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成長のモデルは原口元気? ドイツへ渡る遠藤渓太、目指すは東京五輪とW杯出場

2020.07.27

横浜F・マリノスからウニオン・ベルリンへ移籍する遠藤渓太 [写真]=金田慎平

 堂安律や冨安健洋、久保建英など、すでに7人の欧州組を輩出している2017年U−20ワールドカップ(韓国)組。その中からまた1人、異国へ赴く者が現れた。ドイツ1部、ウニオン・ベルリンへのレンタル移籍が決まった横浜F・マリノスのドリブラー・遠藤渓太だ。

「最初に海外へ行きたいと思ったのは、3年前の韓国大会の時です。一番最初に律が行って、どんどん海外に行く選手が出るのを見て、自分もいつか身を置きたいなと感じました。かといって『絶対に海外へ行かなきゃいけない』という使命感に駆られていたわけじゃないですけど。マリノスで得られることも多いし、これまでは今の環境で何ができるかを考えていました。でも、三好(康児)君や建英が活躍するのを見て、自分も行きたいという思いが強まりました。実際にオファーをもらったら誰もがこういう選択をすると思います」と27日にオンライン移籍会見に臨んだ彼は偽らざる胸の内を吐露した。


 スクール時代から16年間をマリノスで過ごした生え抜きサイドアタッカーにとって、慣れ親しんだチームを出るのは大きな決断だったに違いない。しかも「どのチームのサポーターをも認めさせるような圧倒的な活躍はできていない」と自らも認めるように、プロ4年半でJ1通算103試合出場13ゴールという結果に満足していないからこそ、移籍に踏み切るのはリスクも伴った。

 それでもあえて外へ出るのは、貪欲に高いレベルを追い求めるからだ。ドイツで屈強な相手と互角に渡り合ってタフさを増し、より多彩なプレーのできる選手になるために、思い切ったチャレンジが必要だと考えたのだろう。「どんな壁に当たっても、泥水をすすってでも何かをつかんでこようと思っています」という移籍発表時に出したコメントに、悲壮な覚悟がにじみ出ている。

「言葉にすることで、自分にプレッシャーを与えられるかなと。『1年で帰ってきました』、『無理でした』とはなりたくないので、『泥水をすする』という言葉を選んだつもりです。行ってみて圧倒的な差を見せつけられるのか、自分が思ったよりできるのか分からないけど、一から自分を見つめ直して短期間で成長できるようにしたい」と遠藤は改めて語気を強めた。

 新天地のウニオン・ベルリンはかつて内田篤人が在籍したクラブとして知られる。6月に終了した19−20シーズンは11位。柿谷曜一朗をバーゼル時代に指導したウルス・フィッシャー監督が指揮を執り、香川真司のドルトムント時代の同僚ネヴェン・スポティッチや、清武弘嗣らのハノーファー時代の同僚、マヌエル・シュミデバッハらが在籍している。

「ウニオンの監督から何を求められるかは行ってみないと分からないですけど、マリノスのサッカーをそのままやっていたら、間違いなく生き残れないと思います。マリノスのサッカーは特殊だし、自分は2年半やっていてその感覚が染みついている。ガツガツとプレッシャーをかけたり、サイドに張りっぱなしでそこから仕掛けるプレーをすればいいわけじゃありません。実力のある選手が沢山いる中で、まず試合に出るためにも、しっかり練習から個の力を発揮しないと周りにも理解してもらえない。今は初速でタテに抜いてクロスやシュートというのがストロングですけど、パスもしっかり出せる選手にならないといけないと思います」

 新天地での成長イメージを具体的に描く遠藤だが、ドイツでは必ずしも思ったような役割を与えてもらえるかは分からない。彼と同じ左のドリブラーだった原口元気も、渡独後は両サイドハーフ、最前線、ボランチ、サイドバックと幅広いポジションを託され、ハードワークと献身性を押し出す選手へと変貌を遂げていった。格上との対戦では、タテへの推進力や力強いフィニッシュといった攻撃の強みを思うように出せない状況も想定されるだけに、先輩アタッカーの一挙手一投足を参考にすることも重要だろう。

「僕が記憶してる限りだと、浦和レッズ時代の原口選手はすごいドリブラーのイメージがありました。でもドイツに行ってから日本代表の試合とかを見て、守備の部分や球際の部分はすごい成長されたのかなと。言葉もすごく勉強されたでしょうし、ドイツでプレーする以上、守備を含めたチーム戦術を理解することがすごく大切になってくる。自分1人だけ守備ができても、チーム戦術を理解しないと意味はないと思います」と遠藤も適応力の大切さを再認識してい様子だった。

 ただ、自らの希望通りに物事が運ばなくても地道に努力できるのが彼のよさ。マリノスでも好調時にベンチスタートを強いられるケースが少なくなかったが、決して腐ることなく向上心と献身性を維持し続けた。「チームのためにできることをする」という考えは同じ東京五輪世代の堂安や久保より間違いなく強いだろう。その謙虚な姿勢を持ち続け、異国の指揮官やチームメートにも溶け込んでいければ、いつか必ずチャンスが巡ってくるはずだ。

 マリノスでの最終戦となった26日の北海道コンサドーレ札幌戦では左太ももを負傷したものの、大事には至らなかった様子で、9月18日の新シーズン開幕までは準備期間が十分にある。それを最大限に生かし、まずはウニオン・ベルリンの戦い方をしっかりと叩き込むことが第一歩になる。1年後の東京五輪、そして2年後のカタール・ワールドカップに向け、マリノス育ちのドリブラーはどんな進化を見せるのか。今から楽しみで仕方がない。

文=元川悦子

By 元川悦子

94年からサッカーを取材し続けるアグレッシブなサッカーライター。W杯は94年アメリカ大会から毎大会取材しており、普段はJリーグ、日本代表などを精力的に取材。

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