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「彼は僕が見たことのない景色を見ている」…盟友・鈴木啓太が語る長谷部誠の素顔

2016.09.16

 初めて日の丸を背負ってピッチに立ったのは、2006年2月のことだ。それから10年半――。9月1日に行われたワールドカップ・アジア最終予選UAE戦に出場し、長谷部誠の日本代表キャップ数は100に達した。

 『サッカーキング』では、長谷部誠の日本代表100キャップ達成を祝うべく、そのキャリアを振り返る特集を展開する。ここでは、浦和レッズ、そして日本代表でともにボランチを組んだ鈴木啓太氏のインタビューを紹介しよう。プロ入り直後から長谷部を知る鈴木氏の言葉を通して、“長谷部誠の素顔”に迫る。

インタビュー・文=関口剛
写真=野口岳彦

ハンス・オフト監督が彼の意識を変えた

――鈴木啓太さんが東海大静岡翔洋高校出身、長谷部選手が藤枝東高校出身と、ともに静岡県のご出身ですが、プロ入り前に対戦したことはありますか?

鈴木啓太 ありませんね。長谷部選手が浦和レッズに加入してきて、「あ、こんな選手がいるんだ」という感じでした。

――長谷部選手が浦和レッズに加入したのは2002年のことです。第一印象はいかがでしたか?

鈴木啓太 静岡県出身ということで、僕の後輩なんだなっていう思いはありましたけど、特別強い印象があったわけではありませんでしたね。

――それはプレー面、キャラクター面ともに同じ印象でしたか?

鈴木啓太 プロ入りしたばかりのサッカー選手として、特にギラギラしているわけでもなかったですし、プレー面も派手なタイプではなかったですから。

――長谷部選手の同期には、平川忠亮選手や坪井慶介選手、堀之内聖氏など、そうそうたる面々がいますが、その中では特に目立つ選手ではなかったのでしょうか?

鈴木啓太 そうですね。ツボ(坪井)は加入してすぐに試合に出ていましたし、平川さんは静岡の先輩で、ユニバーシアード日本代表のキャプテンもやっていたので、そういう印象が強かったです。ハセ(長谷部)はどちらかというと、暗いイメージ(笑)。今も明るい感じではなくて、「自分のやるべきことをやる」というタイプなので、そういう意味では変わっていませんよね。少なくとも「結果を残してやる」というギラついた感じというか、そういう感情を露わにする選手ではありませんでした。ただし、内に秘めるものはあったと思います。

――加入2年目以降、長谷部選手が徐々に試合に出るようになり、鈴木さんとともにピッチに立つことも増えていきました。どんな部分が評価されて試合に出るようになったと感じますか?

鈴木啓太 ハセが加入して割とすぐ、ある合宿の時に当時の監督(ハンス)オフトさんがこう言ったんです。「ハセ、お前はパサーか、それともレシーバーか? どっちだと思うんだ?」。僕も含めて、周囲の人間はパサーだと思っていたし、ハセ自身も「僕はパサーです」って答えたんです。そしたらオフトさんが「お前は間違っている。お前はパサーじゃなくて、レシーバーだ」って。それがきっかけになったのかな、とは思います。もちろん、ハセ自身は自分でパスがうまいと思っていたと思うし、オフェンシブでラストパスを狙うような選手だったんですけど、オフトさんがハセの意識を変えたのかなと。

――オフトさんのひと言で視野が広がったわけですね。

鈴木啓太 そうです。そこで何かに気づいて、プレースタイルも変わったような気がします。自分が動くことだったり、ボールを引き出すことだったりを覚えていったのかもしれないですね。当時は僕と内舘(秀樹)さんでダブルボランチを組んでいたんですが、そういう時間を経てハセが少しずつ途中出場で流れを変える役割を担っていったのかなと思います。

僕らは互いに補い合う良い関係が築けていた

――その後は鈴木さんと長谷部選手がともにピッチに立ち続け、2006年のJリーグ制覇、2007年のACL制覇と充実した時期を過ごしました。お二人は互いにどんな役割を担っていたのでしょうか。

鈴木啓太 役割としては、ハセがボールを持ち運んで、僕がそのスペースを埋めたり、後ろに(田中マルクス)闘莉王がいたのでそのカバーリングをしたり。そういう役割分担ができていましたね。僕は、ハセができるだけ前に力を使えるように、後ろからボールを持ち運べるようにサポートしたいと思っていました。(長谷部選手のプレーは)僕にはできないプレーだったので、良いバランスが取れていたと思います。ハセはもちろん守備に関しても高い能力を持っていましたけど、当時はボランチとして完成しているというよりは、オフェンシブな感覚を持っていた選手だったので。

――互いに補い合う関係ができていた。

鈴木啓太 そうです。たとえば闘莉王が前線に上がった時は僕が一列下がって、ハセはバランスを取っていました。当時のチームは3―5―2を採用していましたが、中盤の「5」のうち、前の3人はディフェンスが得意ではなかったので、僕とハセが中盤を横に縦に動くようなスタイルでした。当時は二人とも若かったので、「すごい大変だな」って思いながらも頑張っていた記憶があります。

――鈴木さん以外の選手と長谷部選手の関係はいかがでしたか?

