鍛える装置「フットボナウト」はその後、アカデミーのプログラムにも採用され、他のクラブにも広がった

5.選手獲得を有利にする将来へのビジョン

 ここまで見てきたような改革の数々は、ドルトムントのイメージを大きく変えた。熱狂的なファンが集まる満員のスタジアムで、才能のある若手集団がスリリングなフットボールを展開する──そのポジティブなビジョンは、移籍市場での立場を確実に有利にしている。

 例えばロイスがそうだ。2011-12シーズンが終わる頃、ドイツの盟主を自認するバイエルンは、当時ボルシアMGに所属していたロイスの獲得に乗り出していた。「バイエルンがある選手の獲得を本気で望めば、その選手は我々と契約することになる」。ウリ・ヘーネス会長が自信満々にそう語った7日後、ロイスはシーズン終了後にドルトムントへ加入すると発表した。なぜバイエルンではなく、ドルトムントだったのか?

「クロップと話したんだ」とロイスは言う。「監督には共感できるビジョンと情熱があった。僕はそれを気に入ったし、自分に合っているとも思った。一日も早く、彼のもとでプレーしたいと思ったよ」。ロイスと同じように、ドルトムントでプレーすることを望む若手選手は少なくない。クロップのもとで多くの選手が実力を伸ばし、高いレベルに到達したことを知っているからだ。あるいは、ドルトムントの勇猛果敢なフットボールに魅了される選手もいる。繰り返しになるが、「人を引きつける」というミッションにおいて、クロップは天才なのだ。人々を楽しませ、自分も楽しむ。その空気を演出する能力に関して、彼の右に出る者はいない。

「フットボールは楽しくなくちゃいけない」。自身のフットボール哲学を、クロップはそう言い切った。「我々が3-1で試合に勝ったとしよう。まあ悪くない結果だ。でも、ファンはその数字を楽しむわけじゃないだろう? 彼らはシュートを、ゴールを、セーブを楽しむんだ。ゲームを楽しむんだよ。もし私がテニスをするとして、相手が3歳の女の子だったら何も楽しくない。私がボールを打つ、得点が決まる、それで終わりだ。でも、ちゃんとプレーできる相手がいれば試合になる。それなら、私は勝っても負けても楽しいよ。もちろん、勝てればベストだけどね」

 その哲学に照らし合わせると、彼がバイエルンをことさらに敵視している理由も理解できる。ドルトムントの選手とファンを今以上に燃え上がらせるためには、倒すべきライバルが必要だ。2012-13シーズン、独走の末にリーグ優勝を飾ったバイエルンは、来シーズンからジョゼップ・グアルディオラを新監督に招き、「ドイツ最高のクラブ」という地位をより強固なものにしようと考えている。しかし、この新監督の就任が発表されたとき、すかさず挑戦状をたたきつけたのがクロップだった。「私はグアルディオラにとっての新しいモウリーニョになる。嫌われたって構わないよ。バイエルンが最も嫌がる対戦相手、それは我々ドルトムンドでなくてはならない」

 我々は感謝すべきなのだろう。この常識破りで計算高い指揮官がいる限り、ブンデスリーガの熱狂は当分、冷めることはなさそうだ。

※この記事は、『ワールドサッカーキング』 No.255(2013年5月16日号)に掲載された記事を再編集したものです。

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