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【ライターコラムfrom山形】名門鹿島から“山形の顔”へ…石川竜也が歩む稀有で幸せなキャリア

2017.07.06

 今季、試合当日のNDソフトスタジアム山形に掲げられるようになった巨大な横断幕がある。幅15m、高さ4.8m。ビジュアルは、チーム最年長かつ最長在籍のDF石川竜也。その顔の横に大書された「山形本能」の下には、それが何であるかを説明するように、こう書かれている。

 真面目、頑張る、粘り強い、諦めない。
 それが山形らしさであり、
 強さだと思う。

 クラブのイヤーブックに載った記事から石川の言葉を抜粋して使用したという。山形でプレーして11年目。石川はすっかり山形の顔になった。


今季からリーグ戦のホームゲームを飾る横断幕。残念ながら天皇杯では掲出されないようだ [写真]=頼野亜唯子

 石川は、筑波大学在籍中に1999年のナイジェリアワールドユース(現U-20ワールドカップ)に出場し、準優勝の快挙を成し遂げた黄金世代の一人。2002年に鹿島アントラーズに加入し、ポイントでの活躍は見せたものの左サイドバックのポジションを掴み取るまでには至らなかった。出場機会を求め、東京ヴェルディを経てモンテディオ山形に加入したのが07年。それからクラブが果たした2度のJ1昇格を経験しているのは、石川と、生え抜きのDF山田拓巳(10年目)だけになった。年齢を重ね、鹿島時代のように左サイドをえぐってクロスを上げる頻度は減ったが、左足の正確なキックは健在。後ろからの的確な配給は攻撃のスイッチになる。2014年の昇格プレーオフ準決勝(vsジュビロ磐田)でのGK山岸範宏(現北九州)のゴールをアシストしたCKもまだ記憶に新しい。

 しかし、石川の貢献はピッチの上のことだけに留まらない。ここ数年、チーム内の若手選手からよく聞かれるのが「タツさんのように長くやりたい」「タツさんのプロ意識は凄い」という言葉だ。38歳になるシーズンにもチームに必要とされるということがどういうことか、生きた見本がすぐ側にいる。自己管理を徹底し、監督が替わる中で自らのプレースタイルをも微調整しながら選手生活を送る姿は、プロを続けることの厳しさと可能性を体現する。

 昨季は春先に負った怪我が思いがけず長引き、山形へ来てから最も少ない14試合の出場に留まった。その怪我も癒え、今季はキャンプからフルでトレーニングしてシーズンに入ったが、4月の練習試合の後、筋肉系のトラブルに見舞われ離脱した。悔しさや焦りや不安がないはずはないだろう。だが、それが彼の美学なのか、そのことについて多くを語らない。そして、ベンチ入りすらなかった2カ月の後、6月21日の天皇杯2回戦(対V・ファーレン長崎)に先発出場。定位置となった3バックの左である。我慢比べのようなゲームの中で、前線の選手を動かす有効なパスを出し、ゴールの匂いをプンプンさせるCKを蹴った。戦術眼も左足も錆びついてはいないことを示し、120分を走り切って勝利を告げる笛を聞いた。

 駒を進めた天皇杯3回戦の相手は、石川の古巣・鹿島に決まった。山形へ来てまだ5年目か6年目の頃の石川は、筑波大で4年、鹿島で4年半を過ごした茨城を「第二の故郷」と呼んでいた。だが今ではもう、山形での時間の方が長くなった。移籍先でしっかりと根を下ろし、クラブの本能を謳う横断幕を飾る。それは今のJリーグにおいて、とても稀有で幸せなことではないだろうか。

実力者がひしめくチームでは定位置を獲得するまでには至らなかったが「大事な時間だった」と振り返る [写真]=J.LEAGUE PHOTOS

 そんな石川の現在地から見た鹿島時代はどのようなものなのか。彼は言う。

「自分をつくる最初の下地というかね。僕が鹿島に入った時には(同じ左サイドバックの)相馬(直樹)さんもいたし、秋田(豊)さんや本田(泰人)さんなど、いろんな経験をしている選手がたくさんいた。そういう選手を見て、声をかけてもらったりして、いろんな考え方を学んだし、プロのあり方というものをすごく考えて過ごした。だから自分にとってはすごく大事な時間だったと思う。なかなかシーズンを通しては試合に出ていないですけど、あの経験はすごく大きなものだと思っていますね」

 山形がJ1を戦った2015シーズン以来、2年ぶりとなる鹿島との対戦は7月12日。あの年のホームゲームは2−2のドローだったが、今回の戦いにドローはない。決着をつけるピッチに青い13番は立っているのか否か。楽しみに待ちたい。

文=頼野亜唯子

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