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【Football TimeLine】名波監督が回顧するアジアカップ「トルシエと森岡キャプテンだけが…」

2018.12.21

 12月18日(火)放送の#14には、スタジオゲストとしてジュビロ磐田の名波浩監督が登場。J1参入プレーオフの末にJ1残留を果たした2018シーズン、そして自身も現役時代に出場したアジアカップについて語った。

 磐田は今シーズンのJ1で残留争いに巻き込まれたが、名波監督はロシア・ワールドカップによる中断が明けた直後の4試合がそのような結果を導く要因になったと分析した。

「キーになったのはワールドカップ中断後、4試合連続で引き分けたこと(第16節鹿島アントラーズ戦/3-3、第17節北海道コンサドーレ札幌戦/0-0、第18節サガン鳥栖戦/0-0、第19節ガンバ大阪戦/1-1)。ここで残留争いというのが見えてきて、後ろのクラブにどんどん足をつかまれて引きずり込まれたかな」

 残留争いは最後まで続き、最終節の川崎フロンターレ戦では残留が確定する寸前まで行ったが、後半アディショナルタイムに決勝点を許し、16位に転落。土壇場でJ1参入プレーオフに回ることとなってしまった。

「負のスパイラルをなかなか断ち切れなかったんですけど、チームの雰囲気、選手の立ち居振る舞いは素晴らしかったと思う。最後、フロンターレに負けて、そこから(J1参入プレーオフの)東京ヴェルディ戦までのあの1週間、選手も我々も“地獄の1週間”と呼んでいるんですけど、あそこはフィジカルもメンタルも、シーズン終盤で一番厳しかった中で、よく立ち直って結果を出してくれたなと思います」

 そのJ1参入プレーオフ、東京V戦までの1週間は、強靭なメンタルの持ち主である名波監督もさすがに平常心ではいられなかったようだ。

「メンタルは強いほうだと思っていますけど、川崎戦からの2日間はもうとんでもなくヘコみましたね。自信を無くしたヤツの顔を鏡で見て『なんだこの顔は?』と思うあの気持ち、まだ皆さん味わったことないでしょ? 自信を奪われたら一番しんどいというのを初めて感じました。選手には見せられないです。言葉では『しっかり切り替えよう』と言っている自分が、まだまだ切り替えられていない1週間を過ごしました」

 東京Vに勝利し、J1残留を確定させた磐田。すでに来季の続投が決定している名波監督は、独特な表現で抱負を語った。

「結果的に言えば続投させていただくことになった。支持率は相当低下していると思います。ただ、世界中の国家主席、大統領や総理大臣の中には、支持率が低くてもやっている方がいらっしゃるので、僕も頑張ろうと思います」

 その後、話題は12月12日に日本代表メンバーが発表されたアジアカップに移る。名波監督が現在のメンバーに対してこのように期待を寄せた。

※浅野拓磨の負傷離脱により、武藤嘉紀(ニューカッスル/イングランド)が追加招集

「2列目の中島(翔哉)、南野(拓実)、堂安(律)。ここは誰もが認めると思うんですけど、あんなにも素晴らしいハーモニーを醸し出すのかと。そして大迫(勇也)のポストプレーからあんなにも多彩な攻撃ができるのかと。そういう感動を今、代表チームに抱いています。森保(一)監督も言っていましたけど、48時間ぐらいしかトレーニングする時間がないんですが、合わせる時間がない中でも意思の疎通、阿吽の呼吸、そういったものをどんどん出しているんで、アジアカップは相当期待が持てますね」

 名波監督は1996年UAE大会、そして2000年レバノン大会に選手として出場した経験を持つ。1996年UAE大会には番組コメンテーターの前園真聖も出場しており、名波監督は当時の過酷さをこのように語った。

「1996年は、前回大会(1992年広島大会)で日本が優勝しているので、我々は狙われる国だったと思います。“優勝候補”とうたっていたメディアもあったでしょうし。ただ、UAEでやる難しさがあって、娯楽がなかったり、ホテルに缶詰めで他の国とも一緒だったり、食事の制限とかもあって非常に大変でした」

「今でこそ専属のシェフがついていますけど、この頃は現地にあるものを自分でチョイスして食べるという感じだったので、食事もすごく大変でした」と前園が当時を振り返れば、名波監督は「現地の食事にちょっと色がついた程度のものを、ビュッフェ形式で取っていくという感じ。僕は全然合わなかった」と同調。そして、このような裏話を披露してくれた。

「当時、ゾノ(前園)が契約していた会社のカップラーメン。コアなサッカーファンなら分かりますよね? あれがリラックスルームに大量に置いてあって、レトルトカレーが置いてあって、炊飯ジャーが置いてあって。お米と麺でどうにか過ごしていきましょう、という感じでした」

 続く2000年レバノン大会ではチームが優勝し、名波監督はMVPに選出された。しかし本人は、自分がMVPを受賞するだろう、という感覚は全くなかったという。

「(MVPを獲得できるかも、というのは)全然感じていなくて、その賞があることも知らなかった。決勝の前に日本サッカー協会の方から『勝ったらたぶんお前MVPだぞ』と言われて、そんな賞があること知らなかったんで『冗談やめてくださいよ』と言っていました」

 当時はフィリップ・トルシエ監督に率いられていたが、名波監督はチームについてこう回顧している。

「規律があって私生活の面も非常にコントロールされていましたけど、若い選手のはっちゃけた感じと、我々中堅・ベテランのバランサー的な役割の融合性がありました。2000年のシドニーオリンピックとアジアカップを経て、2002年の日韓W杯に完全に繋がっていったので、いい土台作りができた大会でした」

 そして番組MCのJOYからトルシエ監督との関係を尋ねられると、名波監督は「トルシエはいつもピリピリしていた。当時のキャプテンだった森岡(隆三)とだけはうまくいっていなかった」と衝撃の発言。「森岡はキャプテンとして(選手の意見を)いろいろ吸い上げて、トルシエにぶつけてくれていたので」とその理由を語った。

 毎週火曜日21時から生放送されている『日本人を応援せよ!!Football TimeLine』。次回は12月25日(火)21時スタートの予定となっている。

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