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【J1優勝特別コラム】僕らはあの日の光景が忘れられない

2019.12.09

2013年11月30日、首位で迎えたホームでの第33節アルビレックス新潟戦は当時の最多動員数を記録した[写真]=J.LEAGUE PHOTOS

 6年前のあの日の光景が忘れられない。

 日産スタジアムには62,632人の大観衆が詰め掛けた。横浜F・マリノスが優勝する瞬間を一目見ようと“にわかサッカーファン”も数多く足を運び、お祭りムードに一役買っていた。


 結果は周知のとおり、アルビレックス新潟に0-2で完敗。歓喜に沸くはずが、180度異なる暗い雰囲気に包まれた。ホームでの優勝決定にモチベーションを高めていた反動が大きかったのか、最終節の川崎フロンターレ戦でも本来のパフォーマンスを発揮できずに敗戦。

 残り2試合で1勝すれば優勝という有利な状況を自分たちで作り出しながらも、最後の最後にシーズン初の連敗を喫した。その後、元日に天皇杯優勝を飾ったが、13年はリーグ優勝を逃したシーズンとして多くの人の記憶に刻まれている。

 6年の年月が経ち、再び日産スタジアムがトリコロールに染まった。集まった大観衆は6年前の新潟戦を超える史上最多63,854人。逆転優勝の可能性を残したFC東京サポーターも大勢来場していたとはいえ、大多数は横浜FMを後押しするファン・サポーターだった。

 その晴れ舞台で3-0の勝利を飾り、15年ぶりとなるリーグタイトルを手にする。黒星を喫したとしても3点差までなら優勝という圧倒的に有利な状況ながら、後半にGK朴一圭が退場する不測の事態を乗り越えての完封勝利は、チャンピオンと呼ぶに相応しい内容と結果と言える。

 結果だけでなく、2013シーズンとは歩んできた過程が全く異なっていた。
 

■2013年時とは真逆のシチュエーション

2013シーズン最終戦、川崎Fに敗戦。首位を走りながら最後の最後で、手にしかけた“優勝”がこぼれ落ちた[写真]=J.LEAGUE PHOTOS

 振り返ってみると、当時の樋口靖洋監督はアンジェ ポステコグルー監督同様に就任2年目で、前年度に築いた土台の上で成熟を図り、さらに新戦力を加えてスタートしている。

 中村俊輔を中心とする手堅いスタイルが機能し、開幕6連勝とスタートダッシュに成功。前半戦の折り返し前に大宮アルディージャとの首位攻防戦を制すと、夏場に入っても着実に勝点を積み上げていった。シーズンの半分以上を首位として過ごし、タイトルレースにおいて堂々の主役を演じた。

 一方で、今季初めて首位に立ったのは第32節を終えてから。開幕2連勝と好スタートを切ったものの、前半戦は主導権を握れない展開であっさりと失点を重ねて敗れる試合も散見された。開幕前の下馬評通り“伏兵”の域を脱しないパフォーマンスで、今の未来を予想するのはなかなか難しかった。

 ただ実際のところは、この立ち位置が優勝争いにおいてポジティブに作用した。2013年のような追われる立場ではなく、あくまでもチャレンジャーとして上位チームの背中を追い掛け、一戦必勝の積み重ねで頂点を目指す。プレッシャーに苛まれることなく戦えたという点で、優勝争いを引っ張る存在が上にいたのも格好の展開となった。

 前述したように第32節松本山雅FC戦で勝利して初めて首位に立ったが、あるクラブ幹部は「本当は最終節を迎える時も2位のままで、FC東京に勝って初めて1位になるシチュエーションが理想だった」と話す。決して弱気な発言ではなく、油断や慢心、あるいは邪念を取り除いた状態で戦いたかったという意味だろう。

 同じタイミングで喜田拓也はこう話し、語気を強めた。

「シーズン当初、周りにどう思われていたのかは分かりません。でも、僕たちは優勝を目指してシーズンをスタートしました。それを信じていたのは自分たちだけかもしれません。いい意味で、下位に予想していた人たちを裏切りたいと思います」

