2019.05.22

あの選手も!?…実はU-20W杯に出場していた選手たち

アンドレス・イニエスタをはじめ、U-20ワールドカップには多くの名プレーヤーが出場していた [写真]=Getty Images
「フットボール」と「メディア」ふたつの要素を併せ持つプロフェッショナル集団を目指し集まったグループ。

 5月23日にポーランドで開幕するFIFA U-20ワールドカップ。1977年に誕生し、今回で22回目の開催を迎える。

 過去には、リオネル・メッシアンドレス・イニエスタポール・ポグバなど、新旧のスーパースターたちが出場。この大会で成長を遂げ、やがてトッププレーヤーとなったが、彼ら以外にもサッカーファンならお馴染みの選手たちが世界を舞台に活躍した。

 そこで今回は、実はU-20ワールドカップに出場していた選手たちをピックアップ。3つの項目に分けて紹介する。

※写真=ゲッティイメージズ

Jリーグの助っ人外国人たち

U-20ワールドカップに出場した2003年当時のイニエスタ


 U-20ワールドカップに出場した選手のなかには、“助っ人外国人”としてJリーグで活躍した者が少なくない。横浜マリノス(現・横浜Fマリノス)でJリーグの初代得点王に輝いたラモン・ディアスは、アルゼンチン代表として1979年の日本大会に出場し優勝。その4年後のメキシコ大会では、鹿島アントラーズに在籍したベベットとジョルジーニョ、さらにジュビロ磐田の黄金時代の礎を作ったドゥンガを擁するブラジル代表が大会初制覇を果たしている。

 また、歴代の大会MVPも“Jリーガー”として来日を果たした。ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)や鹿島アントラーズ、またヴィッセル神戸で活躍したビスマルクは、1989年のサウジアラビア大会で大会MVPを受賞。当時のセレソンには、同じく鹿島アントラーズで活躍した“レオ様”ことレオナルドもいた。

 その他、名古屋グランパスで活躍したジョシュア・ケネディはオーストラリア代表として2001年のアルゼンチン大会に、現在ヴィッセル神戸に所属するアンドレス・イニエスタはスペイン代表として2003年のUAE大会に出場している。

 もちろん、最大勢力は韓国勢だ。1993年のオーストラリア大会に出場し、日本ではジェフユナイテッド市原(現・ジェフ千葉)などで活躍したチェ・ヨンスを始め、セレッソ大阪に所属するキム・ジンヒョン(2007年カナダ大会に出場)やFC東京に所属するチャン・ヒョンス(2011年コロンビア大会に出場)など、現役JリーガーたちもU-20ワールドカップに出場している。

幻のユーゴスラビア代表

ミヤトヴィッチ(左)、ボバン(右)はユーゴスラビア代表として大会を盛り上げた


 U-20ワールドカップの歴代優勝国のなかには、今も語り継がれる“伝説のチーム”がいくつかある。若きディエゴ・マラドーナを擁した1979年大会のアルゼンチン、ルイ・コスタやルイス・フィーゴら“黄金世代”で1989年、1991年と大会連覇を果たしたポルトガル、そしてアフリカ勢として初優勝を飾った2009年大会のガーナなど――。

 1987年のチリ大会で世界王者に輝いたユーゴユラビアも、U-20ワールドカップを振り返るうえで欠かせないチームの一つだ。高いテクニックと創造性に優れたプレーの数々で「東欧のブラジル」と呼ばれた同国代表は、1987年のチリ大会で西ドイツをPK戦の末に破って初優勝。ズヴォニミール・ボバン、ダヴォル・シュケル、ロベルト・プロシネツキ、プレドラグ・ミヤトヴィッチなど、後に欧州のビッグクラブで活躍するタレントを数多く抱えていた。

 彼らが中心を担ったA代表は、1990年のワールドカップでベスト8進出を果たす。元日本代表監督のイビチャ・オシム氏に率いられたチームは魅力あふれる攻撃サッカーを展開し、ユーロ1992や1994年のアメリカ・ワールドカップでは優勝候補に挙げられたほどだった。しかし、内戦に対する制裁で出場停止処分を受けると、その後は国家が解体。サッカー協会も独立を余儀なくされ、有能な選手たちは新たな代表チームに散らばることとなった。

 2015年のU-20ワールドカップではセルビアが初優勝、さらに昨年夏のロシア・ワールドカップではクロアチアが準優勝を果たしたが、ユーゴスラビアが消滅していなければ世界のサッカーは今とは違ったものになっていたという声は少なくない。そういう意味でも“幻のチーム”であった。

あの名将たちもU-20W杯に出場

現在はアトレティコ・マドリードの指揮官を務めるディエゴ・シメオネもU-20ワールドカップに出場した1人


 U-20ワールドカップはスター選手への登竜門として知られるが、数多くの名将を輩出している大会でもある。

 トッテナムを率いて、2018-19シーズンのチャンピオンズリーグ決勝進出を成し遂げたマウリシオ・ポチェッティーノもそのうちの一人。アルゼンチン代表のキャプテンとして、1991年のポルトガル大会に出場した。また1989年のサウジアラビア大会には、アトレティコ・マドリードの指揮官を務めるディエゴ・シメオネが出場。アルゼンチン代表の16番として、スペインとの初戦では先制点となるゴールを挙げている。なお、同大会には現在ボルドーの監督を務めるパウロ・ソウザも参戦。ポルトガル代表として初優勝を成し遂げ、母国にトロフィーを持ち帰った。

 1985年のソ連大会に出場したスペインでは、バレンシアを率いるマルセリーノ・ガルシア・トラル、そして昨年10月までレアル・マドリードで監督を務めたフレン・ロペテギがメンバー入りを果たした。決勝でブラジルに敗れ準優勝に終わったが、マルセリーノは“背番号2”のDFとして先発出場。数少ないファイナル経験者である。

 もちろん、日本の名将も忘れてはいけない。地元開催となった1979年大会で背番号14をつけたのは、2017年から名古屋グランパスを率いる風間八宏だった。当時まだ17歳。清水商業高等学校在学中で、飛び級での選出だった。日本は0勝2分け1敗でグループステージ敗退が決まったものの、全3試合に先発出場。同年代の鈴木淳、名取篤らとともに高校生トリオとして名を馳せた。

(記事/Footmedia)

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