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[明治安田生命×サッカーキング]Jリーグ『カラダとの対話術』第5回 中村 俊輔(横浜FC)

2019.11.18

 タイトルパートナーとしてJリーグを応援している明治安田生命では、健康増進の取組みを継続的に支援する『みんなの健活プロジェクト』を展開している。このプロジェクトと親和性の高い企画として、当連載では「カラダとの対話術」と題し、Jリーグで活躍する選手たちへのインタビューを実施。第5回は日本サッカー界が誇る天才レフティーであり、今シーズン途中にジュビロ磐田から横浜FCに移籍した中村俊輔選手。41歳にしてなおピッチに立ち続ける稀代のファンタジスタに、コンディショニングの秘訣を聞いた。

インタビュー=細江克弥
写真=鷹羽康博
取材日:2019年9月3日

【目次】
健康を“知る” すべては中学時代の失敗があったからこそ
健康を“つくる” 情報を得て、必要なものを判断する
健康を“続ける” 継続は難しいが、”楽しさ”があれば何かが変わる
ストレッチのアドバイス必見!中村流ストレッチ術
ファンのみなさまからの質問 中村選手が質問に回答!
インタビュー内容を動画でもご紹介!

中村俊輔が勧める、ストレッチ術とは?

■すべては中学時代の失敗があったからこそ

―――中村選手が健康やコンディショニングについて意識しはじめたのは、いつごろですか?

中村俊輔 はじめて気がついたのは中学3年のときでした。僕は横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)のジュニアユースに所属していたのですが、クラブ内に栄養士さんがいたわけではないので、食事に関してはちゃんとした知識を何ひとつ持っていませんでした。お腹が減ったら何でもいいから食べるし、糖分が多い炭酸飲料も気にせずに飲んでいました。そういう感じだったので、食事の摂り方はまったくダメだったと思います。中学3年と言えば、一般的には成長期ですよね。でも、僕は、身体がほとんど成長しませんでしたから。

―――「おかしいな」という感覚はあったのですか?

中村俊輔 ありました。例えば、中学3年のときに受けた走力テストの結果は、1学年下の中学2年より明らかに低いものでした。2年生のころから3年生の試合に出ていた自分が、3年生になってから試合に出られなくなってしまって、ショックでした。悔しいという感情をコントロールできなくて、ふてくされてしまったこともあるし、フィジカルだけではなく、メンタルもかなり不安定だった気がします。最終的にはユースに昇格できないと自分で判断して、マリノスのジュニアユースを出ることにしたのですが、今になって振り返ると、中学3年の1年間には、本当にいろいろなことがあったんですよね。

中村俊輔のスランプとの向き合い方とは?

―――その反省があって、高校では身体作りやコンディショニングを考えるようになった?

中村俊輔 少しずつ。桐光学園高校の練習、つまり“部活”の厳しさは、中学時代に過ごしたクラブチームのそれとは全く違うものでした。そういう環境の変化に対応しながら、真摯にサッカーと向き合うことができた気がしますね。中学時代の失敗を自分で理解していたので、それを繰り返さないことを意識しながら、サッカーに関しても、食事に関しても自分なりにバランスを考えていました。

 ちなみにウチの母親は“和食派”だったので、もしかしたらそれも良かったのかもしれません。高校生になってからは急に背が伸びて、見える世界が変わりました。それもこれも、中学時代の失敗があったからこそだと思います。僕にとっては大きなターニングポイントでした。

中村俊輔インタビューの続きを読む

明治安田生命『みんなの健活プロジェクト』では、中村選手が、取り入れている独自のコンディショニング法や、健康維持のために役立つストレッチ動画の紹介、専門家による中村選手の“健活”を一般の方にも活用する方法などが紹介されています! インタビューの続きからぜひチェックしてみてください。

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