 前年12位で最終節まで残留争いに巻き込まれていたチームの反骨心が、優勝への見事なジャンプアップを実現させた。
 

■GW後に中盤のシステムを変更したことで守備が安定

ゴールを決めればチームメートに駆け寄る“一体感”も横浜FMの今季によく見られたシーンのひとつ[写真]=清原茂樹

 ピッチ内のターニングポイントはいくつかあった。そのうちの一つにダブルボランチへのシステム変更が挙げられる。

 開幕当初は喜田をアンカーに配し、インサイドハーフに天野純と三好康児を配する逆三角形が基本形だったが、第12節ヴィッセル神戸戦からダブルボランチ+トップ下に変形させた。喜田と扇原貴宏が中盤の底を務めることでビルドアップを効率化させ、それは守備の安定にもつながった。

 扇原自身が「シーズン途中にシステムを変更したことが自分にとってのターニングポイントになった。安定した戦いができるようになった。アンカーの時よりも役割は増えたけど、キー坊とうまく分担できている」と明かしたように、当初の形にこだわらない姿勢が好結果を呼び込んだ。

 また、それまで左ウイングで持ち味を発揮し切れていなかったマルコス ジュニオールはトップ下で水を得た魚のように躍動。攻撃におけるマルチな才能で攻撃に彩りを加え、最終的には仲川とともに15得点を挙げて得点王に輝いた。

 加えて夏に加入したエリキとマテウスのスプリント能力は、ポゼッション以上にショートカウンターの局面で光り輝いた。ボール保持をベースにしながらも、手数を掛けずに相手ゴール前に行く術も覚えたオフェンスは、まさしく鬼に金棒。

 戦い方のバリエーションが増えたことで、8月にまさかの3連敗を喫したところからの立ち直りも早く、その後は10勝1分けと破竹の勢いでゴールテープを切った。試合を追うごとに尻上がりにチーム力を上げていった点こそが、終盤に息切れしてしまった13年との最大の相違点だ。
 

■優勝はゴールのはずだが新たな時代の幕開け

悔し涙を流してから6年後の同じ日、決して平たんな道ではなかったが、ようやくシャーレを“横浜”に取り戻した[写真]=兼子愼一郎

 失意の2013年を知る選手は栗原勇蔵と喜田の二人のみになっていた。前者が18年間の現役生活にピリオドを打つ日が、クラブにとって15年ぶりの戴冠となったのは運命の悪戯だろうか。

 6年という時間の中で、多くの選手と出会い、そして別れた。現所属選手の大半は2017年以降に加入し、最終戦のメンバー18人のうち11人は今季から、あるいは今季途中に加入した選手である(レンタルバックの高野遼は含まない)。その事実だけを切り取っても、横浜FMが様変わりしたことがうかがい知れるだろう。

 喜田は言った。「自分たちはビッグクラブ、というプライドを捨ててでも(タイトルを)取りに行く覚悟だった」と。改めてビッグクラブになるために、不必要なプライドは先に捨て、今いる仲間とともに頂点を目指した。

 多くの選手にとって15年前も、6年前も関係ない。しかし、オリジナル10のうち一度もJ2に降格していないのは横浜FMと鹿島アントラーズの2チームのみ。時代が流れ、選手の顔ぶれが変わっても、エンブレムに息づく歴史と伝統は確かに紡がれていく。

 本来、優勝はゴールのはずだが、今のチームは進化の余地を多く残す。主力を形成している20代半ばの選手はこれからプレーヤーとして旬な時期を迎え、契約更新が発表されている指揮官は3年目もさらに進化したアタッキングフットボールを見せてくれるはず。

 歴史の転換点として後に語り継がれるであろう2019年の優勝は、トリコロールにとって新たな時代の幕開けを告げる号砲だ。
 
文=藤井雅彦

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