FOLLOW US

【ライターコラムfrom広島】広島と長崎、そして8月…「スポーツができる平和」を胸に、いざピースマッチへ

2018.08.10

8月11日には広島vs長崎の試合が開催される [写真]=J.LEAGUE

 8月6日の広島は、決して厳かではない。8時15分、広島市民が黙とうする原爆投下の時間、実は広島の街ではその多くが他県からやってきた人々によるデモ隊のシュプレヒコールで揺れる。6日の前後は日本中から広島に人がやってきて、街でデモ。祈りを静かに捧げる日に相応しいのは、むしろ6日ではない。18歳の時に広島にやってきて38年間、そこはずっと変わらないのだ。

 もう一つ、違和感があったのは、広島の人々は1945年8月9日11時2分にどこで何が起きたのか、意外と知らないことである。広島での「最初」にはこだわっていても、2番目の「長崎」には詳しくはない。原爆投下の11時2分を知っている人は、意外と少数派だっだ。長崎県出身の筆者は、ずっとそれが寂しかった。


 上記2つの理由で、8月11日に行われるサンフレッチェ広島V・ファーレン長崎のピースマッチには、おおいに期待したい。第一に、8月11日にはおそらくではあるが、デモ隊はいない。だから静かに、ゆっくりと思考することができる。第二に、広島の人たちが長崎の原爆投下について改めて知る機会となる。それがこのピースマッチに対する個人的な気持ちだ。

 広島はこのピースマッチに対して、様々なイベントを打つ。なにをやるのか、それはオフィシャルサイトで見ていただきたい。特に「いい」と思うのは、この日選手たちが着用する特別ユニフォームに、広島はオレンジ、長崎は紫と、互いのチームカラーをあしらわれていること。被爆の実態は自分たちだけでなく、広島と長崎、二つの都市が互いに互いのことを知ることで「本質」を理解していく。その想いをサンフレッチェとV・ファーレン、二つのフットボールクラブがシンボリックに表現することは、「自分たちにできることを探し、実行する」という意味でも、素晴らしいことだと考える。

 サッカーが平和に寄与できるのか、どうか。サンフレッチェ広島が発表したこのピースマッチのロゴマークには「スポーツができる平和に感謝」とある。当然のことではあるが、この言葉をどれだけの人々が実感できるだろう。

 たとえば先の豪雨災害で渡大生は自身の実家近くが被災し、復旧作業を手伝った。その時の状況を見て、彼は「本当にサッカーどころではないな」と感じたという。川辺駿も地元・広島が被災したことで「メッセージを発信するだけではなく、何か具体的な行動を」と訴えた。災害を受けた人々にとって、現実はもはや平和ではない。その時、初めて想う。平穏だということが、どれほど素晴らしいことなのか、と。

 2011年の東日本大震災において、髙萩洋次郎(現FC東京)は福島県いわき市の実家が津波に襲われた。逃げ遅れた祖母は未だに行方不明。実家は1階が全てふき飛び、ピアノがどこにも見当たらない。冷蔵庫はひっくりかえり、クルマが裏口に突っ込んでいた。周りの家はほとんどが崩壊。波によって流された家が他の家にぶつかり、その衝撃で壊れていった。髙萩家はその「家との衝突」がなかったことによって、1階がふき飛んだのに2階がそのまま残るという状況を生んだのだ。

 髙萩も当時、サッカーをやるような気持ちになれなかった。福島でみんなを助けたいという気持ちになった。だが、地元の友人の言葉が心に突き刺さる。

「俺たちはこっちで頑張るから、お前はサッカーを頑張れ。その姿を俺たちに見せてくれ。俺たちもお前がサッカーをやっている姿を見られるように頑張るから」

 震災のためにJリーグが中断した中で行われた鳥取とのトレーニングマッチで、髙萩はゴールを決めた。その時、彼はこんな言葉を口にする。

「これからは全ての練習、全ての試合を被災地の方々のためにやる」

 この決意が、髙萩洋次郎というファンタジスタを戦える男に成長させ、後に広島に栄冠をもたらしたと今になっては想う。だが、それは結果論。重要だったのは、悲惨極まりない状況でも前を向き、明日の生活での平和を手に入れるために頑張っていた人々がいて、その人々のために「サッカー」が存在していたという事実だ。

「被災地の人々のために戦うんだ」と決意した渡大生が横浜F・マリノス戦でゴールを決め、「具体的なアクションを起こしたい」と語っていた川辺駿が湘南ベルマーレ戦で柏好文のゴールの起点となり、そして髙萩の大きな成長。「昔は誰かのために頑張るとか、そういう雰囲気はなかったのに」と父・明夫さんが驚くほど、献身的な選手になった。周りの人々が厳しい困難を乗り越えるための励みになろうと選手たちが頑張り、その姿を見て「私達も」と想う。その循環を生み出すためにサッカーが、スポーツが力を発揮する。そこにスポーツが存在する意味があるし、スポーツができる平和が幸せだという言葉に芯が通るのだ。

 2013年10月20日、いわき市の髙萩の実家を訪れた時、ボロボロだったという1階は美しくリフォームされていた。「広島に来てほしい」という息子夫婦の願いに笑って首を振り、瓦礫にまみれた家を自分たちで建て直そうと決める強さ。あれほどの大災害が起きて全てのモノを飲み込んだ場所であっても、故郷に根を張る想い。その秘密を聞いた時、母・典子さんは笑顔でこう言った。

「まあ、生命があれば、またやり直せるので」

 人類の歴史に深く刻み込まれる「原爆」という悲惨な現実と向き合った当時の広島と長崎の人々もまた、きっと典子さんのような強靱さを持っていたのだろう。タイの国民的英雄であるティーラシンは言う。

「広島と長崎のことは知識として知ってはいたが、平和祈念資料館を拝見させてもらったことで、原爆が広島の人たちがどれほど苦しめたかがわかった。ただ一方で広島は、そして長崎も、そこから何年も、何十年もかけて時間をかけて、決して諦めずにみんなが助け合い、これまで立派な美しい街に復興したという事実から、広島や長崎の人たちの強さを感じる」

 8月11日、19時。エディオンスタジアム広島で広島と長崎がともに行うピースマッチ。日本だけでなく世界の人々に、広島と長崎のメッセージが届くことを心から願う。「スポーツができる平和に感謝」。その想いを静かに想い、その上で両チームの選手たちが精一杯の力で繰り広げる熱い戦いを堪能したい。

文=紫熊倶楽部 中野和也

BACK NUMBERライターコラムfrom広島のバックナンバー

SHARE

LATEST ARTICLE最新記事

SOCCERKING VIDEO