鈴木啓太 ハセはよく闘莉王とケンカしていましたよ(笑)。闘莉王は闘莉王で自分の意見をはっきり言いますし、ハセもまたはっきり言うタイプなので。ハセには特別強い個性みたいなものはないんですけど、自分の“芯”はしっかりある。チームのためにその芯を通すべきだと思う時は、他の選手ともぶつかっていましたね。ロビー(ロブソン・ポンテ)ともよくぶつかっていましたよ。でもそれはハセに限ったことではなくて、レッズの選手は皆そんな感じでしたから。試合に出ていた中ではハセが一番若かったと思いますが、臆することなくやっていました。

――ともにダブルボランチを組む鈴木さんと衝突することはありませんでしたか?

鈴木啓太 そこまで強い要求はなかったですね。ぶつかることもありませんでした。チームが勝つために何をすべきかをお互いに考えていましたし、僕らはケンカをしている暇もないというか(笑)、他のポジションの選手とのコミュニケーションのほうが多いというか。前からも後ろからもいろいろなことを要求されるので、中盤を任されている僕らは「頑張ろうぜ。それぞれの役割を全うしようぜ」という感じでしたね。

ドイツで成功をつかんだのは彼が“ブレなかった”から

――2008年1月に長谷部選手は浦和レッズを離れ、ブンデスリーガのヴォルフスブルクに移籍しました。移籍に関して話をすることはありましたか?

鈴木啓太 個人のことなので、あまり触れないようにしていました。若い頃から「(海外に)行きたい」という話はしていたので、チャンスがあれば行くだろうとは思っていましたね。移籍の話が出る前から、ハセはその準備のためのトレーニングをしていたので、間近で見ていた僕は「ここで終わるんじゃなく、次のことを考えて準備してるんだな」と感じていました。

――移籍2年目の2008―2009シーズンにはブンデスリーガ制覇を成し遂げ、今なおドイツの地で活躍しています。長谷部選手が海外で成功をつかめた理由は何だと思いますか?

鈴木啓太 “ブレないこと”だと思います。自分の目標に対してブレないですし、彼の中でこだわりみたいなものが強いんでしょうね。そういうものがあるこそ、自己主張が求められるヨーロッパでも対等にやり合えるんだと思います。

――とかく日本人は主張ができないと言われがちですが、そうした部分で長谷部選手は海外に向いていたということでしょうか。

鈴木啓太 海外に向いているかどうかというよりも、サッカーをする上で大事な部分ですよね。“こだわり”が“わがまま”になってはいけない。チームが勝つために自分自身がどんなプレーをすべきか、どんな態度をとるべきなのか。それを意識して実行していたからこその結果だと思います。

――続いて日本代表についてお聞きします。長谷部選手が2006年2月、鈴木さんが2006年8月と、ほぼ同時期にA代表に初選出されていますが、長谷部選手は日本代表でどんな役割を担っていましたか?

鈴木啓太 ハセの初招集は、ジーコ・ジャパンのアメリカ合宿の時ですよね。僕はその後の(イビチャ)オシムさんになってから選ばれました。僕も必死でしたし、オシムさんの時代は「日本代表で長谷部と一緒にやった」という感覚があまりないんですよね。ハセはその後、岡田(武史)さんになってからまた招集されるようになったけど、2008年5月の試合を最後に僕が外れてしまうので。

――扁桃炎の影響もあって鈴木さんが日本代表から外れるのと時を同じくして、入れ替わるように長谷部選手が招集されるようになりました。この時の心境はいかがでしたか?

鈴木啓太 当時の僕は人のことを構っていられる状態ではなかったですし、正直、自分の中で日本代表への思いというものが全くありませんでした。とにかく自分らしい、本来のプレーをしたいという感覚しかなかった。もちろん、ハセが日本代表に入って活躍するのを見ると、複雑な心境にはなりました。「病気さえなければ」って。でも今は全くそんなふうには思わなくて、彼が日本代表の試合で頑張っているのを見るのが好きです。

――2010年の南アフリカ・ワールドカップを前に、長谷部選手は日本代表の主将に任命されます。そのことについてどう感じましたか?

鈴木啓太 「えっ? 長谷部が?」という意外な感じでした。一方で、「面白いかもな」とも思いました。W杯を前にチームがうまくいっていないように見えたので、何か“矢印”を変えようとしてるんじゃないかと。チームがいい方向に向かっていない時って、矢印がいろいろな方向に向くと思うんですね。誰にどんな責任があるとか、誰がこのチームの中で力を持っているのか、とか。そういうチームマネージメントの中で、岡田さんが「長谷部ならいけるんじゃないか」と考えたと思うので、僕も「それもありかもしれない」って感じたんです。

僕たちが彼の世界を止める必要なんてない

――9月1日のW杯アジア最終予選のUAE戦で、長谷部選手は日本代表通算100キャップを達成しました。どんな言葉を送りたいと思いますか?

鈴木啓太 「おめでとう。まだまだこれからだね」っていう感じですかね。「100キャップ」という数字は偉大だと思います。その上、彼は長らくキャプテンとしてチームを支えてきました。一緒にやってきたメンバーは彼の努力を知っていますが、僕たちが知らないもっともっと大変なプレッシャーもあると思います。そこを乗り越えての「100」なので、そこに対しては「おめでとう」です。一方で、彼は今、僕が見たことのない景色を見ています。僕たちが彼の世界を止める必要はないので、これからもっと活躍してほしいという意味を込めて「これからだよね」っていう気持ちです。

――最後にこの質問をして終わりたいと思います。「長谷部選手をひと言で表現してください」と言われたら、何と答えますか?

鈴木啓太 うーん……。(長考の末に)「堅い」ですかね。いい意味で、ちゃんとしています。それだけのものを背負っていますから。

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