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「あまりに突然だった」退団発表…それでも玉田圭司の足跡は色褪せない

2018.12.11

2018年のリーグ戦終了から数日後、玉田圭司はいきなり名古屋退団を発表した [写真]=N.G.E

 衝撃的な投稿だった。

「今シーズンで退団することになりました。あまりに突然だったので頭を整理するのに少し時間がかかりました。2014年に一度退団し、その2年後に帰ってきて名古屋グランパスに誠心誠意を持ってやってきましたが、契約しないと伝えられた時には労いの言葉の1つもなかったことにはがっかりしました」


 名古屋グランパスのJ1残留決定から5日後の12月6日、今季リーグ戦28試合出場6ゴールという結果を残した玉田圭司が、自身のインスタグラムで名古屋グランパス退団を発表したのだ。玉田は3日、柏レイソル、名古屋を通じて長年関わりのあった恩人・久米一正氏(清水エスパルス副社長兼GM)の通夜に訪れていた。その際は、特段変わった様子を見せていなかっただけに、本当に突然の出来事だったのだろう。「残留請負人」としてフル稼働した38歳のアタッカーは、計11年プレーした愛着の強いクラブを不本意な形で去ることになってしまった。

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今シーズンで退団することになりました。 あまりにも突然だったので正直、頭を整理するのに少し時間がかかりました…。 2014年に1度退団し、その2年後に帰ってきて名古屋グランパスに誠心誠意を持ってやってきましたが、契約しないと伝えられた時には労いの言葉の1つもなかったことにはがっかりしました。 しかし、とても刺激的な2年間でしたし、僕にとってすごくいい経験をさせて頂いたと思っています。 シーズン終了後に皆さんから来年度の僕のユニフォームを予約してくださったとの声を頂いて、来年にむけて頑張ろうと思っていたので、それを無駄にしないためにも前を向いていきたいです! ありがとうございます!

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 しかしながら、ギリギリまでJ2降格の危機に瀕していた今季の名古屋にとって、玉田の存在は間違いなく大きかった。セレッソ大阪時代の盟友、橋本英郎(現・東京ヴェルディ)も「タマはジョーやガブリエル・シャビエルら外国人選手を生かしながら共存できるのが大きい」と話していた。例え外国人であろうとチームメイトと共存する術を身に着けていることが強みだった。それを発揮したからこそ、チームは最後の最後まで踏ん張ることができたのだ。当の本人も「セレッソで世界的名手の(ディエゴ・)フォルランやカカウと一緒にプレーして、若手と彼らの架け橋になった経験が大きかった」と言う。

 フォルランとジョーに共通するのは、ゴールに向かう貪欲な姿勢。「多少のギャップがあっても関係なくて、常にゴールを伺っている」と玉田も話していた。それでも、ゴール前でエゴを前面に押し出す外国人選手をリスペクトしながら、自らのストロングポイントを発揮してきた。その大仕事をやりきったからこそ、玉田は2014年以来となる6得点を記録できたのだ。

 さらに、38歳になってもコンスタントに戦い抜けるフィジカルを備えているのも特筆すべき点だ。2010年南アフリカ・ワールドカップの前には数々の負傷に見舞われ、日本代表としての集大成を飾れなかった。そんな悔しい体験を経て、彼は人一倍、フィジカル面のケアに気を配ってきた。

「2009年は肋骨折ったり、グロインペインになったりとか、本当にケガだらけだった。岡田(武史=FC今治代表)さんから『お前がFW陣を引っ張ってくれ』と言われていたのにケガをしたのが俺の中ではすごくデカかった。南アの年になってからはコンディションは回復したんだけど、本田(圭佑)や岡崎(慎司)とか若い選手が出てきて、ワールドカップは試合に出られなかった。やっぱり悔しかったよね。その教訓もあって、今はまずクラブハウスに行ったら風呂で体を温めてる。とにかく風呂が長い(笑)。交代浴とかもして、1日の疲れは1日で取るというのを欠かさないようにしてる。もうちょっと早く気づいていたらよかった」

 彼はそうしみじみと語っていたが、こうした地道な努力の積み重ねがあったからこそ、今でもトップパフォーマンスを披露できているのだ。その彼が退団を言い渡されたことは本当に残念でしかないが、クラブがベテランに非情な宣告をするのは、今に始まったことではない。

クラブ側の思惑も理解できるが…

玉田と同い年の中村憲剛もベテランの行く末に言及したことがある [写真]=Jリーグ

 田中隼磨もかつて、名古屋からゼロ円提示を受けたことがある。

「2013年はJ1で全試合に出場したのに、いきなり切られた。プロ選手というのはクラブが決めた判断に従うしかない。本当に辛い立場だよね」(田中)と吐露していた。

 長期的ビジョンを見据え、若い選手を軸にしていかなければならないクラブ側の思惑も理解できる。しかし、自らの節制や努力によってプレーヤーとして寿命を延ばす選手も増えている。玉田もその1人だ。その上で、結果を残した年長者が酷な扱いを受けることは、どこか拭い切れないモヤモヤ感を抱かせる。玉田と同い年の中村憲剛も「ベテランが生き残るために必要なのは選手の持つスキルとクラブのビジョン」と話してくれたことがある。そのビジョンを明確に示し、理解を深めていくことが、これからのJクラブに求められる重要なテーマだろう。

 いずれにせよ、過酷な現実を突き付けられた38歳の玉田がどのような道を選ぶのか、大いに気になるところだ。

「自分はまだまだ現役を続けたい。ピッチ上で“違い”を見せられると思っているから。むしろ年齢を重ねたことでよりサッカーを深く理解できるようになったし、できることも多くなった。俺は得点とかアシストを狙うのがメインの選手だけど、チームの状況によっていろんな役割ができる選手になりたいね」(玉田)

 まだまだ前向きに話していた。今はそれを突き詰められる新たな環境を見つけ出すことが先決だろう。

 国際Aマッチ72試合出場16得点。2006年と2010年のワールドカップ出場。そして、J1、J2通算427試合出場115得点という実績を生かせる場所は必ずある。来年4月には39歳になる。それでも、自身が輝ける舞台を諦めずに探し続けてもらいたい。偉大な足跡とともに。

文=元川悦子

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